ON-KEN SCOPE 音楽×研究ON-KEN SCOPE 音楽×研究 https://www.yamaha.mf.or.jp/onkenscope Wed, 19 Jun 2019 06:23:37 0 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.8 Power of Music –音楽の力– /onkenscope/morijiriyuki2_chapter2/ Tue, 11 Jun 2019 11:04:05 0 森尻 有貴(もりじり ゆき) 東京学芸大学 教育学部 講師 /onkenscope/?p=4957

音楽教育が大切であることを訴え、少しでも多くの子どもたちがより良い教育を受けられるよう願うのは、音楽家も音楽教育者も同じで、それは音楽教育の研究者にとっても需要なことです。音楽は人の心を豊かにし、情操教育を担い、人々の生活を豊かにするのだから、子どもにとっても必要である、と声に出して訴えるだけでなく、何らかの形で証明することで、音楽の必要性を世の中に訴えてきました。

音楽の有効性

英国ノッティンガム大学の研究チームは、成人を対象に歌唱、ダンス、サイクリングの3つの活動を行った場合、幸福感に関連する血中の物質が、活動前と活動後でどの程度変化するかを調べました。その結果、ダンスやサイクリングよりも、歌唱の方が有意的な差で上昇することが明らかになりました ※1

つまり、他のアクティビティを行うよりも歌を歌った方が、より幸福感を得る生活を送ることができることが示唆されます。また、他の研究では、一人で歌うよりも合唱等、複数の人たちで歌う活動の方が、社会的繋がりや気分の高揚等の点で、より良いことが示されています ※2

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子どもたちの音楽教育に関する調査では、2017年にイギリスの新聞に「どのように学校の成果を上げるか:数学の追加ではなく音楽を」という内容の記事が掲載されました。そこには、学校で音楽の授業(1週間あたり最大6時間)を導入したところ、算数や読み書きの成績が学校全体で上がったことが報告されています ※3

また、アメリカの研究では、小学校で優れた音楽プログラムを受講している児童は、不十分な音楽プログラムを受けている児童よりも、英語や算数の成績が20%以上高いことが明らかにされています。また、質の高い器楽教育を受けている生徒は音楽プログラムのない学校に通う生徒よりも、英語の成績が19%高いと報告があります。つまり、良い音楽教育は、語学や数学といった他の教科での好成績と関係があることが示されました ※4

また2012年のアメリカでの調査では、音楽を受講した生徒は、読解、数学、記述の試験において平均点より高い結果を残したことが報告されています ※5

“Power of Music” – 音楽の力–

様々な研究がある中でも、音楽教育の有効性についてまとめられた成果として、ロンドン大学のスーザン・ハラム教授による「Power of Music(音楽の力)」を紹介したいと思います。2010年に論文として発表された後、2015年にはもっと広範囲の視点を加え、詳細な検討が記載された本が出版されました ※6

そこには、音楽活動の有効性についての多岐に渡る研究が非常によく検討されていますが、主に以下のような内容への音楽の有効性を結論づけています。

【知覚と言語能力】

音楽と言語に関する研究は昔から多く行われています。音楽への積極的関与は、聴覚的な知覚や音韻認識能力の向上を助けることが証明されています。また、音楽の訓練を受けている子どもは、受けていない子どもよりも、言語テストにおいて成績が上回っている例なども示されています。スピーチのピッチなどの音声的特徴を捉える力は、音楽のメロディを捉える力に関する音楽的知覚能力と関係があります。

【知的発達】

音楽の学習は、知的能力の発達を促進することも研究されてきています。2004年にSchellenbergが行なった研究では、音楽の授業を1年間受けた子どもは、受けなかった子どもよりも1年後のIQテストにおいて有意な得点上昇が見られたとされています。また、他の研究では就学時前の子どもに対して、どのような音楽活動がより有効かを調べました。ピアノ、歌、リズムレッスン、コンピュータのそれぞれのグループで2年間の教授を受けた結果、音楽の学習を行った子どもたちは、何も受けていない子どもたちよりも、物や出来事の心的イメージを行う課題で良い成績を残しました。更に、リズムレッスンを受けた子どもたちは、他のどのグループよりも時間的認知と数学的能力が有意に高いことが分かりました。

