研究活動支援対象者の活動レポート

前近代中国における十二平均律の受容
−清朝儒家の朱載堉評価をめぐって−立正大学 経済学部 田中有紀 准教授 インタビュー2015年11月25日 取材

音楽と並行発達した数学や天文学の文献へ、調査対象を拡大したい

こうした研究から、田中准教授は、現時点での結論として、朱載堉の十二平均律は「象数易と密接に結びつけられた理論だったこと」が理由で、多くの儒家に受容されなかったのではないかと考えています。

田中:清代の中国では、漢代に発達した象数易や宋代の「河図洛書」の学が、時代の流れの中で否定されつつありました。音律に対して数学的にアプローチした朱載堉の十二平均律もまた、そうした時代の流れの影響で、思想史の主流ではないものと定義され、受容されにくくなってしまったのではないか、と考えています。

この結論の信頼性をより高めていくため、田中准教授は今後も分析を続けていく予定です。また、テーマを音楽学だけではなく、天文学や数学を含めた学問にまで広げ、さらに研究を進めていきたいといいます。

田中:中国において音楽は、数学や天文学と並行して発展してきました。そのため、私が先行研究を否定する仮説を立てるためには、音律だけを取り出して研究するのでは足りず、音楽と隣接する数学や天文学も合わせて文献を調査・分析することが必要になるのです。また、明代~清代のほぼ同時代には、ヨーロッパでガリレオやニュートンなどの著名な科学者も生まれています。同時代に彼らがどう理論を構築したか。それを理解するために、中国だけではなく、ヨーロッパの科学者たちについても研究していきたいです。

田中有紀 准教授

今では世界中で広く普及する十二平均律ですが、一方で疑問を持つ人もいます。それは「十二平均律に耳が慣れてしまうと、音の自然な重なりがもたらす調和を感じられなくなり、鈍感になる」という意見であり、ピアノによって培った絶対音感を持つ人ほどかえってその傾向を持つといわれています。実際、十二平均律は音響学的に見ると、きれいな響きを持つ音の組み合わせは多くありません。現代の人々は十二平均律を受け入れたことで、音の響きを感じとる力が失われてしまったのではないか、と田中准教授は考えています。

田中:長きにわたって鍵盤楽器が普及してこなかった中国では、十二平均律に頼らず、自分の耳で聞いて音の良し悪しを判断してきました。その音の判断力という観点でいえば、中国が十二平均律を受容しなかったことは結果的に良いことだったのかもしれません。私の研究が、十二平均律を主とする現代の音楽において、音楽の多様性または音の本当の良さとは何かということについて、理解を深めるきっかけになればと願っています。

支援対象者プロフィール(取材時)

田中有紀 准教授

立正大学 経済学部

支援対象研究

課題名
前近代中国における十二平均律の受容
−清朝儒家の朱載堉評価をめぐって−
研究期間
平成26年4月~平成27年3月