学び・教養
2022年05月19日掲載 / この記事は約12分で読めます
時は平成に入り、幼児科テキストは1996年に8代目に、そして2006年に9代目『ぷらいまりー』へと改訂されます。現在のレッスンではこの9代目テキストが使用されています。6代目で構築されたテキストやカリキュラムの主な枠組みは7~9代目に継承されており、1990年代にヤマハ音楽教室は成熟期へ入っていたと言えるでしょう。他方、少子高齢化により子どもを取り巻く環境は著しく変化していきます。21世紀における音楽教室の在り方とは。挑戦と模索は続きます。
* ヤマハ株式会社は、1887年に山葉寅楠(1851-1916)が創業し、1897年に設立した日本楽器製造株式会社が前身です。現在の名称となったのは1987年ですが、本連載では読みやすさを考慮し1987年以前の出来事についても社名を「ヤマハ」で表記しています。
質と量をめぐる問題
1989年に元号は昭和から平成となりました。1996年、幼児科テキストは7代目から8代目の『ぷらいまりー』へと改訂されます。「ぷらいまりー」という名が初登場した5代目テキスト(『せこんだりー』と併用)から数えると、第4世代に当たります。
『ぷらいまりー(1996~)』(4巻)の表紙
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マーチとワルツ
8代目では「マーチとワルツ」というキャラクターが「ナビゲーター」に位置付けられました。彼らはテキスト等に静止画で掲載されるだけでなく、ビデオ教材においてはガイドの役割も担いました。やがて映像教材はビデオからDVDへと移行。6代目『ぷらいまりー』(1978~)の頃にはまだレコードが主流だった訳ですから(→本連載第9回)、その後数十年でデジタル化の波が一気に押し寄せたことになります。
この改訂と時期を前後して少子化現象が注目されるようになります。もともと「少子社会」という言葉は1992年の国民生活白書で提起されて世間一般的にも広まり、2005年には出生率※1が過去最低を記録しました。同年に日本は戦後初めての人口減少にも転じています。8代目『ぷらいまりー』の使用期間を通じて少子高齢化は進行し、家族の在り方も変化します。
また、1990年代に学校教育も大きな転換期を迎えました。1998~1999年の学習指導要領の改訂では、完全学校週5日制が導入され、授業時数等も削減。基礎・基本の確実な習得と、自ら学び自ら考える力などの「生きる力」の育成が目標に掲げられました。2001年に公開されたスタジオジブリの映画『千と千尋の神隠し』でも千尋が「生きる力」を取り戻していく姿が描かれましたね。休日の増加で子どもの習い事やクラブ活動などの時間や頻度も再検討され、子どもや保護者の生活リズムに影響しました。
学校週5日制は1992年から段階的に(月1回で始まり1994年から月2回)実施されており、1996年の改訂時にヤマハ音楽教室でも年間のレッスン回数を4回分減少すると決定されました。それに伴って幼児科で取り扱ってきたレパートリーや鑑賞など教材の曲数も減らしつつも、幼児科としての達成目標は従来どおりの水準を担保することでした。そのためレパートリーを核とする統合学習を強調し、学びのプロセスと体験の質を重視する教育観のもと8代目『ぷらいまりー』は制作されました。修業年限は先代と同じ2年間という設定です。
家庭学習の充実
8代目『ぷらいまりー』の改訂は、中山洋氏が中心となって進められました。中山氏は東京藝術大学でクラリネットを専攻し、ヤマハ音楽振興会に指導スタッフとして入職。わたしが初めてヤマハ関連の調査に加わった頃は、ヤマハ音楽研究所の所長で務めてらっしゃいました。
幼児科における総レッスン時間が短くなる中でも先代以上の学びの質を追求するため、1996年の改訂で特に注力されたことの一つが家庭用教材の充実です。例えば「レパートリー」は原則的に子どもが鍵盤楽器で弾くための教材なので、それまでの音源ではピアノかエレクトーンがメロディを弾き、オーケストラは伴奏の役割に徹するというコンチェルティーノ(小規模の協奏曲のこと)の形式が採られる傾向にありました。対して8代目の場合、子どもが音楽を楽しいと感じられる体験のきっかけとしてCDの役割が再定義され、レパートリーを含むさまざまな楽曲が生のオーケストラによって色彩豊かに表現されました。収録はロンドンで行われたそうです。子どもは自分が鍵盤で弾くパートを必ずしも鍵盤楽器で聴かなくても、音楽そのものを感じ取れるという発想です。