【創造性】

高等教育において音楽を専攻する学生は、そうでない学生たちよりも、創造性のテストにおいて好成績を残し、特に10年以上の音楽教育を受けた人たちにより顕著に現れました。また、創造性の育成には音楽への取り組み方も影響があるとされています。教科書を用いた講義中心の教授法でなく、即興演奏の機会がある子どもの方がより創造性が育まれることが示されています。音楽の学びの中に創造的な活動を含むことが重要であることが示唆されます。

【社会的発達および自己啓発】

音楽活動に参加する人たちは、社会性の発達や個人的な恩恵が期待できることが研究されてきました。音楽活動への従事は、自尊心の形成、自己規制の能力、チームワークの力の育成などに有益であることがわかっています。学校生活での音楽活動においても、志を同じくする仲間との友情形成や社会生活への貢献などの面で有益であることが示されてきました。

また、集中力や自己統制、勉強する際のリラックスの効果などの点でも役立つことが示されています。ある研究では、演奏(音楽)に込められている感情を読み取る能力と、一般的なEQ(Emotional Intelligence: 心の知能指数)には有意に関係があることが証明されました。音楽における感情を読み取る力は日常生活における感情のスキルも引き出してくれることが分かります。

ハラム教授の研究には、これらの他にも読み書き、算数(数学)、一般的な知識、身体的発達、健康や良好な生活状態など、様々な面で音楽活動や音楽教育が貢献することが示されています。

 

音楽のある生活は、もちろん音楽それ自体を楽しみ、音楽的な能力の育成自体に貢献することは明らかですが、それ以外の認知能力や社会生活を送る上での様々なスキルの育成、強いては生活の質の向上にも貢献することが分かっています。世界で一人でも多くの人が音楽教育を受ける機会に恵まれたら、きっとより豊かな人生を送ることができる可能性を広げることができるのではないでしょうか。

  • ※1 Stone NL, Millar SA, Herrod PJJ, Barrett DA, Ortori CA, Mellon VA and O’Sullivan SE (2018) An Analysis of Endocannabinoid Concentrations and Mood Following Singing and Exercise in Healthy Volunteers. Front. Behav. Neurosci. 12:269. doi: 10.3389/fnbeh.2018.00269
  • ※2 Schladt, T. M., Nordmann, G. C., Emilius, R., Kudielka, B. M., de Jong, T. R., and Neumann, I. D. (2017). Choir versus solo singing: effects on mood, and salivary oxytocin and cortisol concentrations. Front. Hum. Neurosci. 11:430. doi: 10.3389/fnhum.2017.00430
  • ※3 Halliday, J. (2017, October 3). How to improve the school results: not extra maths but music, loads of it. The Guardian. Retrieved from: https://www.theguardian.com/education/2017/oct/03/school-results-music-bradford
  • ※4 Johnson, C. M. and Memmott, J. E. (2006). Examination of Relationships between Participation in School Music Programs of Differing Quality and Standardized Test Results. Journal of Research in Music Education, 54 (4) 293-307.
  • ※5 The College Board (2012). Total Group Profile Report. Retrieved from: http://secure-media.collegeboard.org/digitalServices/pdf/research/TotalGroup-2012.pdf
  • ※6 Hallam, S. (2010). The Power of Music: Its Impact on the Intellectual, Social and Personal Development of Children and Young People. International Journal of Music Education, 28(3), 269-289.
    Hallam, S. (2015). The Power of Music: A Research Synthesis on the Impact of Actively Making Music on the Intellectual, Social and Personal Development of Children and Young People. London: iMerc.
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イギリスの音楽教育 /onkenscope/morijiriyuki2_chapter1/ Mon, 10 Jun 2019 10:11:48 0 森尻 有貴(もりじり ゆき) 東京学芸大学 教育学部 講師 /onkenscope/?p=4948

日本の音楽教育を受けた人たちは、自分たちの経験してきたものが世界の中でどのような水準にあるのか、という視点で捉えることはあまりないかもしれません。私もイギリスに行くまでは、自分が受けてきた音楽教育が基準であり、それが「普通」だと思っていました。しかし、世界には私たちが捉えている音楽教育とは異なることがたくさんあり、その実態も様々です。ここでは、主にイギリス(イングランド ※1)の実態を中心に、日本の音楽教育と比較して考えてみたいと思います。

音楽が出来ることは有利になる?

