アーティスト編

卒業生で活躍中のアーティストの方々のメッセージをご紹介♪

菅野 祐悟さん インタビュー(かんの ゆうご) / 作曲家

― ヤマハ音楽教室にはいつから通い始めましたか?

幼稚園の年中だったはずです。通っていた幼稚園にヤマハの教室があって、習い事として始めました。普通のサラリーマン家庭でしたが、母がクラシックギター、父がオーディオ好きだったこともあり、家には足踏みのオルガンがあって、いつも音楽が流れているような環境ではありました。幼稚園のときにはクラシックギターも習っていたんですが、小学校に入るときにピアノとギターの両方は大変だからと選択を迫られたんですね。実はそのときはギターのほうが好きだったんですが、子どもながら“大変なことを選ぶほうがエライのでは”と考えて、ヤマハの専門コースに進んだことを覚えています。これが運命の大きな分かれ道でした。

― ヤマハ音楽教室での思い出を教えてください。

確か小学校2年生のときですが、JOCで大宮ソニックシティの大きな舞台に立たせてもらったことがあって。おじいちゃんおばあちゃんが観に来てくれたことをよく覚えています。曲のことは全然覚えていないですけどね(笑)。でも、オーディオ好きの父が演奏会や発表会のたびに、オープンリールの大きい機械をホールに持ち込んで録音してくれていたので、再生できる機械があれば聴けるのかもしれないです。
ヤマハは小学校で卒業したのですが、その後中学・高校とバンドをやる中で、オリジナル曲を創ることは続けていました。曲を創ることがごく自然なことになっていたのは、ヤマハに通っていたからでしょうね。

― 作曲家になろうと思ったきっかけは?

なろうと思ったというよりも、勉強や運動、音楽も作曲以外はあんまり得意ではなくて。でもその作曲だけは大きな大会に出させてもらったし、先生や親から褒められていたんですよね。自分のアイデンティティを作曲が支えてくれていたというか、本能的に作曲するしかないんじゃないかとずっと感じていました。
具体的な勉強は音大を目指す高校時代から親の協力のもとに始めましたが、流れに身を任せたというか、進むべき道なのか川なのか、僕にはひとつしかなくて。分かれ道という選択肢もなく、あらがわずにひたすら流れに乗って生きている感覚なんです。分かれ道があったとすれば、それは小学生のときの、ギターかピアノか、あのときだけでしたね。

チェリスト・宮田大さんとの打ち合わせの一コマ

― 映像作品への作曲の他、クラシカルな曲も多く書かれていますが、創り方に違いはあるのでしょうか。
また今後手掛けてみたい作品は?

サントラは作品ありき、台本ありきの音楽なので、書くべき音楽の方向性が導き出される部分は大きいです。クラシックはテーマを自分で決めるところから始めますので、そこが一番大きな違いでしょうか。純粋に聴くための音楽、映像に説得力を持たせる音楽、両方とも自分に必要な創作活動です。
特に映像作品の仕事は人との出会いや、タイミングがあってオファーいただくことが多いので、自分で“これがやりたい”と選ぶことは結構難しい。今出会わせてもらっている作品にしっかり向き合い、いい曲に仕上げることが、次の作品を決めることになると思います。そこに、毎回新しいワクワク感が生まれるんですよ。

オーケストラと共演。写真は「菅野祐悟 Valentine Concert 2019」の模様(2019年2月15・16日 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホールにて)

― ヤマハでの経験が今に生きていることはありますか?

全部ですね。フォルテやクレッシェンドや、教えてもらったひとつひとつのことはすべて音楽の糧になっていますから。それに、僕にとっては、右も左もわからない小学1年生で作曲に出会わせてもらったことが何より大きい。これが高校・大学のときだったら、理論的なところから入って、音楽が自由なものだという感覚はわからなかったかもしれない。音楽が楽しいと学ばせてもらったことに、とても感謝しています。

― 菅野さんのような作曲家になりたいと頑張る子どもたちへ、メッセージをお願いします。

難しい質問ですね。作曲家になれるかなれないかは、時の運という面も実は大きいんです。そして世界に数十億の人がいるならば、作曲家のなり方は数十億通りあると思います。これだという正解がないからこそ面白い。作曲家になりたいならば、自然と頑張るべきところで頑張れるでしょうから、出会いを大切にして自分の道を自分で見つけていくことが一番。それは作曲家を目指さなくても同じことで、自分なりの音楽の楽しみ方をみつけていってほしいですね。それを助けてくれるのに、ヤマハは素晴らしい場所だと、僕自身の経験から思っています。

画家としての顔も持つ菅野さん。黄金比を大事にしたうえで、個性の出る面白さ、自由に描く楽しさを味わっている。
プロフィール
4歳よりヤマハ音楽教室に通い始める。小学校時代はJOCに参加、その後中学・高校ではバンド活動も積極的に行う。東京音楽大学作曲科に進み、在学中よりアーティストへの楽曲提供を始める。卒業後、CMサウンドロゴ制作などの作曲活動を本格的にスタートし、2004年、27歳のときにフジテレビ系月9ドラマ『ラストクリスマス』の音楽を担当。以降、映画、TVドラマ、アニメなど幅広い分野の映像作品でその才を発揮している。オーケストラによるコンサート活動(自ら指揮を振ることも)も2007年より毎年のように開催し、好評を呼んでいる。また画家としての一面も持ち、その評価は高い。

文:神田麻央