子育て・教育
2020年12月21日掲載 / この記事は約13分で読めます
“声”のエキスパートである志村洋子先生(博士(教育学)、埼玉大学名誉教授、同志社大学赤ちゃん学研究センター嘱託研究員)による連載の最終回。第2回では子どもの聞こえには特徴があると語った志村先生。それでは、子どもたちにとって心地よい音響環境とは、非認知能力が育まれる環境とは?保育の最前線はどうなっているのでしょうか。
連載
赤ちゃんの「声」と向き合って――志村洋子先生に聞く
子どもが探索できる環境・静けさのある環境を
先生の声を聞くために足元へ駆け寄る子どもたち
志村先生の連載第2回では、子どもの聞こえの特徴を知ることで関わり方を工夫できるというお話がありました。多くの乳幼児が1日のうち長い時間を過ごす保育園やこども園などは、音響的にはどのような環境が望ましいのでしょうか。
――これまでの研究によって子どもにとってよい環境は明らかになってきています。第2回では、子どもにとって雑然とした音、その大音量の中から必要な音を聞くのは難しいとお話ししましたね。保育園やこども園の中でも、先生の声は先生の近くにいる子にはよく聞こえていても、離れている子には他の声と先生の声が紛れて何を言われているか分からないことが多いです。
何かにつけて先生のところに駆け寄って来る子は、先生が好きだから近くに来るだけではないかもしれないと実習生に話すのですが、先生の言葉を近くで聞こうとしている子どももいるからです。したがって、まずは先生も子どもも、皆が一緒の時に大声で話さなくてすむ場にするのが大切ということになります。
ところで、音が部屋の中に反響して残る時間を「残響時間」といいます。この時間が長ければ長いほど残った音がどんどんと積み重なり、反射音で声が聞きとりにくくなってしまいます。一方、音があまり響かない部屋は、反響が少ないので互いの声が明瞭に聞こえ、言葉も聞きとりやすいですね。さらには、それまで聞こえなかった音、庭の樹木が風に揺れる音や時計の針の動く音も聞こえて、話しながら声が持つ「声音(こわね)」(「音色(ねいろ)」とも言えますが)や響きの違いにも目が向くようになります。ですので、「ほどよく響くように音環境をデザインする」ことが非常に重要です。
近年では住宅密集地にも保育園やこども園も増えて常に外からの音が入ってくる園、とても広いスぺ―スにあまり高さの無い什器を間仕切りにして、大勢の子どもが長時間過ごしている園も多くみられます。なかでも、一つの空間に常に多くの子どもが一緒にいるスタイルは、先生が少なくても、たくさんの子どもに目が届くという効率性も加味された形なのかもしれませんが、大きな空間になればなるほど「残響時間」が長くなるので、「騒音」も長く残り、うるささが感じられることになります。
一方、欧米の保育園は、家庭の間取りを模して居間やキッチンなどの機能を取り入れ小部屋が多いうえ、国や自治体等が室内の残響時間を決めています。子どもがいかにその場所で安らげるか、という観点を重視しているのに比べると、大部屋スタイルの保育室のままでの長時間保育は、「騒音」に暴露されてかなりストレスがかかることがわかります。日本でも家庭的なスタイルを採用されている保育園もあり、拝見すると畳やふすまなど音を吸うものが用意されていて居心地がよく、大人もくつろげます。
現在我が国には、建築物に関して国土交通省等が作成した「保育室内の残響時間」に関する規準はありません。しかし、「音響的にはどのような環境が望ましいか」と問われたら、これまでの経験から「残響時間が0.6秒程度の室内」といえると思います。
静かな環境だとケンカも減る?