さらに家庭学習用のビデオ教材も、子どもが楽しいと感じ、レッスンに参加するモチベーションが喚起されるようなつくりになっています。旗振り役は先述の「マーチとワルツ」。「ぷらいまりービデオ」と名付けられ、テキストに準じて2年間で計4本あります。1本は30分ほどの長さです。
『ぷらいまりービデオ1』の一場面
鑑賞はいわゆるクラシック音楽の名曲と過去のJOC作品から1曲ずつ、計2曲の映像が収められているほか、歌唱や楽典の教材などを含みます。例えば鍵盤上の「ド」の位置を確認するような場面でも、いきなり解説するのではなくマーチやワルツあるいは彼らの仲間たちの会話を通して説明。子どもを惹き付けるさまざまな工夫がなされています。
保護者とのコミュニケーション強化
少子化の原因は未婚化、晩婚化や価値観の変化、環境的要因などさまざまな理由があると言われていますが、厚生労働省の調査によれば1997年以降、共働き世帯数が専業主婦世帯数を上回るようになりました。本連載でも紹介してきた、歴代テキストの巻頭文を読んでお気付きになっていた方もいるかもしれません。それは「おかあさまへ」で始まるのが通例で、その書き出しは7代目『ぷらいまりー』(1988~)まで続いていました。幼児科のレッスンは保護者同伴を基本にしていますが、レッスンに付き添ったり家庭で一緒に学習したりする役目には主に母親が想定されていたからですね。時代背景としてそれが普通とみなされていたのだと思います。
8代目『ぷらいまりー』になると、巻頭文は「保護者の方へ」に変わりました。当時のレッスンの記録映像等を見ると、付き添いは母親がほとんどですが、専業主婦ではない方も多かったでしょう。保護者の職業や年齢、生活スタイルの多様化とともに、親子で過ごす時間の長短も家庭による違いが大きくなっていきます。そこで8代目『ぷらいまりー』では、保護者に対して音楽教育の必要性や意義を意識的に伝え、理解を求めていくことが改めて重要であるとして、「グループコミュニケーション」という取り組みが導入されました。これは、講師と保護者、保護者同士の対話を促進する“運動”として展開され、ともに子どもを育てていく意識の醸成が図られました。
中山洋氏 近影
何事においても、上手くいっているものを“捨てる”のは難しい。6代目以降『ぷらいまりー』というテキストと一定のカリキュラムの枠組みができ上がっている中でレッスン回数を減らし、内容をいっそう精査するのは、ゼロから何かを作り出すのとは異なる生みの苦しみがあったと推察されます。8代目『ぷらいまりー』では中山氏が中心となり、レパートリーを中心に有機的に音楽の諸要素を関連付ける統合学習の発想でレッスン内容を凝縮するとともに、レッスン外の家庭学習の厚みをもたせることで新たな年間カリキュラムが構築されました。
改訂ではなくリフレッシュ
1996年改訂から10年後、2006年についに現行の『ぷらいまりー』が編纂されます。現段階で幼児科史上、現行の9代目テキストが最も長く使われています。制作の中心となったのは、指導スタッフの水戸瀬秀氏(現・参事/指導運営推進部部長)です。水戸瀬氏によれば、2006年の改訂は、厳密には“改訂”ではなく“リフレッシュ”と呼ばれました。どういうことでしょうか。
改めて振り返ると、1960年以来ヤマハ音楽教室ではテキスト改訂のたびに、先代のテキストで使用された楽曲が引き継がれたり、変更になったりしてきました。同じ楽曲を使う場合であっても、その曲が教材として本当に適正か、カリキュラムの位置付けも含めて多角的に検討が重ねられてきたといいます。それでも、1978年改訂でそれまでの実践と研究を総括して単独『ぷらいまりー』が誕生してからは、大がかりな教材の入れ替え等はほとんど行われない完成度にまで幼児科テキストは到達していた訳です。そうすると、確かに『ぷらいまりー』の改訂は従来のテキストの“改訂(部分的に改め直す)”とは少し意味が違うのかもしれません。
『ぷらいまりー(2006~)』(4巻)の表紙
