本連載「人間、ベートーヴェン」では、単に作曲家としてではなく、今から250年前に生まれた一人の人間としてのベートーヴェンをご紹介します。ベートーヴェンにも自分の趣味があり、行きつけのお店があり、希望に燃えた青春だってありました。
こうしたさまざまな顔に、この連載を通して迫っていきます。
第1回目は「ピアニストとしてのベートーヴェン」です。
あのベートーヴェンとかいう若者…まるで悪魔だよ!
あんなピアノの演奏は今まで聞いたことがない…
ベートーヴェンのピアノを聴いた友人が漏らした言葉です。
今でこそベートーヴェンは作曲家として知られていますが、当時はピアニストとしての腕前もなかなかでした。
そんなピアニストとしてのベートーヴェンの姿を辿ってみましょう!
1770年、ドイツ西部の小都市ボンで生まれたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。生まれた時から音楽が身近にある生活を送っていました。お父さんのヨハンは宮廷の歌手、さらに同名のおじいさんルートヴィヒはケルンで宮廷楽長をしていました。(ひいおじいさんのミヒャエルはパン屋さんでした)
こうして音楽家の家庭に生まれたルートヴィヒは、4歳頃からお父さんに音楽を習い始めました。しかしお父さん自身なかなか音楽家としての芽が出ず、稼ぎも少なかったため、息子を神童に仕立て上げて稼ごうと考えていました…そう、モーツァルトのように。しかしこの計画はうまくいかず空振りに終わりました。
ルートヴィヒはそんなお父さんの企みをよそに、家のクラヴィコード(キーボードほどの大きさの楽器)で即興を楽しんでいました。さらにオルガンを習い始めるや否や、11歳で教会のオルガニスト、13歳でチェンバロやフォルテピアノ(ピアノの前身の楽器)を弾きながら楽団を指揮する仕事を任されるようになりました。これはまさに彼自身の努力の結果でした。
自信をつけたベートーヴェンは、1792年(22歳)に拠点をボンからウィーンへ移します。日本だと函館から東京と同じくらいの距離です。
大都会のウィーン、新参者だったベートーヴェンは”ドイツのどこかから来た田舎者”扱いをされていましたが、下宿先のリヒノフスキー邸でピアノを弾くと「なんだか新しいスタイルのピアノを弾く若者がいる」と噂になりました。
1795年(25歳)にウィーンのブルク劇場にて、自作の『ピアノ協奏曲第2番』を演奏する機会に恵まれた際には情熱に満ちた演奏だったそうで、翌日のウィーン新聞に「ものすごい拍手は鳴り止まなかった」と書かれるほどでした。
同時代の演奏家は「ベートーヴェンはピアニストとしてトップクラス(ザイフリート談)」で、「繊細さ、そして凄まじいパワーとテクニックを持ち合わせていた(ツェルニー談)」と評価しています。
しかし、彼のピアニストとしてのキャリアは長く続きませんでした。
1802年(32歳)で難聴を理由に遺書を書いてから耳の状態は悪化の一途を辿ります。
それでもピアニストとしての活動を続けましたが、1814年(44歳)に『ピアノ三重奏曲「大公」』を初演した時には「フォルテがあまりに大きすぎて、ピアノの弦がカチャカチャ鳴り響いた(シュポア談)」そう。自分の弾く音の大きさがわからないほど難聴が悪化していたのです。
結局、翌年に行われた歌曲『アデライーデ』の初演を最後に、ピアニストを引退しました。
以降舞台で再びピアノを弾くことは叶いませんでした。しかし現在ピアノがここまで重要な楽器となったのは、ベートーヴェンがピアノの魅力を最大限引き出す作品を数多く書いたからであり、それが出来たのは紛れもなくベートーヴェン自身が当時のトップを走るピアニストだったからなのです。
ピアニストとしてのベートーヴェンが、さまざまな分岐点で演奏した曲を集めました。プレイリスト内の一部を除くほとんどの曲が、ベートーヴェンの時代の楽器で演奏されていますのでお楽しみください。
※Chrome,Firefox,Edge,Opera,Safariよりお聞きいただけます。
1. ベートーヴェン:『選帝侯ソナタ第1番 変ホ長調 WoO.47-1〜第1楽章』
ベートーヴェンが12-3歳の時に書いた曲。
2. ベートーヴェン:『ピアノ協奏曲第0番 変ホ長調 WoO.4〜第1楽章』
ベートーヴェンがチェンバロ奏者兼指揮者の仕事を得た際に書かれた曲。
3. W.A.モーツァルト:『ピアノソナタ第4番 変ホ長調 KV282〜第3楽章』
ベートーヴェンが幼少期より親しんだクラヴィコードでの録音。
もしかしたらベートーヴェンも実際にクラヴィコードで弾いたかもしれない曲。
4. W.A.モーツァルト:『ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 KV466〜第1楽章』 (ベートーヴェンによるカデンツァ)
ウィーンで初めてピアニストとして演奏した曲。
この時ベートーヴェンが即興で行なったカデンツァがあまりに素晴らしかったため、1795年に自分のピアノ協奏曲を演奏する機会を得ました。
5. ベートーヴェン:『ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 Op.19〜第1楽章』
1795年に演奏した曲。
6. ベートーヴェン:『交響曲第1番 ハ長調 Op.21〜第4楽章』
1800年にウィーンで初演された際、ベートーヴェンが指揮をしながらフォルテピアノを弾いた曲。
この録音も初演と同じく、フォルテピアノの通奏低音も録音されています。
7. ベートーヴェン:『ピアノソナタ第17番 ニ短調 Op.31-2「テンペスト」〜第2楽章』
ハイリゲンシュタットの遺書が書かれた時期に作曲された曲。
8. ベートーヴェン:『ピアノ協奏曲第4番 ト長調 Op.58〜第1楽章』
1808年にベートーヴェンの弾き振りにて初演された曲。
すでに難聴が進行していたにも関わらず、とても情熱的な演奏だったと伝えられています。
9. ベートーヴェン:『ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 Op.97「大公」〜第1楽章』
聴力が低下し、引退を決意する引き金となった演奏会で演奏された曲。
10. ベートーヴェン:歌曲『アデライーデ Op.46』
ピアニストとして最後に演奏した曲。