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音の“もと”を考えるサイエンス-人の発達からみた音楽の意味-
丸山 慎(まるやま しん)
駒沢女子大学 人文学部 心理学科 講師

※記事掲載時点の情報です

音体験の“もと”にある重力,そして身体

音楽は、奥深い魅力で私たちにさまざまな体験をもたらしてくれます。それでは、そうした「音楽の魅力」とはいったいどこから生まれてくるのでしょうか…。このような疑問に対する回答やアプローチの方法もまた、それこそ“さまざま”になるわけですが、今回からの連載で私が試みてみたいのは、音楽からはちょっと離れた視点を交えながら、音楽ないし音の“もと”(素・元・本・基…つまり私たちの音楽的な体験の根っこ)について考えてみようということなのです。音楽についての思索にしてはかなりの変化球コース(?)だと思うのですが、ほんのちょっとの時間、お付き合いください。

はじめに ~感覚・身体を通して音の美に至る(?)~

音楽はとても身近なものです。ふと印象に残ったメロディーを口ずさんでみたり、音楽に合わせてビートを刻んでみたり、赤ちゃんだって周囲から聴こえてくる音楽に興味津々だったり…。ところが、いざ音楽との接点を“科学的”に理解しようとすると、話は途端に面倒になります。どんな単純なリズムやメロディーであっても、それらを聴取して音の連なりとしてのパターンを認識する、あるいは過去に聴取したメロディーの記憶を照合して「あの曲」を思い出す…といったような細かなこと考える必要が生じてくるからです(このような一連の過程を「認知」と呼びます)。

ここで「おやっ?」と思われる方もいるかもしれません。音楽に興味を示しているように見える赤ちゃんは、さまざまな面で発達の途上にあるにもかかわらず、音楽的な刺激に対しては私たち大人と同じように複雑な処理を行っていると考えてもいいのでしょうか。

この点に関しては慎重な考察が必要です。発達心理学の知見をひも解いてみますと、発達初期の子どもたちは「感覚運動期(0歳~2歳くらい)」と呼ばれる、感覚や身体の運動を通して外界と交わる段階、すなわち複雑な認知的能力が獲得される以前の「頭の中の思考自体というより、感覚と運動の連合の形成によっている段階」※1にあるといわれています。とすれば、たとえ赤ちゃんが楽しそうに音に耳を傾けているからといって、彼らが大人と同じような水準で「このメロディーは心に響くなぁ~」としみじみ“認知”しているわけではなさそうだ、ということが推測されます。しかし一方で、この時期の赤ちゃんが感覚的で身体的な水準で外界と交わっていることが、その後の知能の発達(=認知的な発達)にも連続的にかかわっていると指摘する研究も近年盛んに報告されています。

そこで今回は、この「感覚運動的」な水準、つまり「赤ちゃんが手脚をバタバタさせながら、身体でもって周囲の世界と直接かかわること」と、音楽的体験を含む私たちの認知的な活動とのつながりについて考えていきたいと思います。発達初期の赤ちゃんの研究を契機にして、音楽の“もと”を考える、これが本稿の冒頭で「音楽からはちょっと離れた視点を交えながら…」と述べたことの中身なのです。

とはいいつつ、感覚や運動といった世界が音楽とはかけ離れたものなのかといえば、必ずしもそうではないらしいのです。たとえば私たちは、音楽を聴いて「美しい」という価値を感じることがあります。この「美(美的な)」という言葉は英語で「aesthetic」といいますが、そもそもこれは「感覚的な経験(sense experience)」を意味するギリシャ語の「aisthesis」を語源としています※2。感覚的、つまり複雑な認知に至る以前の経験が「美」の背景にあるとするならば、それは音楽をめぐる体験の意味を身体的(感覚・運動的)水準で捉えてみようとする私の考えに呼応するものといえます。子どもが自由気ままに身体を動かし、音を出したり、聴いたりする-そうした活動のひとつひとつが、実は豊かな音(音楽)体験の“もと”になっているのではないか…?そんな私の思いをうまくお伝えできるかどうか、早速本題に入っていくことにいたしましょう。

重力を受ける身体とその運動が認知の基盤 ?!