日本では、ピアノが弾けたり、ヴァイオリンが弾けたり、というのは、主に学校外での習い事で培われる能力として、趣味や教養の一部のような位置付けがあると思います。ところが、イギリスの小学校や中学校で“音楽が出来る”ことは、少し異なる側面を持っています。

 

イギリスにはABRSM検定(Associated Board of the Royal Schools of Music: 英国王立音楽検定)やTrinity’s music exams(トリニティ音楽試験)などの音楽検定試験があり、歌唱や楽器ごとにグレード(級)が設定されています。それを受験して合格すると、資格のような効力があるので、中学校受験で奨学金をもらえる対象となったりします。日本で言う「英検」のような機能があります。つまり、学校教育の中で効力があり、児童・生徒はそれによって制度的に恩恵を受ける機会があるということです。

 

イギリスの学校では(主に私立の学校)、学校でピアノやフルート、ヴァイオリンのレッスンが受けられる学校が多く存在します。しかも放課後にレッスンを受けるのではなく、普通に授業が行われている日中に、レッスンを受けに生徒が授業を抜けてレッスン室にやってきます。日本では、ちょっと考えられない光景かもしれません。

 

音楽検定試験も、学校で受けることが出来たりします。これは音楽大学を卒業した人たちにとっても、雇用の機会や生活の安定性という点で貢献しています。

学校での音楽教育

日本の学校では、小学校でも中学校でも週に1~2時間音楽の授業があって、歌を歌ったり、楽器を演奏したり、音楽を聴いたり、音楽をつくったりする活動が行われます。音楽集会や合唱祭なども学校内で開催されたりします。

 

しかし、イギリスでは、週に何時間音楽の授業をしなければいけない、という基準はなく、国定教科書もありません。先生が楽曲を選んだり教材を作成したりして、子どもたちはそれを使いますが、楽譜を使わずに学ぶ機会も多いです。

特に小学校では、耳から聴いて歌を覚える聴唱法が多く見られ、CMM(Creative Music Making:創造的音楽学習)の先駆けとなったイギリスならではの創作活動も多く取り入れられています。また、学校に音楽家が来て授業をするようなアウト・リーチの機会も多く、地域の音楽機関が提供するサービスとの結びつきも強いため、学校にも寄りますが多様な機会があることも特徴です。

 

一方で、日本では、中学校でも音楽の授業が毎週のように行われていると思いますが、実はイギリスには音楽の授業を行わない中等教育学校もあります。サセックス大学が行なった調査では、13-14歳(日本の中学1-2年)の生徒が必修で音楽を学習している学校は、2012-13年では84%でした。それが2017年の調査では、47.5%にまで下がっているのです ※2。なぜそのようなことが起きたのでしょうか。

音楽教育を取り巻く厳しい環境

日本には「主要5教科」という言葉があり、そこには音楽科は含まれておらず、どちらかと言うと音楽は学校教育の中で「学問」としての取り扱われ方が比較的低い印象かと思います。

イギリスでは中等教育の修了時にGCSE(General Certificate for Secondary Education)という試験があり、この音楽の試験は、日本の中学校修了時よりかなり学術的な内容が含まれています。楽典や作曲技法、音楽史なども含まれています。GCSEには必修科目と選択科目がありますが、音楽は選択科目に分類されています。

 

2010年、イギリス政府は英国バカロレア資格としてEBacc(English Baccalaureates)を発表しました。ここには、イギリスの学校教育での主要な科目が明示され、それらが各学校の評価基準にもなるとされました。そこには語学や科学、数学などは含まれていますが、音楽はリストにありませんでした。

つまり、どんなに学校で音楽教育を充実させても、政府からの公な評価の対象にならないとなると、学校によってはやはり主要科目の方を強化しよう、という流れになるのも時間の問題でした。おおよそ6割の学校は、このEBaccは学校での音楽学習にネガティブな影響を与えると回答し、実際に音楽をGCSEの試験科目として受験する生徒が減っています。

