子育て・教育
2020年10月29日掲載 / この記事は約13分で読めます
ヘックマン氏の研究で明らかになったように、IQ(知能指数)では表せない力が大人になってからの幸せに大きく影響を及ぼします。それではその「非認知能力」という言葉で呼ばれる「自己に関わる心の力」や「社会性」はどのように育まれるのでしょうか。遠藤利彦先生(東京大学教授)は「アタッチメント」の重要性を強調します。
連載
もっと知りたい!子どもの発達に関するキーワード 遠藤利彦先生に聞く「非認知能力」
アタッチメントと心の発達
アタッチメントは「くっつく」こと
遠藤先生の主な研究テーマの一つである「アタッチメント」。カタカナで綴られるのはなぜなのでしょうか。
――アタッチメント、日本語ではずっと「愛着」という訳語が使われ続けています。「愛着」はとても響きの良い魅力的な言葉だと思うのですが、愛という言葉が入っているがゆえに時々「愛情」と混同されてしまうことがあります。そこで本来の意味をできるだけ正確に知っていただきたいという願いから、最近は敢えて英語をそのままカタカナに置き換えて「アタッチメント」と言う人が増えているのかなと言う気がしています。
「アタッチメント」は何を意味するかというと、attach=くっつくということです。ただし、いつでも誰彼構わずくっつくことがアタッチメントではなく、子どもが怖くて不安だったり感情が崩れたりしたとき、特定の信頼できる人にくっついてもう大丈夫だという安心感に浸る、これがアタッチメントです。小さい子どもであれば1日何十回と見られる、このごく当たり前のことが、わたし達大人が頭で考える以上に長期にわたって人間の心と身体の健康や幸せに対して大きい影響力をもっている。こうしたことが研究の世界で確かめられてきています。
「自己に関わる心の力」や「社会性」の根幹にあるアタッチメント
「非認知」、遠藤先生の解説するところの「自己に関わる心の力」や「社会性」にとって、なぜアタッチメントがそこまで重要なのかには理由があるといいます。
――連載第2回では、非認知能力の中身は「自己に関わる心の力」、自分を大切にしながら自分をコントロールし、自分を高めようとする力だというお話をしました。その一番の根っこの部分にあるのが、自分は愛してもらえる、愛してもらえるだけの価値があるんだという感覚なのです。
写真提供:PIXTA
子どもは怖くて不安なとき、ギャーっと声を上げます。それでも見捨てられることなく無条件的にいつも受け入れられる、慰めてもらえる。そういう経験の蓄積の中で、人間の根幹に自信のようなものが形成されます。どんなに激しく泣き叫んでもどんなに嫌な声で喚いたとしても、自分は絶対に大切にしてもらえるということは、自分は他の人にとってかけがえのない価値のある存在だということです。言葉を獲得する以前の段階から、赤ちゃんは自分が愛してもらえるという感覚を心の根っこの中に固めていくわけです。
また、幼い子どもがギャーっと泣くのは、助けてと言っているのと同じです。自分が泣き叫んだときに助けてくれる人がいるという経験の蓄積から、助けを求めれば誰かが助けてくれる、人を信じていいんだという信頼の感覚が子どもの中に確実にできていきます。人を信じる力は、正に社会性、つまり人と上手くやっていく力の大前提となります。
このようにアタッチメントは自己に関する心の力の根幹、自分は愛される価値があるという感覚と、社会性の根っこにある人を信じる力の発達に絶対的に不可欠の役割を果たすと言えるのです。
見通しを立てることが自律性につながる
心の根っこにとって大切な感覚や自信が育つと、子どもはあることができるようになります。それは「見通し」です。
――自分は愛してもらえるという感覚をもてた子ども、いつだって絶対に自分は守ってもらえるという経験が蓄積された子どもは、確かな見通しというものをもつことができるようになります。何かあったらお母さんお父さんの所に行けばいい、あの人に向かって泣き叫べば自分の元に確実にすぐ駆け寄ってくれる。怖くて不安で泣くたびにしっかりとくっつくことができる子どもほど、安心感に浸って、見通しが立てられるようになります。
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子どもの中にひとたび見通しが成り立つと、その見通しに支えられて子どもはどんどん自発的に探索や冒険を始めます。子どもというのは好奇心の塊で、あれもやりたいこれもやりたいと好奇心を膨らませる一方で、恐怖や不安の塊でもあります。子どもとは好奇心と恐怖や不安の間を絶えず揺れ動いているような存在です。しかし、子どもの成長には徐々にその恐怖や不安に打ち勝って、好奇心に従い自分の行動半径を広げていく必要があります。そこで絶対的に重要なのが見通しです。
