ヤマハ音楽支援制度は、優れた音楽能力を有し、将来音楽分野で活躍が期待される若手音楽家への支援として「音楽奨学支援」(13歳以上~25歳以下)を実施しています。
今回は2018年度の支援対象者で、桐朋学園大学を経て、2019年2月よりスイスのチューリヒ芸術大学大学院に留学予定のマリンバ専攻 武井千晴さんにお話を伺いました。
プロフィール:武井千晴(タケイ チハル)1994年東京都生まれ
15歳よりマリンバを始める。都立総合芸術高校音楽科(旧 都立芸術高校)を経て、桐朋学園大学音楽学部、および同大学研究科卒業。現在、科目等履修生在学中。
2019年2月よりチューリヒ芸術大学(Die Zürcher Hochschule der Künste)大学院修士課程マリンバ専攻 入学予定。
これまでにマリンバおよび打楽器を村松ユリア、故塚田吉幸、藤井里佳、中村友子、安江佐和子の各氏に師事。 現在、安倍圭子氏に師事。
2014年 第23回Drum Festマリンバ国際コンクール(ポーランド)ジュニアの部にて、日本人初の第1位を受賞。
2015年より打楽器アンサンブルグループ「上野信一&PHONIX Reflexion」のメンバー。
2015年、2016年 第10回、第11回 安倍圭子国際マリンバアカデミーに参加、選抜者によるプレミアムコンサートに出演。
2017年 打楽器協会主催新人演奏会に出演。
2017年 済州国際音楽祭(韓国)にて、安倍圭子、浜まゆみ、塩浜玲子、張愛姈の各氏らと”Keiko Abe Marimba Orchestra”のメンバーとして共演。
2017年 瀬木芸術財団 2017年度短期海外研修奨学金を得て、”Keiko Abe Lausanne International Marimba Academy”(スイス)に参加。ディプロマを取得し、ファイナルコンサートに出演。
同年、東京にてソロリサタルを開催。
これまでに、ソリストとして「桐朋学園大学有志 安倍圭子オーケストラ」と3度共演。
安倍圭子作曲『プリズムラプソディー(2nd Edition)』の日本初演を行う。また、マリンバ室内楽作品の委嘱活動を行う他、マリンバ教室を開き後進の指導にもあたる。
音楽を始めたきっかけ
父はトランペット奏者、母はチェンバロの調律師で、物心ついた頃から、古典からジャズ、アメリカンポップスまで、常に音楽に溢れている家庭で育ちました。
もともと私は、音楽を聞くことや歌うことが大好きな子供でした。音楽の他にも、家の近くにある「八国山」(東京都東村山市)の森に行き、鳥の声、木々のざわめき、木の葉の揺れる音に耳を傾け、森の音、森の色彩感、そしてその空気感を感じることも大好きでした。
木琴に出逢ったのは小学6年生の時です。音楽の先生が、木琴の授業を行ってくださいました。木琴を初めて演奏したときに、その木の音の美しさに驚き、魅了され、昼休みの度に、毎日木琴を練習しに音楽室へ行っていました。そして中学3年生でマリンバに出逢うのですが、4本のマレットで演奏したときに、オルガンのような音の豊かさに思わず息をするのを忘れてしまうほど驚きました。子供の頃、あの「八国山」の森で聞いたときのような木々の優しい音や、時に恐ろしく荒々しい自然の音がするようなこの楽器を、私は演奏したいと思うようになりました。
影響を受けた音楽家
安倍圭子先生です。先生は、1969年に三木稔作曲『マリンバとオーケストラの協奏曲』を演奏した際に、ある問題に直面したそうです。それは、楽器の音量、音程、表現力の問題でした。大きなコンサートホールで演奏するには、当時の4オクターブの楽器ではそれらが不足しており、遠くまで音が響かず、音程も不安定で、楽器の開発が必要だと先生は考えました。そこで先生は、当時のヤマハの社長・川上源一氏に相談をもちかけ共同でマリンバを開発し、1984年にようやく現在世界のスタンダードとなっている1オクターブ低音が増えた5オクターブの「コンサート・マリンバ」がヤマハにより完成されました。
もし、安倍圭子先生という存在がいなければ、今のマリンバ音楽はなかったかもしれません。
