Produced by ヤマハ音楽研究所
img-032
心理学からみる音楽の世界
安達 真由美(あだち まゆみ)
北海道大学大学院 文学研究科 教授

※記事掲載時点の情報です

熟達者だからこそ間違える?“校正者のエラー”とは

音楽心理学と音楽発達心理学の専門家、北海道大学大学院文学研究科心理システム科学講座教授 安達真由美先生をお迎えして、「演奏を“科学”する」をテーマにお話をうかがうシリーズの第3回。

これまで主に「初見視奏」にまつわるさまざまなトピックを紹介してきました。今回のテーマは、そんな演奏研究に関して、興味深い“校正者のエラー”という現象についてです。

「校正」とは「誤りや不備を正しく直すこと」です。一般に出版社などでは、元の原稿と印刷してできたものを照合したり、誤字脱字がないか確認・修正したりするなどの校正作業が行われています。このプロフェッショナルが「校正者」ですが、校正の役割はさまざまな人が担うので、これから紹介する現象(Proofreader’s Error)は、「校正者のエラー」とも「編集者のエラー」とも訳されることがあるそうです。

ゴルドフスキの指摘

——前回までのお話では、初見視奏の得手、不得手の違いを分けるポイントには、どれだけ楽譜の先を読み、どれだけたくさんの情報を保持し、処理しているかがあるということでした。先生が監訳者の一人である『演奏と科学』では、これと関連して、初見視奏が得意な人にみられるある現象について紹介されていますね。

安達教授(以下、敬称略):「校正者のエラー」に関するお話ですね。これについては、ボリス・ゴルドフスキ(Boris Goldovsky)※1というピアニストの有名な逸話があります。

ゴルドフスキ先生のレッスンで、あるとき学生がブラームスの《カプリッチョ ロ短調》Op.76-2の一節を楽譜に書いてある通りに初見で弾いたそうです(譜例1)。曲が後半へ向かうとき、ゴルドフスキは楽譜を見ながら「君、ここ間違っているよ」と言いました。

譜例1 J.ブラームス《カプリッチョ ロ短調》Op.76-2より

譜例1 J.ブラームス《カプリッチョ ロ短調》Op.76-2より

その楽譜には、C#・E#・G・C#とありました。そのとおりの和音で弾くと、すごく変な音がするでしょう。でも、楽譜に確かにそう書いてあったので、学生はその通りに弾いた訳です。

——つまり、学生は楽譜通りに弾き、ゴルドフスキも同じ楽譜を見ていたけれど、「音が間違っている」と指摘した……ということですか?

安達:そうです。なぜ間違いかというと、和声的に考えて、その和音は嬰ハ長調の I の和音なので、GではなくG#でなくてはならなかったのです。もちろんゴルドフスキはこの曲を覚えているから、学生が音を外して弾いたと思ったのですね。つまりゴルドフスキは目の前にある楽譜を見ていたのに、楽譜に書いてあるGの音が間違っていることには気付かなかったということです。

学生は楽譜通りに弾いたので、ある意味で正しく演奏したといえます。しかし音楽的には間違っています。一方、ゴルドフスキは音楽的には正しいのだけれど、楽譜は見えていませんでした。音楽の背後をわかっていない人は楽譜通りに表面的に弾くけれど、音楽の背後がわかっている人は前面が見えていないといいますか、目の前にあるものに気がつかないことがあるということです。「自然にいけばこう解決するだろう」という感覚をもっていると、手が自然とそう動いてしまうものですものね。

——ゴルドフスキの耳はその和音を当然G#であるべきものとして聴いているので、記譜の間違いを見つけられなかったのですね。

安達:これが「校正者(編集者)のエラー Proofreader’s Error」という、よく知られた現象です。熟達者が自分のもっている知識を使って無意識的に間違っている部分を補ってしまうために、間違っている点を見落とすことと定義されます。誤字脱字を見つけるのが得意なはずの編集者も、当然あるべきものを無意識に補って、文章上の間違いを逆に見つけられないことがあります。この音楽版が、ゴルドフスキの逸話なのですね。熟達者の知識が認知フィルターとなって本来知覚できるはずのものができないということから、トップダウンとボトムアップという2種類の情報処理のことからいうと、トップダウン処理の方が優勢でこういう現象が起きると考えられます。

演奏に熟達すると音を予想できる

——「校正者のエラー」は、熟達者が楽譜上の間違いを無意識的に正して演奏してしまうことで起こるというお話ですが、これはすごい技能ですね。

安達:そうですね。別の見方をしますと、もし初見視奏で使う楽譜に間違いがあっても、錯覚することで音楽的に正しく弾けてしまうということです。

そこでジョン A. スロボダ(John A. Sloboda)という研究者は、デュセックの《ソナチネ》の一節をわざと間違った音符に書き替えた楽譜を用意して、それを弾いてもらうという実験をしました。もちろんその楽譜には、どこが間違った音符であるか書いてありませんでしたが、「これを弾いてください」と伝えて初見視奏をしてもらうと、初見視奏が得意な人の方が、楽譜通りではなく、無意識的に正しく直して弾きました。楽譜が間違っているということをわざわざ伝えなくても、初見視奏の得意な人は自然に修正して弾いたのです。

これも、本来の音を弾いているという点では正しいのだけれど、楽譜通りに弾くという点では間違っているので、「校正者のエラー」になります。エラーであるが故に、正しく弾けているという、ある意味、矛盾ですよね。こちらから見ると間違っていて、そちらから見ると正しいことになるという。

——確かに、初見視奏に苦手意識が強いほど、楽譜の一音一音に見入ってしまうものかもしれません。

安達:貫先生という方が1984年に英語で発表した論文で※2、作曲専攻の学生とピアノ専攻の学生で、ピアノによる初見視奏が上手なのはどちらかという研究があります。どのような結果だったと思いますか?

