
これまでの連載ではピアニストとしての、そして弟子としてのベートーヴェンの姿をお送りしました。作曲家としてだけではなく、音楽家としてのベートーヴェン像が少しご覧いただけたかと思います。
さて、ベートーヴェンは果たしてずーっと作曲ばかりしていたのでしょうか… いいえ!ベートーヴェンも一人の人間だったわけですから恋の一つや二つ、いや、たくさんの燃えるような恋をしていました。今回は、そんなロマンチストとしてのベートーヴェンをお送りいたします!
※冒頭の写真:ベートーヴェンと目を瞑る少女(F.ボーデンミュラー作・1880年)
初恋は14歳、お相手は貴族 〜エレオノーレ〜
ベートーヴェンの初恋は1784年から1788年にかけて、14歳から18歳の頃です。
お相手はボンの貴族・ブロイニング家の娘エレオノーレ(1771-1841)です。歳はベートーヴェンの一つ下。どんな関係だったかというと、ベートーヴェンがピアノを教えていた相手でした。
「ん?ベートーヴェンはまだ10代半ばをすぎたばかりで、もうピアノを教えていたの?」と思われるかも知れませんが、第1回の記事でもご紹介した通り、ベートーヴェンは13歳から少しずつ宮廷の指揮を任されるようになりました。演奏家としてのキャリアをスタートさせたと同時にレッスンもするようになったのですが、その相手がたった一つ年下で貴族ともなれば、血気盛んな年頃のベートーヴェンも気が気ではなかったでしょう。しかしお相手は貴族。当時の音楽家の身分は高いものではなかったため、この恋もうまくいきませんでした。恋破れてのち、ベートーヴェンはウィーンへと拠点を移します。それでも想いを忘れられなかったベートーヴェンはアタックし続けます。しかしエレオノーレは、なんとベートーヴェンのボン時代からの幼馴染みで、同じウィーンに住む医師フランツ・ヴェーゲラーと結婚します…!これはドラマですね!それでもベートーヴェンとヴェーゲラーの仲は良好だったのです。というのも…
未知の地での共通点に惹かれ… 〜マグダレーナ〜
ウィーンに来てもエレオノーレを忘れられずにいましたが、1794年に同じく故郷ボンから来た歌手マグダレーナ・ヴィルマン(1771-1801)に想いを寄せるようになります。ベートーヴェン家と元々繋がりがあったこともあり、親近感もひとしおだったことでしょう。最終的にプロポーズまでしたそうですが、悲しいことにその想いは拒絶されてしまいます。理由は「醜くて狂人だから」。仲が良くもないのにプロポーズしちゃったんですかね… この言いよう、身震いがします。
またもお相手は貴族! 〜ジュリエッタ〜
ベートーヴェンに新しい恋人ができます。ベートーヴェンはピアニストとしてウィーンで有名になり、貴族たちがこぞってピアノのレッスンを受けるようになりましたが、その中でも1800年に出会ったジュリエッタ・グイチャルディ(1784-1866)はベートーヴェンの心を大きく揺さぶることとなります。さて、当時のベートーヴェンは30歳、お相手は16歳。しかしベートーヴェンは本気でした。
こちらは友人に宛てた手紙の中で綴られている、ジュリエッタへの気持ちです。
「ぼくにはお互いに愛し合っている人がいるから、哀れな聴力にも耐えられる。彼女は本当に魅力的な人だ。結婚をして幸福になれるだろうなんて考えたのはこれが初めてだ。でもぼくと彼女は階級が違う。だから結婚なんてできないんだ。ぼくはせっせと働くだけなんだよ。」
結局この恋はベートーヴェンの半ば諦めもあり、破れてしまいます。
次にベートーヴェンの恋愛の対象になったのは、ジュリエッタのいとこでした。身近なところを攻めるスタイルです。
熱い恋愛も、圧力に負けて居留守 〜ヨゼフィーネ〜
元々ジュリエッタはブルンスヴィク家という貴族の紹介で知り合ったのですが、ベートーヴェンが次に恋に落ちたのはそのブルンスヴィク家の娘ヨゼフィーネ(1779-1821)でした。
1799年に始まった最初の関係はピアノの先生と弟子。途中、ヨゼフィーネはヨゼフ・デイム伯爵と結婚しますが、伯爵は1804年に他界。未亡人となったヨゼフィーネですが、ベートーヴェンはそのヨゼフィーネを好きになってしまったのです。
ヨゼフィーネ曰く、ベートーヴェンのピアノのレッスンはとても丁寧で、5時間近く続いたレッスンもあったようです。この2人のやりとりから片想いなのか両想いなのかは少々分かりづらいですが、ベートーヴェンはこんな熱烈な文を送っています。
「私がどれほどあなたを想っているかを伝えようにも、言葉というのは弱くて表現に乏しい… しかし、私たちの恋が長く、長く、長く続くように、そしてあなたがほんの少しでも幸せに、と願っています。あなたのために私の胸の鼓動は止まりそうです…」
(1805年春)
しかし身分を理由に家族から圧力をかけられたヨゼフィーネは、レッスンの時間になっても居留守を使い、疎遠になってしまいます。こうしてこの恋も終わります。
40歳の儚い恋 〜テレーゼ〜