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ただ、ヤマハ音楽教室を取り巻く環境はどんどん変化していきます。少子高齢化もインターネットの普及も加速度的に進み、音楽の習い事の位置付けも変わりました。ピアノと言えば専門家養成の個人レッスンに限られていた時代にヤマハ音楽教室の取り組みは始まりましたが、現代の子どもたちには音楽を含む無数の習い事の選択肢が用意されています。また、SNSなどネット上にあふれる情報は玉石混交。顧客のニーズを汲み取り最適解を提案するようなコンシェルジュがさまざまな業界で活躍するのもうなずけます。
そうした作り手と受け手との間でメッセージの送受信が難しい時代にあって、2006年の幼児科リフレッシュのテーマは「コミュニケーション」。子どもたちにわかりやすく、現場の講師たちが教えやすく、そして保護者の方々とわかち合える幼児科が目指されました。先代の「グループコミュニケーション」の運動を発展させ、保護者へのコミュニケーション活動もさらに強化されたのですね。
テキスト制作と指導法構築の両輪で
9代目テキスト『ぷらいまりー(第5世代)』は現在も使用されているため、内容や指導法の詳細は割愛したいと思いますが、いくつかの特徴を紹介しましょう。9代目も先代から基本的な枠組みはそのまま継承しているものの、特に『ぷらいまりー』1巻から2巻にかけての教材と構成には改善が試みられています。子どもがよりスムースかつ段階的に学べるようにするためです。水戸瀬氏はそれを「カリキュラムの隙間を埋める」と言い表していました。例えば、それまでのテキストでは3本の指で弾く《だいすきな パン》の次のレパートリーは5指の《うつくしいほし》だったのに対して、9代目ではそれらの間に4指の《ランランピクニック》を追加してなだらかなステップアップの道筋を示しています。
また、9代目『ぷらいまりー』になって「楽譜のないレパートリー」が初めて導入されました。文字どおりテキスト上に楽譜は掲載されていません。この項目については、鍵盤ソルフェージュの基本である「聴く-歌う-弾く」プロセスを通して最終的に子どもが1曲を演奏できるように指導が展開されます。レパートリーで達成される姿が鍵盤ソルフェージュによって可視化されることで、日々のレッスンで行われる鍵盤ソルフェージュの意味理解が促進されるのですね。さらにテンポや伴奏形を変えて曲想の変化の体験につなげるなど応用の利く教材にもなっていて、家庭用CDには曲のイメージがふくらむような音源が収められています。
水戸瀬秀氏 近影
最後に、水戸瀬氏のお話で特に印象的に残っているのは、やはり講師とのコミュニケーションというテーマです。水戸瀬氏ら指導スタッフという専門職の方々はテキストの開発・制作のほか全国の講師の採用・育成等も担っていますが(→本連載第9回)、現実に子どもの前に立つのはあくまで講師の先生方です。水戸瀬氏は、新しいテキスト導入にはいかに講師との協働が重要かを強調されていました。
子どもは大人の嘘を本能的に見抜けるのだと、わたしは思います。だからこそ、子どもはもちろん講師にとっても刺激的で夢中になれるようなカリキュラムであり続けること。指導者の本気を引き出せるテキストであること。尚且つ、全国的に指導の質と水準も保つこと。テキスト制作と指導法の追求はいつもセットなのだと、水戸瀬氏のお話を伺うと再確認できます。
- ※1 ここで言う「出生率」は、1人の女性が一生のうちに産む子どもの数の指標となる「合計特殊出生率」のことで、厚生労働省が毎年公表しています。
◇著者プロフィール
小山 文加(おやま あやか)
教育NPOに勤務しながら芸術・文化と教育・福祉領域を横断して研究に取り組む。国立音楽大学および洗足学園音楽大学非常勤講師。
東京学芸大学大学院(教育学修士)を経て、東京藝術大学大学院博士後期課程修了。大学院アカンサス音楽賞受賞。博士(学術)。専門は音楽史、アーツマネジメント。
アーツカウンシル東京調査員(2012~14年)、東京藝術大学音楽学部助教(2015~2019年)などを経て現職。港区文化芸術活動サポート事業調査員、ロームシアター京都リサーチャー(2020~2021)等を兼務。
ヤマハ音楽研究所では2009年から一部調査研究業務の委託を受け、アーカイブに関するプロジェクトに参画。