例えば、皆が知らない所に行ってみたい、しかしそこは暗くて怖くて、もしかしたらお化けがいるかもしれない。好奇心と恐怖の間を行ったり来たりするとき、見通しという感覚が成り立った子どもであれば、お化けがいるかもしれないけれど、お化けがいたらギャーっと泣けば絶対お母さんお父さんが飛んで来てくれるはずだ、だったら今日行っちゃおうかなというように、それまでは不安で踏み出せなかった一歩を進み出すことができます。毎日ちょっとずつそれを積み重ねて世界を広げ、やがて勇気をもって自分自身で色々な探索や冒険をできるようになる、一人で居られる力が身に付くわけですね。一人で居られる力は、自律性と言い換えることができます。
このように考えていくと、アタッチメントは逆説的とも言えます。しっかりとくっつくことができ、そのたびに安心感に浸れている子どもほど、徐々にそんなに人に依存せずにちゃんと一人で居られるようになるんですね。アタッチメントは自律性の発達に際立って重要な役割を果たします。
同調と共感
泣き叫ぶ子どもの所へ親が駆けつける。この場面で親には子どもを安心させるだけではなく、もう一つ別の重要な役割がありました。
――自分が愛される、自分には価値があるという感覚が「自己に関わる心の力」の根幹をなす一方で、人を信じることは社会性につながっていきます。実は子どもが怖くて不安なとき、そこで起きることは駆け付けた親に崩れた感情を立て直してもらうだけではありません。例えば、何かに躓いて転んで子どもが痛そうな表情をしたとき、親はそれを見て瞬間的に痛そうな表情になってしまいます。あるいは何か子どもがすごく酸っぱいものを口に入れたとき、子どもの酸っぱそうな表情を見た瞬間に親の方の顔も、口がすぼめられて酸っぱそうな表情になるというようなことに身に覚えのある方も多いのではないでしょうか。つまり、そこでは親が子どもの感情に同調して共感するということが起きているわけです。
アタッチメントと言うと感情を制御して立て直すというところが注目されがちですが、実際にはただ立て直すだけではなく、瞬間的に一緒に寄り添ってその感情に同調し共感することが行われています。怖さや不安などの感情を抱える子どもにとって、駆け込んで来たお母さんやお父さんが同調、共感して同じような表情になることは、親が自分の鏡となり自分の表情やしぐさを映し出してくれているということです。私たち大人は知らず知らずのうちに、子どもの心や身体の中で起きている事を表情に映し出すと同時に、おそらく「ああ、痛かったね」「酸っぱい酸っぱい」なんていう言葉も口にしている場合が多いかもしれませんね。
子どもを映し出す大人の言葉
子どもの表情の鏡となると同時に、無意識的に発せられる親の言葉。そうした声かけは大人の想像以上に子どもにとって重要なものだと遠藤先生。
――実はわたしたち大人は、言葉を通して子どもの様子を映し出すということを頻繁にしています。例えば、部屋の隅で寂しそうにしくしく泣いている子どもを見た瞬間、お母さんは「寂しかったー? ごめんごめん」なんて言うかもしれません。あるいは何かに一生懸命取り組んだけれど結局できなくてしゅんとした様子の子どもを見た時には「悔しかったね」などの言葉を掛けているかもしれません。知らず知らずのうちに口から出たものではあっても、何気ない言葉掛けというのは、その時々の子どもの心や身体の状態に相応しい言葉になってるわけです。
子どもは、そういう心や身体の状態が適切に表された言葉を聞きながら、「あ! 今のこういうときのこの感じが寂しいっていうことなんだな」と思うんですね。1回で理解するということではなく、自分が声を掛けられるのに先行してお母さんやお父さんの会話を聞きながら、ああこういう時が悲しいって言うんだな、こういうことを悔しいって言うんだなというように、言葉のラベルを貼ってもらっています。その中で、子どもは自分の心というようなものをより的確に理解できるようになっていきます。
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言葉を通して自分の心というものを理解できるようになった子どもは、今度は他の人の心の状態を的確に理解できるようになります。自分が今まで経験したのと似たような様子を他の子どもが見せると、「〇〇ちゃん、今一人で居るの寂しそう」と、自分が知った「寂しい」という言葉をもち込んだりします。言葉全般ではなくて、特に心に関連した言葉掛けを幼少期の段階で豊かに受けて育っている子どもほど、心の理解能力は優れる傾向があると、たくさんの研究で示されてきました。