教育調査局(Ofquel)の調査によると、2015年はGCSEで音楽を受験した生徒は43,370人、2018年では35,895人に減少しました(図1) ※3。中学校でもクラス全員で3年間、音楽の授業が受けられる日本は、ある意味恵まれているのかもしれません。

図1 イギリスにおけるGCSE(音楽)の受験者数の推移

このような状況に対してイギリスの音楽家や音楽教育者が黙っているわけにはいきません。音楽が学校から消えてしまうのではないか、と危惧しました。

ロンドン交響楽団の音楽監督であるサイモン・ラトルは2018年5月、英国タイムズ誌に、「すべての子どもが音楽に接することは生得権であり、音楽を始めとする芸術や文化の教育を充実させることは、子どもたちの将来性や新たな世界に向き合っていくこと、強いては世の中を良くしていくことに必要不可欠である」との声明を送りました ※4

 

音楽の学習は大切である、と声を挙げ訴える音楽家や音楽教育者がたくさんいましたが、社会的にその理解を得たり、根拠を持って証明したりするのは容易いことではありません。音楽教育の研究者たちは「音楽を学習するとこんなに良いことがある」という事実を証明しようと、過去数十年にも渡って取り組んできました。

次回は、そんな研究の一部を紹介したいと思います。

  • ※1 本稿におけるイギリスとは、イングランドのことを指します。
  • ※2 Weale, S. (2018, October 10). Music disappearing from curriculum, schools survey shows. The Guardian. Retrieved from: https://www.theguardian.com/education/2018/oct/10/music-disappearing-school-curriculum-england-survey-gcse-a-level
    Daubney, A.& Mackrill, D. (2017). Music education at significant risk of disappearing as a sustained curriculum offer no longer the norm in secondary. University of Sussex.
  • ※3 Ofquel (2018). Report – summer 2018 exam entries GCSEs Level1_2 AS and A levels. Ref: Ofqual/18/6368/1
  • ※4 (2018, May 18). The value of arts education to our prosperity. The Times. 18/May/2018
    Davis, E. (2018, May 31). Dramatic fall in number of students studying Music at GCSE. Classic FM. Retrieved from: https://www.classicfm.com/music-news/decline-music-gcse-ebacc/
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子どもの脳の発達の『旬』と、“聞く力”の大切さ /onkenscope/katotoshinori1_chapter2/ Wed, 29 May 2019 11:58:44 0 /onkenscope/?p=5005 得意 or 苦手なことは、脳の働き方の違いにあった /onkenscope/katotoshinori1_chapter1/ Thu, 23 May 2019 11:41:38 0 /onkenscope/?p=4943 親子の絆を強くする「歌いかけ」3つのコツ /onkenscope/shimurayouko2_chapter2/ Wed, 08 May 2019 10:56:29 0 /onkenscope/?p=4932 赤ちゃんの言葉を育てる「マザリーズ」知ってる? /onkenscope/shimurayouko2_chapter1/ Fri, 12 Apr 2019 16:40:14 0 /onkenscope/?p=4900 「心地よい」「おもしろいから聴く」が生むもの /onkenscope/ogawayouko2_chapter2/ Mon, 18 Mar 2019 09:57:40 0 /onkenscope/?p=4885 そもそも「よい耳」ってどんな耳? /onkenscope/ogawayouko2_chapter1/ Thu, 07 Feb 2019 14:03:43 0 /onkenscope/?p=3788 御浜-紀宝プロジェクトの意義 /onkenscope/satoumasayuki2_chapter3/ Thu, 07 Feb 2019 11:05:37 0 佐藤 正之(さとう まさゆき) 三重大学大学院 医学系研究科 認知症医療学講座 准教授/三重大学医学部附属病院 音楽療法室 室長 /onkenscope/?p=3776

御浜-紀宝プロジェクトのエビデンスとしての意味と限界

前述のように、認知症に対する非薬物療法のエビデンスは、現時点では高くありません。科学的批判に耐えうる、一定のクォリティを持った研究を今後積み重ねていくことによってエビデンスとして確立していくでしょう。“御浜-紀宝プロジェクト”の結果は、音楽のもつ新たな可能性に光を当てたものとして注目されます。

 

