研究活動支援対象者の活動レポート

前近代中国における十二平均律の受容
−清朝儒家の朱載堉評価をめぐって−立正大学 経済学部 田中有紀 准教授 インタビュー2015年11月25日 取材

中国思想史を専門とし、中国では思想との関連性が深い音楽についても研究している田中有紀准教授(以下、田中准教授)。在籍している立正大学では、中国思想のほかに中国語を教えているという田中准教授の研究「前近代中国における十二平均律の受容−清朝儒家の朱載堉評価をめぐって−」が、2014年度研究活動支援の対象になりました。今回は、この研究テーマに着目したきっかけと、その研究内容について、東京都品川区にある立正大学品川キャンパスでお話をうかがいました。

朱載堉が提唱した十二平均律は、なぜ中国で広まらなかったのか

十二平均律とは、1オクターブなどの音程を12等分した音律のことです。多くの楽器が十二平均律で調律を行うなど、一般的な音律として浸透しています。ヨーロッパでは17世紀ごろに発明され、以降の音楽近代化に大きな影響を与えました。その十二平均律ですが、実際はヨーロッパの学者よりも先に、中国の学者・朱載堉(しゅさいいく)が発明したという説が有力です。しかし、中国では、朱載堉が提唱した十二平均律という考え方はずっと浸透せず、近代まで評価する人がほとんどいませんでした。

田中:ヨーロッパで発明され浸透した十二平均律と、中国で朱載堉が発明した十二平均律。この2つは、1オクターブを等比数列で分割していくという発想に基づき、数学的に定義づけられたもので、理論的にほぼ同じものです。しかし、ヨーロッパでは受容された十二平均律が、中国では受容されず、音楽の近代化という点でヨーロッパに後れを取ってしまったのです。なぜ中国では十二平均律が浸透しなかったのか。この点についてずっと興味を持っていました。

朱載堉は、中国で長らく正統な音律とされてきた三分損益律(ピタゴラス律)を否定。1584年に自ら書き記した「律学新説」の中で十二平均律を発表したのです。この画期的な理論をテーマとする研究は、現在までに多くの研究者が取り組んできました。そうした先行研究では、明代から清代の中国で受け入れられなかった理由として、「当時の中国の儒教社会が封建的だったため」、あるいは「当時の儒家(儒学者)に科学的知見が不足していたため」とする仮説が主流でした。しかし、田中准教授はこうした仮説に疑問を抱いていたのです。

田中:私は、中国で十二平均律が浸透しなかった理由が、当時の中国の儒家が科学的知見で劣っていたからとは考えません。なぜなら、朱載堉の十二平均律に否定的な立場を取った儒家たちも、十二平均律の理論自体は理解していたからです。そこには、十二平均律を受け入れられない別の理由があるはずでした。

田中有紀 准教授

その別の理由を探るため、朱載堉の理論の中から十二平均律の部分だけを抜き出して研究するのではなく、十二平均律を含めた朱載堉の理論全体を研究対象とすることにした田中准教授。音律と暦・度量衡などの社会制度を支える仕組みが数を通じて相互に関連すると考えていた朱載堉の理論を、当時の儒家たちが、どのような思想的・社会的な背景のもと、どのように理解したのかを考察することにしました。

また、この研究により、中国とヨーロッパにおける十二平均律の受容の様子を比較することで、両者の思想の違いを明らかにする狙いもあったといいます。