卒業生編

かつてJOCに出演、学んだ頃の皆さんの
エピソードをご紹介♪

峰松 佳乃子さん 動画/コメント(みねまつ かのこ) / イタリア在住 ピアニスト

3歳の頃に母に連れられて3歳児ランドに行ったのが今の音楽人生の始まりでした。
高校を卒業するまで在籍していましたが、その間にJOCに参加して、自分で曲を書いて、自分で演奏するという経験はとても貴重でした。
演奏において自分で楽譜を読む時に、分析をしながら曲の構成を読み取っていくことが必要になってきますが、その時に、自分でモチーフ(動機)から考えて、そこから構成を考えて曲を書くという経験はこういうところで役に立つんだなと実感しています。
曲を書くというのは一筋縄では行きませんが、時間が経ってから自分が書いた曲を改めて弾いてみると楽しいものです。

3歳の頃に母に連れられて3歳児ランドに行ったのが今の音楽人生の始まりでした。
高校を卒業するまで在籍していましたが、その間にJOCに参加して、自分で曲を書いて、自分で演奏するという経験はとても貴重でした。
演奏において自分で楽譜を読む時に、分析をしながら曲の構成を読み取っていくことが必要になってきますが、その時に、自分でモチーフ(動機)から考えて、そこから構成を考えて曲を書くという経験はこういうところで役に立つんだなと実感しています。
曲を書くというのは一筋縄では行きませんが、時間が経ってから自分が書いた曲を改めて弾いてみると楽しいものです。

― 今回20年ぶりに演奏されて

イタリアに来て10年。その間にいろいろなレパートリーを勉強して、今はピアニストとして舞台に乗っていますが、ここに来て、自分が10歳、11歳の時に書いた曲をまさか、イタリアで弾くことになるとは思ってもみませんでした。
JOCを卒業して時間が経ち、大人になり、一ピアニストとして久しぶりに掘り起こして弾きましたが、こんなにも難しい曲を書いていたんだなと、改めて実感しました。ジュニア専門コース時代は、日頃のグループレッスンやJOCで曲を書いていく中で和声、旋律などをかなり勉強しましたが、ゼロの状態から、曲を作るのは本当に難しく、当時は何度も壁にぶつかっていたことを覚えています。

『ワルツ嬰ハ短調』12歳当時の作品

― JOCやヤマハ音楽教室での思い出は?

今回は、私が在籍している、イタリアの国立マントヴァ音楽院のホールで撮影しました。私が、今現在師事しているピアノの先生に撮っていただきましたが、先生の前で自分が書いた曲を弾くというのは、少々照れくさく、くすぐったい思いでした。
そして、20年前に自分が書いた大きな音符の楽譜を眺めなら、あの頃を懐かしく感じました。

『ワルツ嬰ハ短調~春にさそわれて』当時の作品
プロフィール
国立音楽大学ピアノ科卒業後イタリアに渡り、マントヴァ国立音楽院修士課程ピアノ科、修士課程室内楽科を修了後、同音楽院伴奏科の修士課程に籍を置き、プロのピアニストとして10年イタリア在住で活躍中。