注意を要するのは、今回の結果はあくまでヤマハの“健康と音楽”に基づいて作成されたコンテンツを用いることにより得られた結果である、ということです。言い換えますと今回の結果は、このコンテンツにのみ保証されており、他のコンテンツを用いたときに同様の結果が得られることをも保証するものではありません。それについては別途検証する必要があります。

 

これは、薬物治療を考えると理解できます。ある疾患に薬物Aの有効性が明らかになっているとき、似た化学組成を有する物質Bでも当然有効性が期待されます。しかし、実際に物質Bが薬物として成立するか否かは、ヒトを対象とした臨床研究 (治験といいます) を通して明らかにする必要があります。そのような想定のもとに開発されたにも関わらず効果が乏しかった、あるいは思わぬ副作用で薬物たり得なかった物質は枚挙に暇がありません。

 

従って今回の結果は、“どんな体操にどんな音楽伴奏を付けても効果がある”ということを保証しているのではないのです。音楽と体操を組み合わせた研究が多くなされ、おしなべて有効性が示されたときに、両者の組み合わせは普遍的意味をもつようになります。

 

“御浜-紀宝プロジェクト”により、有効性の確認された非薬物療法の手段のひとつを、われわれ臨床家は得ることができました。また、どのような枠組みで何を調べたら良いかも分かりました。われわれのグループはこれらの取り組みを推進できる、世界でも稀有な存在と自負しています。

地域ネットワークの構築という意義

認知症の原因疾患の多くは、未だ根治が困難なものです。病期が進むにつれ、医療の比重が減り、介護・福祉の重要性が高まります。認知症に関連する専門医は、国内に約1,500人います。単純計算すると一人の専門医が3,000名余りの認知症患者を診療することになりますが、これは不可能です。

 

さらに、少子化と核家族化が進み、従来のような家族や血縁者による介護だけでは成り立たなくなっています。必要なのは、地域におけるネットワーク、横のつながりです。

 

“御浜-紀宝プロジェクト”では、参加者が週1回保健師や他の参加者と顔を合わせることにより、自然と“顔の見える関係”が出来上がっていきました。欠席が続いたり、様子に少し違和感があることに周囲が気付き、いち早く保健師が介入し問題解決に至った例があります。また、町が行う高齢者向けの他の取り組みは、1年後の継続率は30~40%であるのに対し、“御浜-紀宝プロジェクト”では約70%の方が1年後も出席されていました。さらに、1年間の研究期間後も「是非続けたい」との希望が多く寄せられ、現在では住民自身が主催する取り組みとして継続し、すでに5年が経過しています。

 

このように、継続性に優れ、地域ネットワークの構築にも役立つ本法は、限られた人的・経済的資源を活かすという意味でも優れていると思われます。過疎や高齢化、乏しい財源に悩む日本の多くの自治体と地域にとって、御浜-紀宝プロジェクトの取り組みが、問題解決のひとつの有効な手段として活用されていくことを願って止みません。

事業・ビジネスとしての御浜-紀宝プロジェクトの意義と将来性

平成27年に厚労省が発表した「認知症施策推進総合戦略 ~認知症高齢者等にやさしい地域づくりに向けて~」別名“新オレンジプラン”では、認知症の予防やリハビリテーションの開発・普及も重点課題に挙げられ、「住民や企業が一体となって地域全体として取組を推進」していくことが重要と記載されています。

 

“御浜-紀宝プロジェクト”で産官学共同研究を行ってみて、産と官とが認知症予防・リハビリのハード、ソフトの両面でコラボできることが分かりました。国の方針に従い、各自治体には予算が配られ事業の展開が求められます。しかし、様々な事業に即応できる人的パワーを有する自治体は限られています。むしろ「お金と場所はあるが、ノウハウがない」、つまりハードはあるがソフトがないという自治体が多いです。

 

一方、ヤマハはコンテンツとそれを指導するトレーナーは持っていますが、音楽レッスンに用いられる教室はピアノやオルガンが置かれており体操をするスペースがない。言い換えるとソフトはあるがハードがない、という状態です。そこで、両者がコラボすることにより、自治体はお金と場所を、ヤマハはコンテンツとトレーナーを提供することによりwin-winの関係での協力が可能となりました。しかも、“御浜-紀宝プロジェクト”では御浜町・紀宝町とヤマハとの間に契約が取り交わされすでに協力体制の鋳型が出来上がっています。従って、全国の自治体ですぐにでも展開が可能です。