——もしかしたら作曲専攻の学生の方が上手に演奏したとか……?

安達:そうです。ピアノでの初見視奏だから、ピアノ専攻の学生の方がよくできると思われるかもしれませんが、実は作曲専攻の学生の方が上でした。和声をよくわかっている作曲科の学生の方が、「次は多分こうなるだろう」と予想を立てながら弾くためだと考えられます。

img-03-022

さらにこの実験では初見視奏の後に暗譜についても調査しています。結果は、暗譜でも作曲専攻の学生の方がよくできていたようです。このシリーズの第2回では、情報をチャンク化するというお話をしましたが※3、作曲専攻の学生は作曲の全体的な構造をつかむことに長(た)けていますので、細かい構造がどうなっているかについてもまとまったパターンで把握しているのでしょう。

練習への応用

——では、作曲専攻の学生さんのようにまではいかなくても、初見視奏を上達させたいと思ったら、練習のときどんなことに気をつけるとよいでしょうか?

安達:やはりパターンで読む練習が大切です。パターンを見つけて、パターンで読むというのでしょうか。短い楽譜から始めて、たとえば最初の4小節と続く4小節とが非常に似ているのだけれども1カ所だけ違うとか、構造がきっちりしていて、似ているところと違うところを比べやすい課題を用います。そういう違いを最初に見つけておくことによって、楽に演奏できるのだということを実感できるような経験をさせることだと思います。

——技術を教えるだけでなく、楽譜のここがこういうふうになっている、といった見方を、子どもが自分で発見できるようにしていくということですね。

安達:そうですね。理想をいえば、子どもがまっさらな状態で、何にも知らない最初のところから、楽譜の読み方としてパターンで読む癖を身に付けてしまうのが一番いいでしょう。

そうでない場合には、(最低限の和声の知識は重要ですが)処方箋的なこととして、旋律と伴奏が単純で、構造がわかりやすい、8小節ぐらいの簡単な楽譜を用いることですね。そして楽譜を読む練習をするだけでなく、パターンを使う活動として、たとえば譜例にあるような4拍子の短い旋律(譜例2)を、リズムなどを変えて、変奏をしていく。このとき、楽譜に書くのではなく、頭の中で変奏して演奏していくようにすると、考えながら弾かなくてはいけないですよね。

譜例2 リズムパターンの例

譜例2 リズムパターンの例

そういうクリエイティブな活動とリンクさせることによって、自分でパターンが使えるようになると、理解も深まります。楽譜を読むということは、ある意味与えられたものを受け入れるという感じもありますが、それを自分で変奏するとなると、自分がコントロールする訳です。どれだけのパターンを、どれだけの方法で、自分がコントロールできるようになるかということ、どれだけのパターンで弾けるようになるかということです。それをやっていくことで初見視奏や、初見視奏の前にパターンを読み取る際の力もついてくるということだと思います。

——熟達者であるがゆえに楽譜の間違いを見落とすという「校正者のエラー」、ご自身でも経験のある方がいらっしゃったのではないでしょうか。初見視奏では単に音を間違えずに弾くかどうかだけでなく、さまざまな現象が研究されているのですね。次回はこのシリーズ最終回です。

  • ※1 1908-2001。ロシア生まれ。13歳でピアニストとしてデビューし、ベルリンでArtur Schnabelのもと研鑽を積んだのち、ドホナーニに作曲を指示。ピアニスト、作曲家、プロデューサーとしてアメリカで活躍し、特にオペラの普及に貢献したことで知られる。
  • ※2 NUKI, M. (1984). Memorization of piano music, Psychologia: An International Journal of Psychology in the Orient, 27(3), 157-163.(貫行子:上野学園大学短期大学部音楽科および仁愛女子短期大学客員教授など)
  • ※3 1つの情報を、たくさんの情報をまとめた大きな単位で捉えると、よりたくさんの情報量を保持し、処理することができる。詳細は第2回「初見視奏の得手・不得手を分ける鍵とは?」を参照のこと。

聞き手:ヤマハ音楽研究所研究員 小山文加(おやまあやか)

もっと読む
著者プロフィール ※記事掲載時点の情報です
adachi-mayumi
安達 真由美(あだち まゆみ)
北海道大学大学院 文学研究科 教授
専門:音楽心理学、音楽発達心理学
著書・論文

  • Adachi, M. (2012). Incorporating formal lesson materials into spontaneous musical play: A window for how young children learn music. In C. H. Lum & P. Whiteman (Eds.), Musical Childhoods of Asia and the Pacific (pp. 133-160). Charlotte, NC: Information Age Publishing.

  • 安達真由美・小川容子(監訳)(2011). 『演奏を支える心と科学』.東京:誠信書房.

  • 安達真由美(2006)音楽の意味を科学する.大津由起雄・波多野誼余夫・三宅ほなみ(編著)『認知科学への招待2ー心の研究の多様性を探る』 (pp. 148-166). 東京:研究社.

みなさまのお役に立つサイトにするため、アンケートにご協力お願いします。
Q. この記事についての印象をお聞かせください。
Q. この記事がご自身にとって何に役立つと思われますか?(複数回答可)
Q. この記事についてのご感想やご意見などご自由にお書きください。
ページトップへ