生後間もない赤ちゃんは、上半身を支えて立位で脚裏を地面に接地させてやると、両脚を交互にステップするように動かします。これは一般的に「歩行反射」と呼ばれる原始反射のひとつです。このステップ運動は、およそ生後2か月くらいでいったん消失し、その後、自律的な歩行が現れ始める生後1年くらいの時期に再び出現するようになります。このステップ運動の消失と再出現については、脳の成熟によって低次の反射が抑制されるため等々の説明がなされています※3。要するに脚の反射を抑えるのは「脳」の成長による、というわけです。

ところが、この「脳ありき」の説明に対して、ある発達心理学者たちは疑問を投げかけました。彼らは、ステップ運動の頻度が減少し始めた赤ちゃんの上半身を支え、下半身をぬるま湯で満たした水槽に入れるという条件で観察を行い(図1左)、その条件下では乳児のステップ運動の頻度は再び増加することを示したのです※4。さらに、通常はステップ運動が消失しているといわれる7か月齢児を支え、子ども用のトレッドミルの上に立たせると(同図1右)、やはりステップ運動が再出現したのです※5

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水中に入れてみる

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動くトレッドミルの上にのせてみる

図1 赤ちゃんの身体を多様な環境に出会わせる
(Thelen & Smith, 1994を参考に作成,イラスト:奥野みずき)

この結果をどのように理解するべきでしょうか。従来の説明通りであるならば、「脳」の成長によって原始的な反射は出ないようになっているはずです。しかし、たとえば浮力がかかるような環境に出会えば、赤ちゃんの脚は動き始めるのです。ですからステップ運動は、少なくとも“消失”はしていなかったということになります。

ここで興味深いのは、赤ちゃんの体重の増加ペースが速いとステップ運動の減少時期も早いという事実です。つまり、この時期の赤ちゃんは、脚の重量が急速に増加するにもかかわらず、その脚を持ち上げる筋力がまだ身についていないことによってステップ運動ができなくなった(ように見えた)だけなのではないか、ということなのです。赤ちゃんの歩行反射の消失とは、脳の成長という要因だけでコントロールされた高次の現象ではなく、もっと素朴なこと、つまり脚にかかる重力と脚を交互に持ち上げる筋力の発達のペースのズレから生じる「身体的な水準での出来事」だったのです。ですから、たとえば水中のように浮力が重力を相殺する環境に出会うと脚は軽くなり、結果、脚が自(おの)ずと動き出したというわけです。

この例のように、脳の介在がすべてではなく、脚が周囲の環境の変化を直接つかまえて適応的な行動を出現させているというメッセージは、「身体の自律性」、すなわち身体は必ずしも脳の成長に追従するばかりではないということを示唆しています。こうした立場からの研究は、脳と身体の関係を改めて捉え直し、高次の認知活動における身体の本質的なかかわりを議論する重要な知見になっているのです※6・7

演奏する身体-だから重力も音楽を創っている

重力とか、浮力とか、そんな物理学のような話、「歩行」ならまだしも、「音楽」はもっと内面にかかわるものだから、さすがに関連が薄いんじゃない?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし音楽を演奏するのは、現在のところ主に人間です。演奏者は自身の身体を巧みに動かして音を奏でています。発声をしたり、楽器を操作する身体を支えて演奏に関連する部位を動かしたりする、といった一連の動作にも、やはり身体にはたらく重力との関係が見えてきます。また演奏行為は運動の連続ですから、そこで生じる慣性の性質もかかわってくるのです。

実際、演奏の現場では、こうした運動にかかわる側面はむしろ積極的に意識されているといってもいいのかもしれません。以前、私がチェロ奏者にインタビューをしたところ、次のような言葉が返ってきました;

「たとえばバイオリニストを例に考えてみましょう。クレッシェンドをしながら長い音符を弾かなければならないとき、(中略)楽器と身体は逆方向に動くはずです(図2)。そうすると自分の腕の重さを使うことができるのです。同じ方向に動いてしまうと,バランスを失い、身体を支えなければならなくなり、(弓に)全く重さをかけられずに弓を押さえつけなければならない状態に陥ります。ボーイングに関しては,重力と慣性が最も重要な要素といえるでしょう。」※8