先生は「民族楽器としての認識を超えて、ピアノやヴァイオリンなどの楽器のように音楽をダイレクトに伝えられる楽器としての評価を得たい」と願い、委嘱活動、自身の作曲、楽器開発など理想の音を求め続け、誰も歩いたことのない道を切り開いてきました。
このような安倍先生の強い志に影響を受け、私は「マリンバを通して、聴衆と音楽の感動を共有できるマリンビスト」になりたいと思うようになりました。
印象に残った経験
桐朋学園大学の同級生の弦楽器の友人に「マリンバってなに?」と聞かれたことはびっくりしました。マリンバの知名度が、自分が思っている以上に低いことにとても驚き、そしてがっかりしました。そんな中、学園祭で、友人と力を合わせて「安倍圭子オーケストラ」を作ったことはとても大切な思い出です。このオーケストラを通してマリンバという楽器をより沢山の人に知ってもらいたい、安倍圭子先生がマリンバを発展させてきたことや、マリンバ音楽の素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらいたいと思い、このオーケストラでマリンバ協奏曲を演奏しました。学内で、友人や初対面の方にも楽器を背負っている人を見かけては声をかけ、約60名のフルオーケストラを作りました。当初、自己満足の演奏会と思われたらどうしよう、というような不安もありましたが、そんなことも吹き飛んでしまうくらい、沢山の人がマリンバを知ってくださり、「マリンバはこんなにも芸術的な音楽を奏でることができる楽器で、音楽そのものに感動した」とお客さまからも、そしてオーケストラのメンバーにも言ってもらえたことは何よりも幸せでした。
今後どんな音楽をしていきたいか、今後チャレンジしたいこと、近い将来の夢
私はこれまで「安倍圭子オーケストラ」をはじめ、マリンバの魅力を発信する演奏会などを行ってきましたが、ピアノやヴァイオリンなど、マリンバより長い歴史を持つ楽器との室内楽の委嘱活動にも力を入れています。マリンバと他の楽器との作品は、まだ曲数が少ないため、マリンバ界をより発展させる新しい活動だと考え、強い信念をもってこの委嘱活動を行っています。この活動は今後ずっと続けていきたいです。
ヤマハのアーティストでもあるパーカッショングループ「PHONIX Reflexion」にも、学部生の頃より在籍しており、こちらでは、マリンバだけの室内楽の委嘱作品のCDを発売し楽譜を出版するなど、新しい歴史も切り開いてきました。こうして少しずつですが、マリンバの知名度は広まっていくと思いますし、たくさんの方々にマリンバの素晴らしさを伝えていけたらと思っています。また、安倍先生の作品のみでソロ・リサイタルを行ったこともあります。安倍先生はいつもマリンバの未来を考えてこられましたが、その想いを引き継ぐのは私たち直弟子の役目だと思っています。ポーランドの国際コンクールで優勝したときも、ヤマハのマリンバで先生の作品を演奏しました。演奏を終え歓声に包まれたとき、世界の人々の心を音楽で繋いでいくことができたという喜びを感じました。
私は、一人でも多くの人にマリンバの魅力を知ってもらいたいといつも考えています。
安倍先生のマリンバへの想いや、その功績、そして、先生の作品の音楽の素晴らしさなどを国内外で次の世代に伝えていけるような、そんな存在になりたいです。
今後マリンバという楽器をさらに広めるためには、日本のみならず海外でも多くのことに触れ、音楽の引き出しを増やす必要があると考えました。2019年2月よりチューリヒ芸術大学大学院に留学の予定です。いろいろなマリンバ音楽にも触れ、自身の音楽の幅を広げ人間としても成長できるよう勉学に励み、一層努力したいと思っています。
将来は、安倍圭子先生の作品を、世界の舞台で演奏し、聴衆に感動を与え、マリンバの知名度をゆるぎないものにしたいと思っています。マリンバはテクニックを誇示したパフォーマンスやビジュアルを誇張できる方向性を持っている楽器ですが、ピアノやヴァイオリンなどの歴史の長い楽器たちと同じレベルの土俵で、人々に感動を与えられる楽器として評価されないと、クラシック音楽の楽器として残れないかもしれません。マリンバの神髄を一人でも多くの方に聞いていただき、この楽器ならではの世界観を味わってほしいです。
マリンバの素晴らしい音楽を世界中の人と共有したい、それが私の夢です。