Produced by ヤマハ音楽研究所
img-01-01
平野 剛(ひらの たけし)
大阪成蹊大学 マネジメント学部 助手

※記事掲載時点の情報です

ギネス級!?ホルン演奏を科学する

皆さんはじめまして。ホルン研究家の平野剛です。私は「ホルン奏者が、演奏中に体をどのようにコントロールしているのか?」という疑問に答えを出すため、大学で日々研究をしています。同じホルンを手にしても、プロ奏者が演奏する時と初心者が演奏する時では、音色がまるで違います。この違いを明らかにするために、私は奏者の身体の使い方に着目して研究を行うと同時に、研究によって得られた成果を一般の方に向けて発信する活動も行っています。今回のコラムでは、私が愛してやまないホルンの魅力を紹介するとともに、これまでの研究成果と今後の活動について簡単に紹介をします。

ホルンという楽器

皆さんはホルンという楽器をご存じですか?私がホルンと初めて出会ったのは小学校の吹奏楽部でした。入部当初、私の希望はトランペットを演奏することでしたが、トランペットの希望者はとても多く、部内で行われた選考の結果あてがわれたのがホルンでした。そのため始めのころは、トランペットを横目で見ながらホルンの練習をしていたことを今でも覚えています。ホルンを演奏している人の中にも、私と似たような理由からホルンを始めた方も少なくないかもしれません。また楽器演奏をしたことのない人にとっては、ホルンはどんな楽器だったかをすぐに思いうかべることができない人も多いと思います。こんな具合にホルンは、もしかしたら目立たないマイナーな楽器のように思われてしまうかもしれませんが、世の中にはホルンを独奏楽器とした曲(ホルン協奏曲)が数多く存在し、多くの人に愛されています。特にモーツァルト作曲のホルン協奏曲第1番は、テレビ番組やCMなどでよく起用されていることから聞けば「あの曲かぁ」、と思い出す方も多いと思います。ほかにもリヒャルトシュトラウスやシューマン、グリエールなどをはじめとする偉大な作曲家たちがホルン協奏曲を作曲していることから、ホルンは多くの人々を魅了する楽器だと私は思っています。

またホルンは、「世界で一番難しい金管楽器」としてギネス・ワールド・レコーズ(いわゆるギネスブック)で紹介されています。実際、私は吹奏楽部に入部した日に、ホルンで1つの音も鳴らせなかった苦い思い出があります。またプロ奏者でさえも、本番中に音をはずしたり音が鳴らなかったりといった失敗もしばしば起きます。このことからもわかるように、奏者の間でもホルンは演奏することが難しい楽器として認識されています。なぜ、ホルンは音を鳴らすことが難しい楽器なのでしょうか?それは、音の出し方とホルンの楽器構造に答えがあります。

トランペットやホルンをはじめとする金管楽器は、リコーダーのように息を楽器に入れるだけでは音が鳴りません。実は、奏者が息を入れると同時に唇を振動させることで初めて音が鳴る仕組みになっています。さらに演奏する音量や音程に合わせて、奏者は唇の振動の大きさや振動の速さを調節しています。私が入部当日に音が鳴らなかった理由は、この唇の振動がうまくできなかったことが原因でした。またこのことは見方を変えると、奏者が普段行っている練習は、演奏する音に対して適切な唇の振動をマスターするための訓練であるとも言えます。

img-01-01

ホルンの構造にも、音を鳴らすことの難しい理由があります。唇に接触するホルンのマウスピースの直径は1.7cm程度であり、この大きさはペットボトルのキャップの約3分の2の大きさです。ホルン奏者はこの小さいマウスピースに唇をあてて、低い音の演奏では1秒間に90回程度、高い音の演奏では1秒間に600回以上、唇を振動させます。1秒間に90回~600回の振動数の幅はほかの金管楽器に比べて最も広いことから、この振動数のコントロールを身に着けるためにホルン奏者はより多くの訓練が必要になると考えられます。

奏者から研究者へ

ここで私がホルン演奏の研究を始めたきっかけについて、少し説明をしたいと思います。現在までの約20年間、私はアマチュアホルン奏者として演奏活動を続けていますが、このホルン演奏が研究の対象になったきっかけは、大学生の頃に始めたプロ奏者による個人レッスンでした。「プロのような音を出したい!」という気持ちから始めた月1回のレッスンでしたが、回を重ねるにつれて「自分の音はどうしてプロ奏者とは違うのだろうか?」という疑問がめばえました。きっと私のみならず、多くの奏者もこのような疑問を一度は抱いたことがあるはずです。具体的にプロ奏者と私とでは、体のどの部分の使い方が違うのか?私はその答えを求めて奏法に関する書籍や研究論文などを探しましたが、その答えを見つけることはできませんでした。むしろ科学的な研究が全くされていないことに気づき、私は大変驚きました。このことがきっかけとなり、私はホルン演奏の研究を始めることにしました。