また、辛いときや悲しいとき、寄り添って共感、同調してもらうということは、心の理解能力と関連してるだけでなく、共感や思いやりの発達にもつながっていきます。友だちが寂しそうにしているなら一緒に遊ぼう、あるいはそばに行って慰めてあげなきゃと思うかもしれないですね。
アタッチメントは一生続く
アタッチメントは心の土台形成に深く関わる大切なもの。もしも、幼少期に家庭内でこうした経験が少なかった場合は……
――これまでお話ししてきたように、アタッチメントは自己に関わる心の力にも社会性に関わる力にも、最も中心的な心の要素の発達に不可欠な役割を果たしていると言えます。アタッチメントは、自分は愛してもらえる、それだけの価値がある、そして人を信じられるという、人間が最初に身に付けるべき心の土台形成に深く関わっています。アタッチメントの経験の中で、例えば一人で居られる力(自律性)や、怖いもの不安なものに対してチャレンジできる心のたくましさなどが身に付いたり、人に思いやりや共感を示して人と手を携えたりできるようになる、そんな風に考えていただけるといいのかなと思います。
更に、アタッチメントは一生続くものです。結局のところ大人になっても時にはストレスに押しつぶされたり、フラストレーションの真っただ中に突き落とされたりすることがあります。感情が崩れたとき誰かに話を聞いてもらいたい、とにかく近くに居てほしい、そうして自分の感情を立て直すというような経験をするわけです。たとえ幼少期に十分にそういう経験ができなかった場合でも、その後の人生の中で他者に恵まれたら、そこから自分自身の生き方を再調節するということもできるんだろうと考えています。
信頼できる人の存在
現代では家族の在り方も多様化しています。アタッチメントの対象は家庭に限らず、良識ある大人にできることがたくさんあるのです。
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――最近ではお母さんお父さん、家族だけがアタッチメントの対象というわけではありません。特に保育園や幼稚園の先生方は、特に早くから園に通っている子どもにとってはアタッチメント対象になり得ます。時間的にはもしかすると家庭以上に、園内で過ごすことの方が長いという場合もあるかもしれません。家庭とは違う、もう一つの生活世界。その生活世界において、怖くて不安なときにくっつける、信頼できる大人が居るということの重みがあるんだと思います。
第2回で紹介したヘックマン氏による研究などでもよく言われていますが、貧困層の子どもたちが非認知と言われる心の力をある程度身に付けることができたのは、幼稚園に行くと先生が居てくれたからです。何か特別なことをしてもらったからではありません。一般的にちゃんとした大人はしくしく泣いている子どもを放っておかないでしょう。「どうしたの?」と声をかけたり、それでも涙が止まらなければ抱き寄せてよしよしと慰めたりして、感情を元通りに立て直してあげてから遊ばせる。ごく普通にこうしたことのできる、常識良識と温かい感情をもつ大人、つまり先生が居てくれた。そして園内でアタッチメントを経験できたということが、貧困層の子どもたちにとって自分も愛してもらえるかもしれない、人に助けてと言えばちゃんと助けてくれる、信じてもいいのかなという感覚の発達につながっていると言えるでしょう。場所はどこであれ、やはり早い段階で信頼できる大人と出会い、その人たちとの間でしっかりしたアタッチメントの経験をもつことがその後の人生において大きい役割を果たすんじゃないかなと思います。
編集:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2020年7月14日に取材した内容をもとに作成しております)
→「4.乳幼児の「遊び」は「学び」」につづく(全4回連載予定)
◇プロフィール
遠藤 利彦(えんどう としひこ)
東京大学大学院教育学研究科・教授/同附属発達保育実践政策学センター長
東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(心理学)。専門は教育心理学、発達心理学。聖心女子大学、九州大学助教授、京都大学准教授、東京大学大学院教育学研究科准教授を経て現職。日本学術会議会員。東京大学大学院教育学研究科附属発達保育実践政策学センター(Cedep)センター長。主な著書に『よくわかる情動発達』ミネルヴァ書房、『乳幼児のこころー子育ち・子育ての発達心理学』有斐閣アルマ、『赤ちゃんの発達とアタッチメントー乳児保育で大切にしたいこと』ひとなる書房、ほか多数。