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連載
木下 博(きのした ひろし)
大阪大学 名誉教授
※記事掲載時点の情報です

身体活動のエネルギー源

今回から4回にわたって、「音楽家の運動生理学」に関するテーマで話題を提供させていただきます。まず、「生理学」とはどのような学問なのか、いうことについて簡単に説明した方が良いのかもしれません。それは、その名が示すように生命の論理(logic of life)を探求する学問です。その起源は、16世紀の医学者ジャン・フェルネル(Jean Fernel)による医学者向けの教科書の中で人体の臓器の機能に関する内容をまとめて名づけた「physiologia」からだといわれています。

その後、生理学は医学や生物学においては不可欠な基礎知識として定着し、現在まで5世紀にわたって発展し続けてきました。その内容も生物体を構成する分子のレベルから個体全体、さらにはほかの個体との関連性や社会性に至るまでの幅広い内容を対象として、それぞれがうまく働く仕組みとその背景にある法則性などを科学的に解明する学問という理解が一般的です。

このように進歩した生理学の研究手法を活用して運動という重要な機能を可能にしている身体の仕組みとその論理・法則を調べる研究領域が「運動生理学」で、その対象は主に人間を中心とした動物です。欧米諸国はもとより、我が国においても運動生理学は体育・スポーツ医・科学の世界で近年、急速に発展しました。そこには、競技スポーツにおいて従来の根性論的または非科学的なトレーニング方法から、科学的に実証され、しかも安全で効率的な方法への見直しが進んだことが大きく影響しました。

また、近年では一般人はもとより障害者、高齢者、幼児の体力増進や健康維持にも適切な運動が不可欠であり、そのトレーニング方法についても科学的な根拠を求める声が高まったことも影響しています。

運動生理学で分かること

運動生理学を学ぶことで身体機能の何が分かるのでしょうか? 運動生理学が取り扱う主な内容は、

  1. 運動がもたらす筋肉の形態や機能の変化(筋収縮・弛緩、筋組成、肥大、萎縮、疲労、遺伝子など)
  2. 神経系の形態とその機能変化(脳、脊髄、末梢神経、可塑性・学習、自律神経系、体温調節など)
  3. 運動に必要なエネルギー供給のメカニズム(運動時の糖代謝、有酸素・無酸素的代謝、脂肪酸酸化、ホルモン因子、トレーニング効果など)
  4. 呼吸器の形態とその機能変化(肺、呼吸調節、換気調節、酸素摂取、二酸化炭素排出、血中乳酸など)
  5. 栄養素と酸素を細胞まで運ぶ血液や体液の循環機能(血球、血漿、心拍動、心拍出量、血圧、水分量など)
  6. 運動を支える栄養素(糖質、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラルなど)などです。

運動という刺激でこれらの生理機能がどのように変化し、さらには適応するのか? また、それらは、身体にとってどのような利潤や害をもたらすのか? そこから利潤を最大に、害を最小にするための運動の方法やトレーニング方法はどのようなものなのか? などについて答えを出すことが可能です。

第1回と2回は、音楽演奏に必要な身体活動を支える栄養(エネルギー)のお話をしたいと思います。楽器を演奏したり、指揮をとったり、さらには歌を歌うような音楽活動はスポーツ活動と同じで、安静にしているときとは明らかに異なる筋肉や脳および末梢神経の活動、さらには内臓の活動も必要とします。つまり、その分だけエネルギーが必要になるのです。脳は音楽によって強い情動が喚起され、また、演奏のための筋肉活動を計画し実行します。さらには耳や目、指先からの感覚情報に注意を払い、入力情報を常にモニターして運動の修正にも貢献します。一方、演奏に必要な身体部位の筋肉は収縮(力発揮)と弛緩(脱力)を繰り返し、心臓の筋肉も拍動を速めて血流を増やし、脳や筋肉への エネルギーと酸素の補給を促進します。まずは、このエネルギー供給過程がどのようになっているのか、を少し考えてみましょう。

エネルギーに利用されるのは、基本的には食物として摂取する炭水化物と脂質、そして少量のタンパク質です(図1)。炭水化物は、活動を支えるエネルギーとして即効性の働きがあります。ごはんやパンなどの穀物、飴やお菓子などの糖分が代表的な炭水化物ですが、それらは摂取された後、唾液や腸液などでの消化酵素(アミラーゼ、マルターゼ)の働きによって、ブドウ糖(「グルコース」)に分解されます。その後、小腸で吸収され血管内に入り脳、内蔵、筋肉組織に運ばれ活動エネルギーとして利用されます。血中のグルコースの余剰分はグリコーゲンという物質に変換して肝臓や筋内で貯蓄されますが、必要に応じてグルコースに再分解され血中に放出されます。