研究が明らかにしたプロ奏者の感覚と実際のズレ

はじめに行った研究は、ホルンを演奏しているときの「顔の筋肉の活動」と「唇周りの形状変化」を計測する実験でした。ホルン奏法の教科書には、よく「演奏する音が変わっても、唇周りの形状は変えないことが望ましい」と記載されており、この記載の是非を検証するためにプロ奏者に協力を依頼し実験を行いました。実験直前に教科書の記載に関するアンケートを行ったところ、教科書と同様に多くの奏者は「自分自身は演奏する音が変わっても、唇周りの形状は変化させていない」と回答をしました。しかし実験結果は、この予想に反して、演奏する音の変化に伴って唇周りの形状が変化していました※1。この事実は、私以上にプロ奏者たちに大きな衝撃を与えました。彼らの感じていた感覚と実験によって得られた実際のデータとの間にズレが生じていたことに、驚きを隠せない様子でした。

続く研究では、顔の筋肉の活動に着目して「アマチュア奏者とプロ奏者の違い」を検証しました。アマチュア奏者の中には、音は鳴るけれどプロ奏者のように上手な演奏はできないという悩みを持っている方も多いはずです。そこで「1つの音を出すだけの演奏課題」と「連続して音を出す演奏課題」の2つの課題を使って、アマチュア奏者とプロ奏者の筋肉の活動の違いを検証しました。実験の結果は、「1つの音を出すだけの演奏課題」では筋肉の活動に違いはみられませんでしたが、「連続して音を出す演奏課題」ではある特定の筋肉においてアマチュア奏者の活動量はプロ奏者のそれよりも強くなっていました※2※3。この研究によってアマチュア奏者が演奏中に余分な筋肉の活動を発揮している現象、いわゆる力んだ状態で演奏をしていることが科学的実験によって初めて示唆されました。

夢は「音楽演奏科学」の学問を確立すること

ホルンの研究を始めてから約7年がたとうとしていますが、「ホルン奏者が、演奏中に体をどのようにコントロールしているのか?」という問いに対してまだ満足のいく回答は得られていません。現在は奏者がマウスピースを唇に押し付ける力を計測していますが、この研究成果も演奏による顎(がく)関節症などの障害予防に役立てたり、ホルン演奏の上達に向けた支援に役立てたりすることができると思っています。

img-01-02

これまでの研究活動を通じて確信したことがあります。それは楽器演奏に関するさまざまな疑問に対して、科学的な回答を求めているのは私だけではなかったということです。最近ではプロ奏者・アマチュア奏者を問わず、多くの方から研究の話を聞かせてほしいと声をかけられるようになりました。そのようなお声を頂くたびに、改めて自分の行っている研究に対して責任を感じるとともに、これからはより多くの研究仲間とともに研究を進めていく必要があり、得られた研究成果を学生や社会人、プロ奏者のために役立てたいと強く思うようになりました。そして将来的には、研究によって得られた知見を体系立てて「音楽演奏科学」とも呼べるような新しい学問体系を確立したいというのが、今の私の夢です。

  • ※1 Takeshi Hirano, Kazutoshi Kudo, Tatsuyuki Ohtsuki, and Hiroshi Kinoshita. (2013). Orofacial muscular activity and related skin movement during the preparatory and sustained phases of tone production on the French horn. Motor Control, 17(3), 256-272.
  • ※2 平野剛・那須大毅・小幡哲史・木下博、(2014).ホルン熟達奏者の筋活動および皮膚表面の動き.バイオメカニズム22ー人間の動きの分析ー, 27-36.
  • ※3 伊藤京子・平野剛・能任一文・西田正吾・大築立志、(2011).金管楽器演奏動作の上達に向けた練習指標の提案~アンブシュアの形状を一定の状態に保つということ~.電気学会論文誌C, 131(10),1775-1785.
もっと読む
著者プロフィール ※記事掲載時点の情報です
hirano-takeshi
平野 剛(ひらの たけし)
大阪成蹊大学 マネジメント学部 助手
専門:運動制御学、神経生理学
著書・論文

  • Takeshi Hirano, Kazutoshi Kudo, Tatsuyuki Ohtsuki, and Hiroshi Kinoshita
    「Orofacial muscular activity and related skin movement during the preparatory and sustained phases of tone production on the French horn」
    『Motor Control』, 2013, Volume 17, Number 3, pp.256-272

  • 平野剛・那須大毅・小幡哲史・木下博
    「ホルン熟達奏者の筋活動および皮膚表面の動き」
    『バイオメカニズム22ー人間の動きの分析ー』, バイオメカニズム学会, 27-36頁, 2014年 7月31日

  • 伊藤京子・平野剛・能任一文・西田正吾・大築立志
    金管楽器演奏動作の上達に向けた練習指標の提案~アンブシュアの形状を一定の状態に保つということ~
    電気学会論文誌C(電子・情報・システム部門誌), 電気学会, 131巻, 10号, 1775-1785頁, 2011年10月1日


URL

 

 
みなさまのお役に立つサイトにするため、アンケートにご協力お願いします。
Q. この記事についての印象をお聞かせください。
Q. この記事がご自身にとって何に役立つと思われますか?(複数回答可)
Q. この記事についてのご感想やご意見などご自由にお書きください。
ページトップへ