子どもたちは元気に騒ぐものだという先入観もあるかもしれませんが、逆にあまりに騒がしい環境だと子ども自身は先生の声も聞き取れないというのは驚きです。子どもが過ごす場所の残響時間が変わると、実際にはどのような変化がもたらされるのでしょうか。
――例えば、室内のうるささにお困りだった保育園の1歳児室の残響時間を測定して比較したデータをお話ししますと。まず、工事をする前の残響時間は1秒を少し超えていました。しかし、吸音材を天井に付ける工事を行なった後は、約半分の残響時間0.6秒になりました。吸音工事終了後は、1歳児たちの活動が少し変わったと先生方はとても喜んでおられました。ただ、この保育室は1歳児が音を出して賑やかというよりも、他室から流れ込む音によるところも大きかったので、続けて実施した年長児室の吸音工事がとても役立ったようです。参考までに、音楽ホールの残響時間は1秒以上、音響が良いと言われるホールで2秒ほどとのことです。
また、うるささにお困りの幼稚園の5歳児室では、吸音工事前はお弁当の時間が壮絶に賑やかだったそうですが、同様の吸音工事を行ったところ、ガラッと変わって静かに会話しながら食べるようになったそうです。担任の先生のお話では、お互いに大声を出さなくても会話ができるので、子どもたちが大騒ぎしないで済むようになったということでした。子どもたちは常に騒ぐ、それが普通なのではなく、大声でないと友達とお互いに通じないから怒鳴って騒いでいるように聞こえていたんですね。また、響かない保育室になったら、子ども同士のいざこざやケンカの解決時間が短くなったことも報告されました。
写真提供:PIXTA
今年の6月、日本建築学会から学校施設の音環境に関する保全規準と設計指針が出されました。今回、これまで示されていなかった「保育室」についての規準が初めて掲示されたことは、画期的なものです。指針によれば、単一のクラス以外で大勢が一堂に会する場合は仕切りをすることや、天井の高さによって残響時間が長くなる場合の対策などにも触れられています。そして規準として示された「残響時間」はなんと! 0.4秒でした。この数値が広まることを強く願っています。
なお、大きなオープンスタイル保育室についてですが、かつて多くの国で流行りましたが、最近はほとんど作られていないそうです。大きな部屋、特に天井が高い場合、残響時間を短くすることは難しいことが原因かもしれませんね。
環境に主体的に関わる力を育もう
静かな環境では意思疎通が図りやすくなるとのことですが、昨今重要性の叫ばれている非認知能力と環境との関係について教えてください。2017(平成29)年に改訂・告示された『保育所保育指針』『幼稚園教育要領』『幼保連携型認定こども園・保育要領』でも、これからの幼児教育の指針が打ち出されましたね。
――これからの保育が目指す子どもの姿として、さまざまな環境に「自ら進んで関わっていく子ども」が挙げられます。この「環境に主体的に関わる力」、なかでもいろいろ工夫したり、上手くできるまで繰り返したりするなど、粘り強くかかわろうとする態度が非認知的な力を育む一番の出発点となるように思います。非認知能力とは、何かを教えてもらって獲得するものでなく、身近にある環境とのやり取りの中で、子どもが主体となってかかわることによって育まれるものと考えます。例えば教えてもらうのではなく、自分が「感じ取れた」ことを伝え、共有するにはお互いの「声」、特に⾔葉による意味・内容の伝達とともに「感情」の伝達にも耳を傾ける必要がありますから、しっかり聞き合うことが基本になるでしょう。
環境を通しての教育は、幼稚園教育がそもそも取り組んできたことでもありますが、幼稚園教育の優れた実践では、今日の子どもの様子を受けて、明日の子どもの活動を予測し、環境をその個々の遊びに向けて変化させる取り組みがみられました。日案の反省とともに活動内容の展開させるべく環境構成を整え、時間をかけて準備できる時代もありました。
写真提供:PIXTA
近年は、こども園ができるなど保育の在り方も大きく変わってきています。園の違いを越えて、日々の保育活動にとって重要なものとして、進んで環境とやり取りをする「子どもたち自身の試行錯誤」を育てることが、非常に重要になってくると思っています。登園するときに、子どもたちはそれぞれ「明日はこうやって遊びたい」「あれでああやってこうやって」とそれぞれ思いをもって登園しています。積極的に自ら環境にかかわって学ぶ、そうした「環境」を支えることが重要ではないかと考えるのです。
保育者が担当する子どもひとり一人の「昨日やっていたこと、今日はどうするのか」を見守ること、つまり今、子どもがしていることをよく見ることで、そこで、先生は遊びの環境にさらに「変化」を投入し、発展する道筋を支えることができれば、子どもの活動はさらに広がりを持つことになります。もちろん見守るだけの場合もありますが、こうした保育者の配慮がキーになり、子どもの試行錯誤はより楽しいものへと繋がっていくでしょう。「さあ遊んでいいよ~」とプラスチックケースからおもちゃの山を広げて遊ばせてもらう。それだけでは得られない、ひと、モノさまざまな環境とのやり取りとしての「遊び」がかなえられることが望まれます。
子どもは何を発信しているのか
