運動療法と認知刺激療法の組み合わせで効果が増大するならば、運動療法と音楽療法を組み合わせても運動療法だけの時よりも認知機能への改善効果が高まるのではないでしょうか?筆者は、三重県御浜町・紀宝町、ヤマハ音楽研究所との産官学共同研究で、地域在住健常高齢者の認知機能の維持・改善を目的とした音楽体操を用いた非薬物的介入である“御浜-紀宝プロジェクト”を行いました。結果は、権威ある医学国際誌のPLOS ONEに掲載されました (Satoh 2014)※4。
舞台となった三重県御浜町・紀宝町はともに紀伊半島の南端に位置する小さな町。人口減少、高齢化、医療過疎に悩み、高齢化率は30数%で、地区によっては50%を超えるところもあります。いわば“20年後の日本を先取りしている地域”で、これらの町で成功した事業は日本の他地域でも役立つ、反対に失敗した事業は他地域では反面教師として行わないでおく、という意味で注目されている地域です。
対象は、三重県御浜町・紀宝町に在住の健常高齢者202名。運動教室への参加を希望した163名を二群 (音楽体操群、体操群) に分け、プロのインストラクターの指導のもと、週1回、1時間の運動を1年間行いました 。
音楽体操群にはヤマハが開発した音楽の伴奏の付いた運動である“健康と音楽”のコンテンツを (図1)、体操群には運動の内容は音楽体操群と同一ですが音楽の代わりに太鼓で拍だけを付けた運動を用いました。
図1 音楽体操群のセッション例
“健康と音楽”は10年以上前にヤマハが開発した高齢者向けの体操で、スポーツの専門家が設定した運動にヤマハが適切な音楽伴奏を付けたものです。
講師は特別なトレーニングを積んだヤマハの音楽教師が務め、これまでに8,000人、現在も約3,000人のお年寄りが受講されています。
音楽体操群と体操群への介入期間の前後に神経心理検査を行い、認知機能の変化についてそれぞれ検討しました。脳検査群として1年間隔で検査を2回行う39名を設定しました。検査は、知能や記憶、前頭葉機能、視空間認知に関する神経心理検査を行いました。また、呼吸機能として肺活量を調べています。それらを一年間の介入期間の前後で施行しています。
結果を示します (図2-5)。左端が音楽体操群、真ん中が体操群、右端が脳検査群で、水色が介入前、紫が介入後です。p値が0.05未満の時、1年後に有意に(偶然ではなく)改善したことを意味しています。
図2 視空間認知
視空間認知は音楽体操群と体操群で有意差をもって改善していましたが、その程度は音楽体操群でより顕著でした。
図3 MMSE(全般的知能)
全般的知能は音楽体操群でのみ有意差をもって改善しています。
図4 LM-I(記憶検査)
記憶検査は音楽体操群と体操群の両方で改善しています。これは運動すると記憶が改善するという先行研究の結果と一致する内容です。
図5 %VC(肺活量)
肺活量は、当然運動を行った二群のほうが一年後には改善し、しなかった脳検査群は変化はありませんでした。
以上より、音楽体操は、高齢者の認知機能をより改善することが明らかになりました。言い換えると、音楽伴奏が付くことにより、運動だけの時よりも、運動による認知機能維持・改善の効果がより高まったといえます。
同時にわたしたちは、訓練期間の前後に脳MRIを施行し、voxel-based morphometry (VBM) という手法を用いて1年間での脳の容積の変化を調べました (Tabei 2017)※5。解析の結果を図6に示します。
図6 脳形態計測(Voxel-based morphometry; VBM)
ここでは1年間で容積が有意に大きくなった部分に赤色が付いています。脳検査群をみるとどこにも赤色がありません。このことは1年間で大きくなった部位は脳になかった、言い換えると、1年間で脳の容積は少し小さくなったことを示しています。これは、加齢に伴う生理的な萎縮で、正常な老化現象といえます。
体操群と音楽体操群では主に前頭葉に赤色が付いていましたが、その程度・範囲ともに音楽体操群の方が顕著です。つまり、運動により加齢による脳の萎縮が防げただけでなく、その容積を部分的に増やすことができ、しかもその効果は音楽の伴奏が付いている方がより顕著であることを意味しています。
これは驚くべき結果です。一般的に脳の神経細胞は20歳くらいをピークにその後は減り続け、脳の容積は減ることはあっても増えることはないと考えられています。
しかし今回の研究は、音楽体操により高齢者の認知機能が高まり、それに並行して脳の容積も増加することを明らかにしました。増加分はおそらくは神経細胞を支えるグリア細胞や神経細胞同士を連絡するシナプスの増加によるものと考えられます。
わたしたちが思っていた以上にひとの脳は秘めた能力を持っていると言えます。
→「3.御浜-紀宝プロジェクトの意義」に続く(全3回)
専門:神経内科学、神経心理学、認知症医療学