ヤマハ音楽支援制度は、優れた音楽能力を有し、将来音楽分野で活躍が期待される若手音楽家への支援として「音楽奨学支援」(13歳以上~25歳以下)を実施しています。
今回は2018年度の支援対象者で、現在ザルツブルク・モーツァルテウム大学で、指揮とピアノを勉強している大井駿さんにお話を伺いました。
プロフィール:大井 駿(オオイ シュン)ザルツブルク・モーツァルテウム大学
指揮科3年、ピアノ科4年在学中
1993年東京都出身
2014年8月 パリ地方音楽院ピアノ科を首席で卒業
2014年10月 ザルツブルク・モーツァルテウム大学ピアノ科入学
2015年8月 第9回 横浜国際コンクールピアノ部門第3位
2015年8月 第4回せんがわピアノオーディション優良賞
2015年10月 ザルツブルク・モーツァルテウム大学指揮科入学
2016年12月 イタリア国立カステルフランコ・ヴェーネト音楽院ピアノ科卒業
これまでに、ブルーノ・ヴァイル、ヨハネス・カリツケ、ラインハルト・ゲーベル、ジャン=マリ・コテ、アンドレアス・グロートホイゼン、マッシミリアーノ・フェラッティ、ジャック・ルヴィエ、林苑子、迫昭嘉の各氏に師事。
音楽を始めたきっかけ
まず、私の祖父は音楽がとても好きで、今の私と同じくらいの年齢の時には、毎月給料日になるとレコード屋さんに入り浸り、そのため生活費の工面に困ってしまうこともたびたびあったということです。また父もジャズをよく聴いており、母もかつてはピアノを弾いていたそうです。そんな中で、私が音楽を始めたのは4歳の頃に母がピアノを習わせてくれたのが最初でした。今では当時の記憶はほとんどありませんが、初めのうちはレッスンのたびにいつも居眠りをしていたそうです。
印象に残った経験・先生・レッスン
大きく自分を変えた初めての出来事は、中学2年生の時、マスタークラスを受講する目的で2週間ほど一人でウィーンへ行った時のことです。
それまでは、ピアノを弾いていても楽譜のインクの丸い染みを目で追って鍵盤を叩くだけの「ピアノを弾く」という作業のみで終わっていた印象があり、曲に感動することはあっても「こんなに素晴らしい曲は空から降ってきたか、どこからか湧いて出たものだろう」程度に思っていました。しかしこの時、30歳の若さで難聴になってしまったベートーヴェンが、絶望のあまり書いた遺書やその後用いた補聴器、そして彼の力強い打鍵によってすり減った象牙の鍵盤などを目の当たりにしたことで、「楽譜のインクの向こう側には、その時代の情勢や自身の運命を受け入れて一生懸命生きたその人の人生がある」ということを恐ろしいほどに感じました。そしてその人たちが命を削って書いた一つ一つの音符に対して、これらが持つ膨大な世界やロマンに興味を持ち、この瞬間に音楽家を目指したいと思いました。その後は普通科の高校に通っていましたが、それでも頭のどこかで常にヨーロッパで音楽を学びたいということを考えていました。
パリ地方音楽院ピアノ科を卒業し、オーストリアのザルツブルク・モーツァルテウム大学に入学した時はピアノ科のみで入学しました。この時は指揮の経験は全くありませんでしたが、音符の意味を考えることや、何十人もの演奏家を束ねて一つの音色を作る手助けをする「指揮者」という役割に興味を持っていました。その魅力に目がくらんだのか、指揮の勉強をしたこともないのに思い切って指揮科の入学試験に申し込み、それからはさまざまな本を読みあさり、指揮者の動きを研究しました。試験では、ソルフェージュ(聴音や複雑なリズムの理解)や楽曲分析をそれらのレベルが高いフランスで勉強したということが役立ったことを覚えています。
入学試験は5次試験まであり、1次は理論と分析、2次はアンサンブルとストラヴィンスキーの『兵士の物語』を抜粋で指揮、3次では2台ピアノとモーツァルトの交響曲のリハーサル、4次はピアノ実技とオペラの弾き歌い、そして5次の面接、といったプロセスで行われました。その中で毎回試験のたびに人が減り、最後に残った受験生が一人ずつ指揮科の部屋へ呼ばれていきます。自分の番が回ってきた時に、先生から「ようこそ、指揮科へ」と言われた時の溢れ出る感情は今でも強く心に残っています。この時私を選び、学ぶチャンスをくださった先生がたには本当に感謝しています。ただ、入試でアンサンブルを指揮するまで指揮というものを実践したことが全くなかったため、最初の指揮科のレッスンでは、課題のプッチーニ『ラ・ボエーム』の1小節目から本当に散々の出来でした。これは今でも思い出したくないくらいです。
