子育て・教育
2021年02月05日掲載 / この記事は約9分で読めます
ON-KEN SCOPEでは近年幼児教育のキーワードとなっている「非認知能力」について様々な専門家にお話をうかがっています。今回は幼児教育における非認知能力の育成についての取り組み、特に領域「表現」と音・音楽との関わりについて、浜口順子先生(お茶の水女子大学教授)にうかがいました。連載第1回目は幼児教育で非認知能力が注目されている理由と、その育成方法、そして非認知能力を育成することのメリットなどについてお話しいただきました。
連載
浜口順子先生に聞く 幼児教育の領域「表現」と非認知能力との関係
非認知能力と「心情・意欲・態度」
いまなぜ「非認知能力」が話題なのか
浜口先生はなぜ今「非認知能力」が話題を集めているとお考えですか。
――日本ではここ10年位でしょうか、「非認知能力」という言葉が幼児教育の世界でよく論議されるようになりました。また保育現場でも非認知能力という言葉をよく使うようになっています。
取材はオンラインで行いました
非認知能力という言葉は、2000年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者ジェームズ・ヘックマンという人が、教育予算を中等教育や大学などに充てるよりも幼児教育にかけた方が社会的に「成功」する大人を増やすのに効果的だという説を発表し、その中で幼児期の非認知能力の育成にもっと注目すべきだと言ったことがきっかけになっています。その理論の根拠になったのはアメリカの貧困家庭の幼児を対象にした実験で、幼児期に園や家庭で良質の教育が受けられるように介入された子どもと、そうでない子どもたちのその後を追跡した結果、成人になったときに大きな差が出たというものです。
非認知能力とは、いわゆるIQなどで測られる「認知能力」以外の能力で、身体も心も健康で、根気強く、注意力があり、意欲や自信に満ちているような人の持っている資質のことです。一般的には比較的軽く見られてきた部分もあると思いますが、幼児教育の意義が改めて認識されるためにはいい流れなのかもしれないと思っています。
非認知能力と認知能力とは明確に区別できるものなのでしょうか。
――実ははっきりとは分けられないのではないか、と私は考えています。ただ、先ほども言いましたが認知能力は測定しやすい部分なので、これまで教育効果を測るのにそれだけが注目されてきた。それが問題だとヘックマンは言っています。IQテストはそもそも幼児にはやりにくいわけですし、知識をインプットするような方法には適さない幼児期の教育はどんな効果があるのか表しにくいので、その結果、幼児教育自体が軽視されてきたのです。でも、ここ数年非常に非認知能力が重視されてきたがゆえに「非認知能力をどう評価するのか」「非認知能力のエビデンスをどう示すか」といった課題が幼児教育現場にまた突き付けられている、という現状もあります。
非認知能力という概念が今まで存在しなかったので効果測定が難しいのでしょうか。
――非認知能力にあたるものが今まで教育の現場で認識されてこなかったのかというと、決してそうではないと思います。多くの幼児教育の関係者は、同じようなことを「心情・意欲・態度」という言葉で語ってきていたし、幼稚園教育要領でもそのように書かれてきました。現場の保育者たちにとっては「非認知」という言葉は、内容的には新しいものではないと思います。
非認知能力と「心情・意欲・態度」
幼児教育における「心情・意欲・態度」とはどんな内容なのでしょうか。
――日本では1980年代ごろから教育に「ゆとり」を求めるような大きな教育改革が始まりました。その時、幼稚園でも本来の幼児教育はどうあるべきかといった検討がなされ、1989(平成元)年の幼稚園教育要領改訂において、非認知能力に相当するものを「心情・意欲・態度」と呼び、遊びを中心とした関わりの中でそれらを育むという方針が打ち出されました。
その「心情・意欲・態度」の内容とは何かというと、これは就学後、つまり小学校以降の学習の基礎となる姿勢や態度を育むということです。例えば好奇心を持つこと、何かに集中して臨む態度、さまざまな事に粘り強く取り組める力、あるいは友だちの話をよく聞く、そして自分の考えを伝える、場合によっては友だちに「違うよ」と言えたり、友だちが頑張る様子を見て自分も刺激を受けたり、困っている子がいたら自然と手助けしてあげたり。そのように人との様々な関係性の上で一人一人の子どもが持っている資質を伸ばす、その土台となるものです。
写真提供:PIXTA
