私は幼い頃からピアノに触れ、どういう音と音の組み合わせでどのような現象(物理的共鳴とその感覚、環境変化)が起こるのかということを自分なりに解釈しながら独学で作曲をしておりました。小学生の頃に代理和音の法則に気づき(3と7、9と13の音の入れ替え)、それが見事に綺麗な響きになるとわかった時の感動を今でも覚えております。当時は今ほど楽譜や音源が簡単に手に入らなかったので、スーパーに流れている曲や実家にあったCD等から代理和音的な響きを使っているものがないか、しらみ潰しに探した結果、Jazzに出会いました。見えない他者と法則性を共有できた喜びと同時に、大発見と思っていたことが常識だったことにショックを受けました。
それ以降は、音楽だけではなく、あらゆる現象の法則性や最適化問題のようなものを考え、学校のテストもいかに覚える量を最小限にして高得点が取れるかばかり考えて肝心の勉強が手につかず最終的に赤点をとったり、シェパードトーンからなる循環和音の3と7の音の交差が頭の中で永遠と鳴り続けて気が狂いそうになったりして家族に本気で相談したのを覚えています。
実は研究者になろうと思った記憶はあまりなく、むしろ昔から作曲家になろうと思っておりました。しかし作曲家は音楽の研究者でもあり、そういう意味では幼い頃から研究と実験を繰り返してきたのだと思います。
私は、研究をする上で将棋やチェスから多くのヒントを得ています。元々、物心つく頃から毎日スパルタ(?)のように父と将棋をやっていましたが一度も勝つことができず、父の部屋にあった必勝本のようなものを読んでも最初の1ページで眠気が襲う始末でした。
しかしあるとき、父が読破した必勝本の必勝法を考えれば必ず勝てるじゃないかと思い、対戦データと照らし合わせながら父の将棋モデルを考えてみました。
結果、自分の最高勝率ルートを計算するのではなく、相手の最高勝率ルートを相手に認識させるよう誘導(干渉)することで自分の勝率が上がることがわかりました(図1)。
最終的には90%位の確率で勝てるようになりましたが、自分はむしろ、いわゆる逸脱的な残りの10%の方に興味を持ち、「なぜヒトは、ごく稀に予測不能なことをしようとするのか」というテーマにぶつかりました。
考えてみると、既存の音楽理論に基づいて作曲された音楽にも少なからず個性がありますし、シェーンベルグの12音技法のように新しい理論をもとめていろいろな手段も取られてきました。
なぜヒトの創造性には、既存の知識の枠のなかに表現を納めようとする表現意欲と、既存の知識から逸脱しようとする表現意欲の相反する二つの力が互いに引き合うような形で存在しているのでしょうか。
相手の打つ手が白ブロック、自分の打つ手が黒ブロックとする。最終的に相手が [B] を打つと相手が勝ち、 [C] を打つと自分が勝つとする。相手が [A] を打った後、自分が [A’] を打つより、一旦 [B’] という手を介することで、相手は [B’] [D] [C’] [B] という勝ちへのルートを確信し、[D] [A’] [C] の危険性が見えなくなる可能性が高い。
この、干渉(コミュニケーション)、普遍法則とその逸脱性が、今の私の音楽研究のキーワードとなります。
将棋やチェスと音楽の創造性は似ていると思います。最初の第1手である程度目的地までの最適ルートが何パターンかでき上がること、各々の意思決定モデルは決して独立的に更新されるのではなく、他者とコミュニケーションし合っていること、そして、モデルの逸脱こそが進化の第一歩であることなどです。
各々の個性の共通分母を「普遍的法則」とするだけでなく、共通分母を差し引いた残りが個々の「芸術的才能の潜在的可能性」なのではないかと仮説を立てています。また、互いの個性のコミュニケーションにこそ普遍的法則が内在し、そのコミュニケーションが個性の助長にも寄与していると考えております。
高校の頃は、夜行バスで実家の青森から東京まで通い、大学の先生方から本格的に音楽理論を学びましたが、その音楽理論があまりにも利に敵いすぎていて違和感を感じ、もはや手も足も出なくなってしまいました。