脳の細胞の活動源は、ブドウ糖そのものが使われますが、筋肉ではそれがATP(アデノシン三リン酸)という物質に変えられ、収縮のエネルギーを放出します。少し難しくなりますが、このATP産生の過程でピルビル酸という物質が出てきますが、それは筋肉細胞の中にあるミトコンドリアと呼ばれる小包内の「アセチルCoA-クエン酸経路」で処理され、再度グルコースに戻され、血液や肝臓に戻されます。この過程には十分な酸素が必要になります。酸素の供給が不足するとピルビル酸は疲労物質の乳酸となってしまい、筋肉痛や収縮不能な状態を引き起こします。一方、酸素が利用できる場合でも糖代謝だけでは数分で枯渇してしまいますので、後に説明する脂質との連携プレーで運動のエネルギー供給を担う形になります。ちなみに、糖質は1g当たり4.1kcalのエネルギーを生み出しますので、たとえばごはんお茶碗一杯の炭水化物含量(約40g)では164kcalのエネルギー量が得られます。筋肉や肝臓の貯蔵グリコーゲンは、通常、優先的に燃焼され、ほとんどの摂取量は燃焼されてしまいますが、いわゆる食べ過ぎによる炭水化物摂取の過多で貯蔵グリコーゲンが満杯になると、過剰分は脂肪組織に中性脂肪として蓄積されることになり、肥満をもたらします。

食物から摂取する脂質は、その多くが中性脂肪と呼ばれる種類の脂肪で、胃で消化された後、膵臓から分泌されるリパーゼによりグリセリンと脂肪酸に分解され小腸で吸収されます(図1)。血液により筋肉のミトコンドリアに運ばれアセチルCoA-クエン酸経路でATPを生産します。この過程でタンパク質から得られるアミノ酸と糖質から得られるグルコース、糖質の代謝産物のピルビン酸が必要となります。また、ここでは呼吸によって補給される酸素も必要不可欠となりますので、これを「有酸素性機構」と呼びます。摂取された中性脂肪は、活動している筋肉のエネルギーとして利用されますが、それと同時に身体中の脂肪細胞に蓄えられ、必要に応じて再び脂肪酸に分解され、活動のためのエネルギーに変換されます。脂肪は糖質に比べると2倍以上効率の良いエネルギー源(脂質1g当たり9.3kcal)ですが、アセチルCoA-クエン酸経路を介さないとATP合成ができませんので、グルコースのような即効的なエネルギー供給には向きません。安静時や緩やかな持続的運動では、酸素と脂肪酸が豊富に使える状況ですので、エネルギー源の7割は脂肪燃焼で、残る3割が糖質利用です。

肉、魚、たまご、大豆などの食事に多く含まれるタンパク質は胃から小腸に達するまでにいくつかの消化酵素(胃:ペプシン、膵臓:トリプシノーゲン、小腸:エレプシン)によってアミノ酸に分解され、小腸粘膜を通して血中に、さらには肝臓に蓄えられます。同時に身体の各組織(脳、内臓、筋肉、骨、血管、皮膚、血球など)では、古い細胞のタンパク質が常時アミノ酸に再分解され血中に放出されると同時に、肝臓にも送られます。それらは新しい組織を作るタンパク質として利用されますが、上で説明した脂質からATPを生み出すアセチルCoA-クエン酸経路でも使用され、エネルギー産生に貢献します。ただし、この運動エネルギーを生産する機能よりも身体組織を健全に保持することの方が主機能と考えられています。これらのことを踏まえて、次回は、実際の演奏時のエネルギー消費について考えてみたいと思います。

食事からのエネルギー産生の流れの図

図1. 食事からのエネルギー産生

著者プロフィール ※記事掲載時点の情報です
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木下 博(きのした ひろし)
大阪大学大学院 医学系研究科 教授/予防環境医学系 運動制御学教室 専門:運動制御学、運動生理学、脳科学
著書・論文
  • Chin force in violin playing. Eur J Appl Physiol. 112: 2085-95, 2012.
  • Control of multi-join arm movements for the manipulation of touch in keystroke by expert pianists., BMC neuroscience, 11:82, 2010.
  • Functional brain areas associated with manipulation of a prehensicle tool: A PET study, Hum Brain Map 30; 2879-2889, 2009.
著書・論文

  • Chin force in violin playing. Eur J Appl Physiol. 112: 2085-95, 2012.

  • Control of multi-join arm movements for the manipulation of touch in keystroke by expert pianists., BMC neuroscience, 11:82, 2010.

  • Functional brain areas associated with manipulation of a prehensicle tool: A PET study, Hum Brain Map 30; 2879-2889, 2009.

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