40歳になったベートーヴェンは、友人から紹介された18歳のテレーゼ・マルファッティ(1792-1851)と恋仲になりました。こちらの恋は謎の多い関係ではありますが、ベートーヴェンは関係が始まって一年足らずでプロポーズをし、拒絶されてしまったのです。あっけないです… そして、あの『エリーゼのために』はテレーゼ・マルファッティのために作曲されたといわれています。しかしベートーヴェンの字が汚く、テレーゼ(Therese)ではなく、エリーゼ(Elise)と読まれてしまったとか、そうでないとか…
相手には家族が 〜アントニエ〜
最後にご紹介するのが、アントニエ・ブレンターノ(1780-1869)です。アントニエはなんと子持ちの既婚女性で、旦那さんは大富豪。いわゆる、不倫の仲です。実はアントニエと恋仲になる前はアントニエの旦那さんの妹ベッティーナを好きだったとも言われています。ベートーヴェンはアントニエに対し、2人で海を渡ってイギリスに住もうと提案までしていましたが、気持ちが傾かなかったアントニエは関係を終わらせます。
ドラマはまだ終わらない 〜不滅の恋人〜
ベートーヴェンの死後、ある手紙が見つかります。「不滅の恋人」へ宛てられたラブレターで、名前は全て伏せられています。その文面を一部ご紹介します。
「私を愛してください。今日も…昨日も…あなたを想う心は涙でいっぱいに溢れています…あなた…あなた…あなた…あなたは私の命…私のすべて…私は永遠にあなたのもの…あなたは永遠に私のもの…永遠に二人だけのもの…」
1812年に書かれたこの手紙、一体誰へ宛てて書かれたのかは未だに謎で、なんらかの理由でベートーヴェンはその想いを伝えることなく、引き出しにそっとしまったのです。その顔は、きっと涙いっぱいに溢れていたことでしょう。
こうして、結婚に対しての憧れを抱きつつも、誰とも結婚することなくこの世を去ってしまったベートーヴェン。身分の壁を超えてでも必死に自分の想いを伝え続け諦めなかったベートーヴェンのメンタリティは、どこか彼の音楽と通じるところがあるかもしれません。
ロマンチストとしてのベートーヴェンが、恋心に浸っている時に書いた曲を集めました。プレイリスト内の全ての曲が、ベートーヴェンの時代の楽器で演奏されていますのでお楽しみください。
※Chrome,Firefox,Edge,Opera,Safariよりお聞きいただけます。
エレオノーレ
1. モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」よりアリア「もし伯爵様が踊るなら」の主題による変奏曲 WoO.40
2. ロンド ト長調 WoO.41
この2曲はベートーヴェンがボンを離れ、ウィーンへ拠点を移してもエレオノーレのことが頭から離れず、1793年にウィーンからボンにいるエレオノーレへ書き送った作品。
3. ソナタ ハ長調 WoO.51
ウィーンからボンに書き送った1年後にエレオノーレのために書かれた作品。ピアノで演奏されるこの曲は、実はピアノのために書かれたのではなく、「オルフィカ」というギターのような鍵盤楽器のために書かれました。こちらでご紹介している録音もオルフィカによって演奏されている貴重な録音です。
マグダレーナ
4. アリア「初恋」 WoO.92
ソプラノ歌手だったマグダレーナのために書かれたと言われている作品。
ジュリエッタ
5. 幻想風ソナタ 作品27-2 (ピアノソナタ第14番「月光」)より第1楽章
元々ジュリエッタに捧げるために書かれたわけではないと言われていますが、この曲を捧げたという事実には大きな意味があります。ベートーヴェンによって付けられた正式名称は「幻想風ソナタ」です。先にあげた手紙にもあるように、少女に夢中になってしまったベートーヴェンは、それまでの音楽とは次元の違う世界観を持った、まさに幻想的なソナタを彼女に捧げたのです。
ヨゼフィーネ
6. 「君を想う」の主題による変奏曲
この曲は、姉妹でベートーヴェンにピアノを習っていたヨゼフィーネとテレーゼが二人で一緒に弾くことを想定し、連弾のために書かれました。
テレーゼ
7. バガテル「エリーゼのために」(第2稿)
字が汚なかったため、「テレーゼ」なのか「エリーゼ」なのか分からないものの、現在ではテレーゼのために書かれたというのが通説となっています。
8. ピアノソナタ第25番 作品79 より第1楽章
「かっこう」と呼ばれるこの曲は、初心者が弾くことを想定して書かれました。テレーゼに捧げられたことを考えると、テレーゼに弾いてもらうために書かれたのでしょう…
アントニエ
9. ディアベッリ変奏曲 作品120 より主題
ベートーヴェンのピアノ作品の中でも最も大きい曲の一つ、ディアベッリ変奏曲はアントニエに捧げられました。
10. ピアノソナタ第30番 作品109 より第2楽章
11. アレグレット 変ロ長調 WoO.39
ベートーヴェンが家庭を持っている女性と関係を結んでいたことをよく表す曲が、この2曲です。実はこの曲は、アントニエの娘マキシミリアーネに献呈されました。ベートーヴェンがイギリス移住を提案した際、娘のマキシミリアーネも一緒に連れていくことを考えていたのかもしれません。
※次回は11月に掲載予定です。
※Vol.1「ピアニストとしてのベートーヴェン」は こちらから>>>、Vol.2「弟子としてのベートーヴェン」は こちらから>>>ご覧いただけます。