ここでは明らかに、チェロ奏者の右腕にかかる重力や運動から生じる慣性が、ボーイング運動にとって重要であることが指摘されています。またこのインタビューでは、音程をつくる左手についても言及があり、物理的に離れている「脚や体幹」といった部位との連携が手の運動にも大きくかかわっているという発言もありました。どうやら私たちに感動を与えてくれる演奏家が奏でる音には、彼らの「内面的な心」だけではなく、身体と重力環境といった外的な要因との相互関係も深く関与しているといえそうです。その意味では、重力も確かに音を創る過程にかかわっている、となるわけです。

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図2 身体と弓が逆方向に動くことで「重力、慣性」を巧みに利用する
(丸山,2013より,イラスト:奥野みずき)

ここまで話を進めてきますと、チェロを演奏する身体が、赤ちゃんの歩行と「重力や慣性」といった点で結びついているということが何となくイメージしていただけるのではないでしょうか。演奏のように高いスキルが要求される活動が、赤ちゃんの行動の発達とどこかでその基盤を共有しているのだとすれば、それはまさに高度な認知と感覚・運動の水準とが連続したものであることを示す根拠になるといえるのではないでしょうか。

音の“もと”は、どうやら身体と環境との相互的なかかわり合いのなかにあるらしい-今回の思索を通して、そのような感覚を皆さまにも感じていただければ、まずは成功!といったところです。次回は、「音を聴くこと、音を出すこと」について、引き続き発達研究などを参照しながら話を深めていきたいと思います。

  • ※1 無藤 隆 (2006).  子ども時代の発達 in 無藤 隆・森 敏昭・遠藤由美・玉瀬耕治(著)心理学 有斐閣 pp.235-260
  • ※2 Elliott, D. J. (1995). Music matters: A new philosophy of music education. Oxford University Press.
  • ※3 Zelazo, P. R. (1983). The development of walking: New findings and old assumptions. Journal of Motor Behavior, 15, 99-137.
  • ※4 Thelen, E., Fisher, D. M., & Ridley-Johnson, R. (1984). The relationship between physical growth and a newborn reflex. Infant Behavior and Development, 7, 479-493.
  • ※5 Thelen, E. (1986). Treadmill-elicited stepping in seven-month-old infants. Child Development, 57, 1498-1506
  • ※6 Thelen, E., & Smith, L.B. (1994). Dynamic systems approach to the development of cognition and action. MIT Press.
  • ※7 Maruyama, S., Dineva, E., Spencer, J. P., & Schöner ,G. (2014). Change occurs when body meets environment: A review of the embodied nature of development. Japanese Psychological Research, 56, 385-401. doi: 10.1111/jpr.12065
  • ※8 丸山 慎 (2013). 身体、未完の交響として-音の“地”を素描する試み- ダルクローズ音楽教育研究38, 37-51.
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著者プロフィール ※記事掲載時点の情報です
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丸山 慎(まるやま しん)
駒沢女子大学 人文学部 心理学科 講師
専門:発達心理学、認知心理学、生態心理学、音楽心理学
著書・論文

  • 丸山 慎(2006).交響を知る身体-指揮者はいかに音楽を現実にしているのか-.佐々木正人(編著)『アート/表現する身体:アフォーダンスの現場』東京大学出版会,pp.87-119(分担執筆:4章担当)

  • 丸山 慎(2013).発達-身体と環境の動的交差として-.佐々木正人(編著)『知の生態学的転回1 身体:環境とのエンカウンター』東京大学出版会,pp.37-67(分担執筆:1章担当)

  • Maruyama,S., Dineva,E., Spencer, J. P., & Schoner, G. (2014). Change occurs when body meets environment: A review on the embodied nature of development. Japanese Psychological Research, 2014, 56, 385-401. DOI: 10.1111/jpr.12065


 
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