 

さらに、増え続ける高齢者のなかで、認知症予防・リハビリの需要は増えこそすれ減ることは、少なくともこの先数十年ありません。社会に貢献しつつビジネスとしても成立する将来性を“御浜-紀宝プロジェクト”は有しています。その輪の中心に、われわれは立ち続けたいと願っています。

おわりに

音楽は大きな力を秘めています。その魅力は多くのひとを惹きつけて止みません。魅力的である分、エビデンスに基づかない出鱈目なものも出回っています。さらに、療法士が自身の好みと信念だけに基づいて行うセッションは、時として参加者に害を与えたりします。

 

わたしは、魅力的なものほど厳しい評価に耐えるものでないといけないと考えます。本稿を読まれた方にその片鱗でもお伝えすることが出来たなら、その目的は達したと言えます。

 

 

(おわり)

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御浜-紀宝プロジェクト/スキャン・プロジェクト /onkenscope/satoumasayuki2_chapter2/ Fri, 01 Feb 2019 16:34:33 0 佐藤 正之(さとう まさゆき) 三重大学大学院 医学系研究科 認知症医療学講座 准教授/三重大学医学部附属病院 音楽療法室 室長 /onkenscope/?p=3761

複数の非薬物療法の融合

前記のように、認知症に対する運動療法の有効性はエビデンスが確立しています。では、運動と他の非薬物療法を組み合わせるとさらに効果が高まるのではないでしょうか。この疑問について調べた報告が数編あります (Fabre 2002; Oswald 2006; Suzuki 2013)※1; ※2※3。いずれも運動療法と認知刺激療法を組み合わせたもので、歩いたり体操をしながら計算などの認知課題を行うと有効性が増すと報告しています。わが国でも愛知県にある国立長寿医療研究センターが、運動と認知課題を組み合わせた訓練を“コグニサイズ”と称して推奨しています。今後のさらなる発展が期待されます。

御浜-紀宝プロジェクト

運動療法と認知刺激療法の組み合わせで効果が増大するならば、運動療法と音楽療法を組み合わせても運動療法だけの時よりも認知機能への改善効果が高まるのではないでしょうか?筆者は、三重県御浜町・紀宝町、ヤマハ音楽研究所との産官学共同研究で、地域在住健常高齢者の認知機能の維持・改善を目的とした音楽体操を用いた非薬物的介入である“御浜-紀宝プロジェクト”を行いました。結果は、権威ある医学国際誌のPLOS ONEに掲載されました (Satoh 2014)※4

舞台となった三重県御浜町・紀宝町はともに紀伊半島の南端に位置する小さな町。人口減少、高齢化、医療過疎に悩み、高齢化率は30数%で、地区によっては50%を超えるところもあります。いわば“20年後の日本を先取りしている地域”で、これらの町で成功した事業は日本の他地域でも役立つ、反対に失敗した事業は他地域では反面教師として行わないでおく、という意味で注目されている地域です。

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対象は、三重県御浜町・紀宝町に在住の健常高齢者202名。運動教室への参加を希望した163名を二群 (音楽体操群、体操群) に分け、プロのインストラクターの指導のもと、週1回、1時間の運動を1年間行いました 。

 

音楽体操群にはヤマハが開発した音楽の伴奏の付いた運動である“健康と音楽”のコンテンツを (図1)、体操群には運動の内容は音楽体操群と同一ですが音楽の代わりに太鼓で拍だけを付けた運動を用いました。

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図1 音楽体操群のセッション例

“健康と音楽”は10年以上前にヤマハが開発した高齢者向けの体操で、スポーツの専門家が設定した運動にヤマハが適切な音楽伴奏を付けたものです。

講師は特別なトレーニングを積んだヤマハの音楽教師が務め、これまでに8,000人、現在も約3,000人のお年寄りが受講されています。

音楽体操群と体操群への介入期間の前後に神経心理検査を行い、認知機能の変化についてそれぞれ検討しました。脳検査群として1年間隔で検査を2回行う39名を設定しました。検査は、知能や記憶、前頭葉機能、視空間認知に関する神経心理検査を行いました。また、呼吸機能として肺活量を調べています。それらを一年間の介入期間の前後で施行しています。