子どもは卒園する頃にはふつう小学校に入ったらいろんなことを学びたいと思うようになり、言葉や数字への好奇心に胸がふくらんでいます。その時、今挙げた土台ができていれば、どんどん学びを深めて知識を吸収していけますし、友だちと一緒に学び合うこともできます。ヘックマンが参考にした研究の中にも、非認知能力として学ぼうとする意欲を育てられた子が後になって学校での学習成果を上げるという結果が見られます。そういった学びのための基礎が「心情・意欲・態度」であり、今、非認知能力という言葉によって改めて注目されているのも、そういった部分ではないでしょうか。
非認知能力の評価は「結果」ではなく「プロセス」
幼児教育の現場では、具体的にはどのようにして非認知能力を育んでいるのでしょうか。
――子どもが自由感をもって興味のあることにじっくりと取り組むことが大事です。そのためにはまず、子どもが居心地よく自分らしく過ごせること、この安心感が基盤となります。園での保育者の大事な仕事は、楽しそうな遊びのプランを用意して与えることではなく、子ども自身がみずから面白いと思えることに出会えるような環境をしつらえておくことです。
ここでいう環境には、建物や部屋、園庭などから、彩光・色合い、遊具や道具などのモノ環境や、子どもや職員の人数などの人的環境、スケジューリングのような時間的環境も含まれます。保育者は子どもの遊びに関して、直接的な指導はあまりしません。基本的に「待ち」の姿勢です。子どもが本当に遊び込むには時間がかかるのです。じっと周りの様子を見ていたり、うろうろしたり、失敗を繰り返したり、お友達とのいざこざを経験したり、そうした遠回りに見えることが非常に大切で、保育者はその様子を見守り、必要な援助をしていきます。そのために保育者はさまざまな目に見えない工夫をしているのですが、子どもにとっては自分でやり遂げたと感じる経験が積み重ねられるようにすること、これが非認知能力を育むことにつながるでしょう。
非認知能力を育むためには、子どもが学んだ「結果」を見るのではなく、学びの「プロセス」をよく観察しなければならない、ということが言われるようになっています。そのため保育者は日々の様子を細かく記録したり、子どもが遊ぶプロセスや何かを作りだすようなプロセスを重視して次の保育につなげています。そして保護者がお迎えに来る時間や保護者会などの機会を捉えて、お子さんの日々の姿を伝えたり話し合ったりすることを粘り強く行っています。
写真提供:PIXTA
例えば、お掃除をしながら保育者同士が今日こんな事があったねと話したり、職員室で話したりするところから始まって、週に1回ぐらい、保育者たちが全員定期的に集まって話し合いの時間を設けているところもありますし、シフトの関係で保育中に保育者が入れ替わるような園の場合はノートなどに記録して引き継いだり、日々の記録をお互いに読みあってディスカッションする、といったことも行われています。最近では子どもの様子を写真やビデオに撮っておいて、それを見ながら意見を交わすことも増えてきました。
いずれにしても大切なことは「ほかの子どもと比べてどうか」ではなく「その子らしさが発揮されているか」や「その子らしい日々の変化」を見逃すことなく捉え、保護者の方々へと伝えることだと思います。
非認知能力を養うことで得られるもの
浜口先生は、幼少期に非認知能力を育むことでどんなメリットがあるとお考えですか。
――私が思う幼少期での非認知能力育成のメリットは、お互いの個性を認めあえる社会の構築の礎となるということです。幼少期に自分の気持ちや思いが大切にされることを経験しないと他人の存在を肯定的に認められる人間にはなれません。「自分はここにいていいんだ」と自分の存在が認められていることを感じ、「自由に表現していいんだ」と思えることが他人への信頼感を育み、主体性や自発性を発揮する態度を醸成します。それによって人は能動性を発揮できるようになります。
そういう子が大人になり、その人らしい個性が発揮できる社会、それぞれの個性が認めあえる社会になることが理想だと思いますし、そうした社会を実現するためには、幼児期における非認知能力の育成は非常に重要だと考えます。
文・編集:池谷 恵司(いけや けいじ)
(当連載は2020年10月26日に取材した内容をもとに作成しております)
→「2.非認知能力と幼児教育5領域」につづく(全3回連載予定)
◇プロフィール
浜口 順子(はまぐち じゅんこ)
お茶の水女子大学 教授
お茶の水女子大学卒業。オランダ・ユトレヒト大学教育学研究所留学。博士(人文科学)。主な著書に『自由保育とは何か』(共著、フレーベル館)、『事例で学ぶ保育内容・領域表現』(編著、萌文書林)、『倉橋惣三・保育人間学セレクション』(監修、学術出版社)。