学び・教養
2020年03月26日掲載 / この記事は約7分で読めます
この連載では、音楽研究に携わる研究者の先生にご自分の専門の面白さについて思う存分に語っていただきます。今回は乳幼児の音声発達を研究されている日本女子大学人間社会学部心理学科准教授・麦谷綾子先生にお話を伺いました。(聞き手:藤村美千穂)
連載
音楽研究って面白い!-乳幼児の音声発達・麦谷綾子先生-
赤ちゃんの音声発達
音声の世界から、音楽の世界へ
――麦谷先生が元々興味をお持ちだったのは、音楽ではなかったそうですね。
大学では教育心理を学んでいて、臨床心理士に興味がありました。しかしいろいろと限界を感じて、改めて何をやりたいのか考えた時に、アメリカでの留学生活を思い出したんです。
日本の学校教育で英語を習った時にも自分には聞き取れない音があるような気がしていましたが、アメリカでは改めて、当たり前のように使われている音の一つ一つが何らかのフィルターを通したように聞こえることを実感しました。“R”も“L”も一緒だし、“B”も“V”も同じ音に聞こえる。母音がたくさんあるというのも全然わからなくて、全部”ア”にしか聞こえない。そこで音声って不思議だな、面白いなと興味を持ったんですね。
そんなタイミングで、通っていた⼤学の他学部のある先生に出会いました。⾳声や⾳響現象は本を正すと物理学ですが、その先生ももともとは物理を専門とされていて、そこから音声知覚の発達に関わるようになったのです。その先生の授業を取って、これだ!と思いました。
――そこから、音声の世界を掘り下げていかれたんですね。
その先生の下で様々な知識を得ていく中で、“ヒトは乳幼児の時に母語にあった耳の聞こえ方を獲得する”という考え方に出会いました。
元々、乳児を対象にした心理学実験による研究が日本に広まってきたのが1990年くらいで、ちょうど私が大学に入った時代なんです。アメリカやヨーロッパからその実験手法を導入された先生が何人かいらっしゃって、私は日本ではおそらくその第1世代より少しあとの、1.5世代くらいに当たります。やはり心理を学んでいたこともあり、生まれたてでフィルターが掛かってない状態の赤ちゃんがどんなものなのか知りたくて、とても魅力的でした。
そこから音声と赤ちゃんの研究に取り組み、日本語の細かな一つ一つの音の聴き取り方の発達変化を追っていましたが、結局、赤ちゃんは細かい音だけではなく音声を流れとして聴いているということが見えてきました。そうすると、個々の音の聴き取りも重要ですが、その前にやはりその赤ちゃんが聴いているメロディー、もっと広く言うと身体の感覚や保護者であるお父さんお母さんとの感覚、コミュニケーションを含めて考えなければ、発達というものが見えないと感じるようになりました。
そこで、音楽との繋がりは無視できないと思うようになったんです。言語を含めた発達の背景にある部分と、音楽の背景にあるものとはとても似ていますし、音楽をやっている同じ研究業界の先生方からすると、やはり言語との対比で音楽を語って欲しいという要望が多いので、最近は徐々に音楽の研究も視野に入ってきました。
赤ちゃん研究の難しさ
――麦谷先生は長年企業の研究所にいらっしゃったということですが、この春から日本女子大学で教鞭を執られています。研究生活に変化はありましたか。
自分の生活に研究だけではなく教育という業務が入ってきて、改めて昔やっていた発達心理学を広く教えてみると、研究を俯瞰的に見るにはとてもプラスになりますね。やはり、発達って関連していくんです。子どもの中で音楽だけ、言語だけが発達するわけではなく、認知、身体、運動など全ての要素が連動して発達していくので、俯瞰的に見ることができないと頭でっかちな研究になってしまいます。そういった意味で、勉強し直しできているように思います。
――新しい環境で、ご自身の研究はどのように進めていらっしゃいますか。
写真提供:PIXTA
まだまだ環境を整えている状況ですね。私の研究は赤ちゃんが対象なので、特殊な機材やセッティングが必要です。よく使うのはモニターやカメラが設定されている防音室ですね。そこでモニターにいろいろな物を表示させてお子さんの注視時間を記録したり、もしくはランプを三方につけてランプの注視時間を記録したりしていました。今はその専用の部屋やプログラムがないので、一から作っていく必要があります。
また、協力していただけるお子さんを集めるのもかなり大変です。実験するとなると、失敗率を考えると同月齢で30人くらいの人数は必要になりますが、そんなに簡単には集まらないんですね。しかし、ある程度たくさんのデータを取っておかないと客観性が担保されません。もし2人しか実験しなくて2人とも少し平均とは違う反応をするお子さんだとすると、結果が大きく変わってしまいます。
例えばヤマハの音楽教室で先生方がお持ちのノウハウというものは言わば“経験値”です。それを数値化してどれくらい効果が上がりました、というのは見えない、捉えきれないこともあると思うんです。ただ、研究として捉えようとしたら数値化をある程度しなければならないし、信頼性や客観性の基準を満たす必要があります。そうするとやはりたくさんの人数が必要だし、月齢もきちんと絞る必要がある。
月齢というと、4歳以上の大きなお子さんだとまた違いますが、月齢の小さいお子さんが対象の場合はお声がけするタイミングも難しいものがあります。
――確かに、仮に実験の許可をいただいたとしても、実現が数ヵ月後だとお子さんの成長度合いがかなり変わってきますね。
そのパターンもありますし、逆に、すでに実験環境は整っているのに育つのを待たなければいけないこともあります。6ヵ月のデータが欲しいけど適した赤ちゃんがいないので、3ヵ月や4ヵ月のお子さんにお願いしておいて6ヵ月になった時に来てもらったり、その時に同じような月齢のお友達を紹介していただいて人数を確保したり、という苦労もあります。
――先生のお話から、赤ちゃんを研究することの難しさが垣間見えました。
写真提供:PIXTA
それでも、私が赤ちゃんの研究を始めた時に比べると現在は格段に研究者が増えていますし、研究としては成熟してきたと感じています。一方で成熟するに従って研究対象が細かくなってきているのは少し問題かもしれません。誰かのやったこういう研究をちょっと変えてこうすればいいか、という意識があるのは、自分自身も含めて気をつけるべきことだと思っています。
研究は“something new”といって、何かしら新しいこと、しかも出来れば他の人が考えついていない、着手してないところを開拓して新しい発見をするところが醍醐味だと思いますが、研究し尽くされてくるとその隙間はなくなってくるんですね。一つの分野として成熟すればするほど確実にその傾向はあるので、何らかの転換は必要になってきますね。
あとは、研究法の面でパラダイムシフトというか新しいツール、例えばAIやビッグデータ、新しい実験手法や計測機器、解析方法といったものを利用して今まで見えなかったものを探る。もしくは誰も知らなかった新しい分野を構築する、という方向性もあるかと思います。
――麦谷先生が赤ちゃんを研究する難しさを感じながらもさまざまな実験に情熱を持って取り組んでおられる様子が伝わってきました。第2回では、それらの実験から見えてきたことについて詳しく伺っていきます。
(インタビュー・文 藤村美千穂)
→「2.研究から見えてきたもの」に続く(全3回連載予定)
◇プロフィール
麦谷 綾子(むぎたに りょうこ)
日本女子大学 人間社会学部 心理学科 准教授
専門:発達科学