モーツァルテウム大学の指揮科は数人の先生がクラスを受け持っています。中でも指揮科主任教授のブルーノ・ヴァイル先生は、常に楽譜を「正しく読み、解釈する」ということを重視されており、ほぼ全ての曲において自筆譜との比較や、作曲当時の慣習を知るために資料を読むことを欠かしません。そういった姿勢から学ぶことは大変重要で、音楽への向き合い方や深く突き詰めるということがどういったことなのかを教えてくださっています。そしてもう一人の指揮科教授、ラインハルト・ゲーベル先生は、古楽(初期古典派、18世紀までの音楽)のスペシャリストであり、メトロノームが存在しなかった当時の音楽のテンポに対して常に疑問を投げかけて、サイエンティフィックな視点から音楽を考えることの大切さを学んでいます。
影響を受けた音楽家・好きな音楽
小学生の頃、初めてラフマニノフの自作自演のCDを聴き、ピアノという楽器の持つあまりにも広く色彩豊かな世界に胸を打たれたことをよく覚えています。その衝撃は15年近くたった今でも鮮明に記憶しています。ルツェルンやローマ、ニューヨークへ行ったときも、インターネットや図書館でリサーチして、何かインスピレーションを得られないかと、彼にゆかりのある場所を探して行きました(いわば巡礼でしょうか)。
そしてブラームスも私にとって大切です。ブラームスは、音楽家として過去の作曲家やその音楽を尊ぶことを忘れず、今後の音楽がどうあるべきか、また過去の作品が今後どのように演奏されるべきであるかということを常に考えていました。そしてブラームスにとっては、バッハやベートーヴェンはすでに過去の人間であり、ブラームスが持っていた彼らへのこうした視点は、現代に生きるわれわれと非常に似ていたものであったことにとても親近感が湧きます。
今後取り組んでいきたい音楽
音楽は、楽しい時間、つらい時間、何もしていない時間、こちらが望めばどんな時でも常にそばにいて、優しく聴き手に寄り添ってくれます。音楽は人を裏切ることも突き放すこともありません。さらに音楽には幻想や夢の世界もわれわれに見せてくれます。音楽は学問としての面と、娯楽としての面が切っても切り離せない関係にある、ある意味で異色の分野です。だからこそ、アカデミックな観点から音楽を考えつつ、音楽を娯楽として自らも楽しめる「愛好家としての“アマチュア”」視点を持ち、聴き手にそっと寄り添う、インスピレーションとユーモアに溢れる音楽をしたいと思います。
今後チャレンジしたいこと、将来の夢など
大学でピアノを師事しているアンドレアス・グロートホイゼン先生は、ご自身が大学でピアノを専攻される前に医学や哲学を学ばれていたそうで、先生のレッスンでは実に様々な視点から音楽を見せてくださいます。先生から受ける影響はとても大きく、音楽をさらに追求するために敢えて違う視点を持つということの大切さや面白さを学んでいます。
今後、音楽をさらに客観的に見て、それを音楽に生かすために、音楽以外の分野の勉強もしたいです。そしてもう一点、ヨーロッパの人たちは、自分たちの国の言語以外にもたくさんの言葉を流暢に話し理解することができます。やはり西洋文化の根付く土地で、現地の言葉を自分のものにするということはとても大切だと思いますので、欲張って語学の能力もさらに高めたいです。
最後に、これはきっとかなり先の話になるかとは思いますが、自分がもっと大きな人間になった暁には、日本人として、海外で学んだ経験を日本の教育や文化に還元したいです。
夢や目標を語ればきりがありませんが、常に最も大切にしたいことは、ピアニストや指揮者であるよりも音楽家であり、そして音楽家であるよりも一人の芸術家でありたい、そう考えています。