結果を示します (図2-5)。左端が音楽体操群、真ん中が体操群、右端が脳検査群で、水色が介入前、紫が介入後です。p値が0.05未満の時、1年後に有意に(偶然ではなく)改善したことを意味しています。

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図2 視空間認知

視空間認知は音楽体操群と体操群で有意差をもって改善していましたが、その程度は音楽体操群でより顕著でした。

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図3 MMSE(全般的知能)

全般的知能は音楽体操群でのみ有意差をもって改善しています。

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図4 LM-I(記憶検査)

記憶検査は音楽体操群と体操群の両方で改善しています。これは運動すると記憶が改善するという先行研究の結果と一致する内容です。

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図5 %VC(肺活量)

肺活量は、当然運動を行った二群のほうが一年後には改善し、しなかった脳検査群は変化はありませんでした。

以上より、音楽体操は、高齢者の認知機能をより改善することが明らかになりました。言い換えると、音楽伴奏が付くことにより、運動だけの時よりも、運動による認知機能維持・改善の効果がより高まったといえます。

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同時にわたしたちは、訓練期間の前後に脳MRIを施行し、voxel-based morphometry (VBM) という手法を用いて1年間での脳の容積の変化を調べました (Tabei 2017)※5。解析の結果を図6に示します。

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図6 脳形態計測(Voxel-based morphometry; VBM)

ここでは1年間で容積が有意に大きくなった部分に赤色が付いています。脳検査群をみるとどこにも赤色がありません。このことは1年間で大きくなった部位は脳になかった、言い換えると、1年間で脳の容積は少し小さくなったことを示しています。これは、加齢に伴う生理的な萎縮で、正常な老化現象といえます。

 

体操群と音楽体操群では主に前頭葉に赤色が付いていましたが、その程度・範囲ともに音楽体操群の方が顕著です。つまり、運動により加齢による脳の萎縮が防げただけでなく、その容積を部分的に増やすことができ、しかもその効果は音楽の伴奏が付いている方がより顕著であることを意味しています。

 

これは驚くべき結果です。一般的に脳の神経細胞は20歳くらいをピークにその後は減り続け、脳の容積は減ることはあっても増えることはないと考えられています。

 

しかし今回の研究は、音楽体操により高齢者の認知機能が高まり、それに並行して脳の容積も増加することを明らかにしました。増加分はおそらくは神経細胞を支えるグリア細胞や神経細胞同士を連絡するシナプスの増加によるものと考えられます。

わたしたちが思っていた以上にひとの脳は秘めた能力を持っていると言えます。

  • ※1 Fabre C, Chamari K, Mucci P, Massé-Biron J, Préfaut C. Improvement of cognitive function by mental and/or individualized aerobic training in healthy elderly subjects. Int J Sport Med 23(6): 415-421, 2002.
  • ※2 Oswald WD, Gunzelmann T, Rupprecht R, Hagen B. Differential effects of single versus combined cognitive and physical training with adults: the SimA study in a 5-year perspective. Eur J Ageing 3: 179-192, 2006.
  • ※3 Suzuki T, Shimada H, Makizako H, Doi T, Yoshida D, Ito K, Shimokata H, Washimi Y, Endo H, Kato T. A randomized controlled trial of multicomponent exercise in older adults with mild cognitive impairment. PLOS ONE 8(4): e61483. Doi: 10.1371/journal.pone.0061483, 2013
  • ※4 Satoh M, Ogawa J, Tokita T, Nakaguchi N, Nakao K, Kida H, Tomimoto T. The effects of physical exercise with music on cognitive function of elderly people: Mihama-Kiho project. PLOS ONE, April 2014, Volume 9, Issue 4, doi:10.1371/journal.pone.0095230.
  • ※5 Tabei K, Satoh M, Ogawa J, Tokita T, Nakaguchi N, Nakao K, Kida H, Tomimoto H. Physical exercise with music reduces gray and white matter loss in the frontal cortex of elderly people: The Mihama-Kiho scan project. Front Aging Neurosci,. 07 June, 2017. Doi: 10.3389/fnagi.2017.00174.
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