高校3年間は音楽のことばかり考えておりましたが、別の視点を求め大学では医学を学ぶことにしました。一方、学部時代はレストランやラウンジでピアノの即興演奏や編曲の仕事もしていました。毎回ぶっつけ本番で即興演奏をしていましたが、直感的になればなるほど自分の個性が顕著にあらわれ、だんだんと飽きてくるので、時々逸脱した音を試してみたくなります。それによって、聴き手の表情が変化したり、本当に不快すぎて(演奏している自分自身も)お客さんに怒鳴られたりもしましたが、そこから創造性における普遍法則、他者干渉、逸脱性を体現したのだと思っています。
そして、創造性の個性とは何なのかという疑問がより顕在化し、それを解決すべく大学院に進学して音楽と脳の研究に取り組みました。
大学院時代は、指導教員から潜在学習というテーマを与えていただきました。潜在学習とは、意識や注意に依存せずに発動する脳に普遍的な学習システムであり、その神経メカニズムの1つとして統計学習が主張されています※1。これは、系列情報の遷移確率を意識下で脳が計算し学習するシステムであり、その潜在性ゆえに学習者本人は学習した知識に自身の行動が左右されていることに気づきません。
大学院時代の研究成果により、この統計学習効果を神経生理的に評価できることがわかり、音楽聴取時にも統計学習が行われている可能性を示唆しました※2。
学位取得後はすぐ、イギリスのオックスフォード大学で働き、現在はドイツのマックスプランク研究所にてProf. Koelschらと統計学習の研究を継続しています。統計学習は自動作曲でも用いられている概念で、音楽の遷移確率分布を機械に統計学習させることで、その統計分布に基づいて原曲に似た曲を機械が自動生成するようなシステムを作ることができます。
私は、この概念に基づいて曲の個性を抽出できないか考え、ベートーベンのピアノソナタ全曲、バッハの平均律クラヴィーア曲集全曲、ジャズの即興演奏、世界中の子供のための歌、計600曲以上を解析しました。その結果、一作曲家が生涯作った曲を一曲一曲モデル化し、それらを作曲時期の時系列順に並べると、初期に頻繁に用いていたフレーズを後期では用いなくなっていることがわかり※3、作曲する中で新しい音楽を試そうとする意欲が反映している可能性が示唆されました。
さらに、即興演奏から、演奏者毎の個性も抽出することができました(図2)。
現在は、Dr.Sammlerらの研究により※4、ピアノ演奏時の脳波活動を評価できることが示唆されています。現在はこれを応用して、即興演奏時の脳波とMIDI演奏データを用いて、神経生理とAI技術を組み合わせた創造性の個性抽出法の開発に取り組んでいます(※5、特許出願済)。私は、これを用いることで、これまで見えてこなかった芸術家の潜在的な才能を発掘できるのではないかと考えています。
そして、将来的には国内外の音楽大学にて、個々の才能を最大限に発掘できるようなプランを設定したり、成長過程の評価など、音楽教育へ応用できるよう取り組んでいます。例えば、ビル・エバンスのような即興演奏を自然にできるようになりたいと思った場合、ビル・エバンスの過去の演奏履歴から統計知識的法則を抽出し、それに基づいてフレーズ集を提示することで、効率の良い最適な練習が可能になると考えています。
最後に、私は少なくとも芸術はシンプルに整理されるべきだと考えていますが、綺麗である必要はないと思っています。つまり、芸術表現は普遍的な方程式で表現されるはずだと思っていますが、固定した1つの方程式のみで必然的に解決されるのではなく、その方程式自体に偶然性が表現され、進化し得るものであるべきだと考えています。
変化ではなくあくまで進化であるための最低限の制約として、AIでいう識別関数のような法則性が存在するのだと考えています。私は、その普遍法則として脳の統計知識が密接に関与し、コミュニケーション、逸脱性に関連した、統計知識のアップデートによって創造性の個性が生まれるのではないかと考えています。