自分で試し、遊びを発展させていく。そんな子どもの姿はとても生き生きとしているだろうと想像がふくらみます。試行錯誤の重要性の他には、非認知能力の育成に必要なことはあるのでしょうか。
――非認知的な力の育成に必要なもう一つのポイントは、私たち子どもを支える大人が、その子の表情と声そのものの変化を見ること、知ることでしょう。子どもが何を発信しているかを見取る目と言いましょうか。会話の内容や言葉の表現だけでなく、声にのっている情報のひとつ「声音(こわね)」の変化などです。話す声の言葉の内容だけでなく、声そのものにのっている「情感」「想い」を知ることにつながります。
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表情というのは非常に大事な情報で、このシリーズの中で遠藤利彦先生(東京大学教授)が解説なさっていますが、安全の輪の中にいた子どもが、そこから抜けだしていろいろな経験の後、例えば泣きながら戻ってくる。そこには、「ここに行けばトリートメントしてもらえる」という安心感のあるやり取りが必要なのか、泣いてはいるが安心を得た表情なのか、その後、新しいことに取り組もうとする子どもの表情が見えるか、などなど。非認知的な力を育てるのに表情を見取ることは「子どもの発信を受け止める」ために有⽤なのですね。
子どもの発信を受け止める「環境」を音楽の活動で考えてみると、さっき先生と一緒に歌った歌をもっと歌いたいと言ったら「違う活動が始まるからダメ」、じゃあ自分で楽器をたたいて歌おうとしたら「楽器はダメ」と、大人のつくったルールに合わせる場⾯を考えてみると、子どもの表情にも、話す声音にも子どもの真摯な気持ちが載っています。もちろんルールは守りつつですが、その「したいと思う」ことを受け止め、⼼地よく次回に繋げるような配慮をする、まさに保育者の非認知力が問われる場面でしょう。常に⼦どもの声が運んでいる「気持ち」にも⽿を傾けることは、⼦どもの⾮認知⼒を育てることにつながるのではないでしょうか。
大人も互いを補う優しい風土を
試行錯誤の重要性や子どもの表情やちょっとした変化を見逃さない。保育者はとても忙しい中で、子どもの予測できない動きに対応するのは大変なお仕事だと知られています。保育士の養成に関して、志村先生は保育者も助け合うことが大事だと語ります。
――保育者には様々な専門的な能力と資質が必須なのですが、保育実習の際には課題曲が数曲出て、子どもの歌声を支えることが求められます。しかし、保育活動を滞らせず、子どもの歌唱意欲を削がずに歌声をけん引できる「伴奏の力」は在学期間中にそうおいそれと作り上げられるものではありません。私が埼玉大学に勤務していたときの学生たちは、大学入試に鍵盤楽器の実技は課されていませんでしたので、中にはピアノの鍵盤を触ったことがないまま入学してくる学生も多く、彼らはとても苦労することになりました。実習が始まる3年生までに、どんな曲目にも対応できるように育成することは困難でした。学生のピアノ演奏力の守備範囲はまちまちで実習に向かったのです。
一時期、保育学会などで「同僚性」という言葉を用いた発表が頻繁にありました。評価主義が広がり労働に関する意識もさまざまになっていますので、この同僚性は飛び切り大事と思っています。
保育の場では調性記号が少ない曲つまり、ハ長調やト長調が歓迎されて、子どもの歌える音域が限られます。移調をしないまま、子どもがずっと高い調性の伴奏で歌わせられていることが普通なので、ピアノが上手な先生、特に調性を変えて弾けるような人が伴奏に特化して関われるようにする。簡単に言うと、困っている誰かの代わりに得意な先生が弾く、これは子どもの歌いやすい調で伴奏してくれるので子どもは喜ぶ。一方、造形や製作活動が好きで得意な先⽣はその分野の指導や援助を苦手な先生の代わりにする、ICTが得意な先⽣は…、といった具合に保育者が互いに補い合ってそれぞれが持っている⼒を発揮できたらなあ、と強く思っています。
(おわり)
文・編集:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2020年9月1日に取材した内容をもとに作成しております)
◇プロフィール
志村 洋子(しむら ようこ)
埼玉大学名誉教授/同志社大学赤ちゃん学研究センター嘱託研究員
博士(教育学)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業 東京藝術大学院音楽研究科修士課程修了 1978年より埼玉大学教育学部講師、助教授、教授を経て、2016年より埼玉大学名誉教授 現在、日本赤ちゃん学会常任理事、日本子ども学会理事
主な研究分野は、乳幼児の歌唱音声の発達研究、乳児音声とマザリーズ音声の音響分析的研究、保育室空間の音環境に関する研究、騒音環境が乳幼児期の聴力に及ぼす影響に関する研究。主な著書に『はじまりは「歌い合い」』(単著・私たちに音楽がある理由・音楽之友社2020)、『乳幼児の音楽性をめぐる研究最前線』(共著・音楽教育研究ハンドブック・音楽之友社2019)、『絆の音楽性―つながりの基盤を求めて―』(共監訳・音楽之友社2018)、『乳幼児の音楽表現―赤ちゃんから始まる音環境の創造―』(共編著・中央法規2016)、『運動・遊び・音楽』(共著・中央法規2016)、ほか多数。