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緊張・あがりと音楽演奏 ―ステージで練習の成果を発揮するために―
吉江 路子(よしえ みちこ)
国立研究開発法人産業技術総合研究所 人間情報研究部門 研究員

※記事掲載時点の情報です

緊張・あがりは一朝一夕には克服できない

前回は、緊張・あがりの背後にある身体メカニズムをご説明しましたが、どうしたら、悩ましい身体症状を抑えてのびのびと演奏できるのでしょうか。緊張・あがりは、たくさんの要因が複雑に絡み合って生じ、またその要因も個人個人によって異なるため、一筋縄に解決できる問題ではありません。緊張・あがりの克服法に関する研究はまだ始まったばかりで、演奏者の皆さんと、私たち研究者が一丸となって取り組んでいくべき大きな課題だと考えています。連載第3回・4回では、現時点での知見に基づいて、緊張・あがりの対処法に関してご提案させていただきたいと思います。これをたたき台として、演奏者の皆さんにも広くご意見を頂き、緊張・あがりの効果的な対処法を確立していければと考えています。

緊張・あがりの特効薬はあるか

演奏家の方から、よく「あがらなくなる薬はないのですか?」と質問を頂きます。実は、欧米では緊張を和らげるために薬を服用する演奏家が少なくありません。最もよく用いられるのは、交感神経β受容体遮断薬(いわゆるβブロッカー)と呼ばれるものです。これは、前回ご説明したような交感神経系の症状(胸がドキドキするなど)を和らげる効果があり、通常は心臓の疾患に適用される薬です。米国では、プロのオーケストラ奏者の27%が緊張・あがり対策として使用した経験があるという調査結果※1が出ていますが、さまざまな副作用が起こり得る薬であるにも関わらず、多くの人は医師の処方なしに自己判断で使用していたことが問題視されました。私たちが日本人の演奏家を対象に実施した調査※2でも、5%以下と欧米に比べてごく少数でしたが、演奏のストレス対策として薬(主に抗不安薬)を服用したことのある方が一定数見受けられました。しかし、副作用のリスクも考慮すると、安易に薬に頼ることはお勧めできません。また、緊張・あがりは、演奏家の性格や周囲の環境など、さまざまな要因が絡み合って起こるため、薬を服用するだけで解決できるとはかぎりません。実際、過去の研究では、抗不安薬の服用が演奏に悪影響を与えた例も報告されています※3。薬の使用を検討する前に、まずはご自身の緊張・あがりをよく分析し、心身の問題をひとつひとつ地道に解決する方法を考えていただきたいと思います。

まずは生活習慣の見直しを

「あがらないためには、本番のときに何をしたら良いですか?」とよく聞かれるのですが、演奏本番になって付け焼き刃の対策をとっても、緊張・あがりは克服できません。意外に思われるかもしれませんが、生活習慣を改善して、日常的に心身の状態を良好に保っておくことは、緊張・あがり対策の基本となります。熱心に練習するあまり、食事・休養・運動などの習慣がおろそかになってはいないでしょうか。ステージで思い通りの演奏をするための第一歩として、ぜひ演奏以外の日常生活を見直していただきたいと思います。

まず、食事内容に気を付けていらっしゃるでしょうか。ご存じの通り、一流スポーツ選手の多くは、栄養士の指導のもと、しっかりと食事の管理をしています。演奏家も、身体を使う以上、スポーツ選手と同じように栄養バランスに気を付けて食事をとることが大事です(木下博先生の連載「音楽家の運動生理学」の第4回「音楽家の食事」が大変参考になると思います)。

実際、普段から、野菜を中心とした、栄養バランスの良い食事を心がけている人は、抑うつ状態になりにくい※4ことが示唆されています。また、公演前は、緊張から消化器症状が出やすくなる※5ため、特に注意が必要です。消化しやすいものを選び、あまり食べ過ぎないようにしましょう※6。カフェインを過剰摂取すると不安が高まりやすくなる※7ため、公演直前にはコーヒーなどを控えめにしましょう。

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本番前はカフェインを控えめにしよう

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質の高い睡眠をとろう

また、日頃から休養を十分にとれているでしょうか。公演が近くなると、準備のために睡眠不足になりがちです。しかし、睡眠不足は不安・抑うつ症状を誘発することが分かっており※8、緊張・あがりを悪化させる危険性があります。また、練習した運動の記憶を脳に定着させる上でも、睡眠は必要不可欠です※9。せっかくの練習を無駄にしないためにも、毎晩、質の高い睡眠を十分にとれるよう、工夫していただきたいと思います。

コンディションが悪い中で無理に練習を続けると、逆に悪い癖が身についてしまい、本番で緊張したときにその癖が出てしまうこともあります。ときには、思い切って音楽から離れて気分転換し、常に新鮮な気持ちで練習に取り組めるようにしましょう。

最後に、最もおろそかになりがちなのが、運動の習慣です。運動は身体に良いことだと分かっていても、日々の練習に忙しくしていると、つい後回しになりがちなのではないでしょうか。定期的な運動の習慣は、体形維持や病気の予防のためととらえる方が多いのですが、実は、緊張・あがり対策としても効果があります。

過去の研究から、有酸素運動には不安を軽減する効果があることが実証されています※10。分析から、不安を和らげるには一度に21分以上の運動が必要※10だと分かっています。また、運動習慣と緊張・あがりの関係について、最近、興味深い研究結果が出ています。運動習慣の異なる実験参加者の皆さんに、人前で暗算課題やスピーチを行ってもらったところ、日頃よく運動している人は、ほとんど運動していない人に比べて、心拍数や唾液中のストレスホルモン濃度が上がらず、主観的にもあまり不安にならなかったのです※11。このように、定期的な運動を続けていけば、他者から評価されるストレスに向き合った際の身体症状を緩和する効果が期待できます。人前で演奏する際の緊張・あがりに悩んでいる方は、ぜひ定期的に運動する習慣を付けていただきたいと思います。まずは、1日30分間のウオーキングから始めてみてはいかがでしょうか。適度な運動をすると、気分も爽快になり、練習にもますます集中して取り組めることと思います。

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定期的な有酸素運動を行おう

今回は、演奏時の緊張・あがりを予防するために、日常生活で気を付けるべき点をお伝えしてきました。次回は、公演準備の各段階における具体的な対処法をご紹介していきたいと思います。

  • ※1 Fishbein, M., Middlestadt, S. E., Ottati, V., Straus, S., & Ellis, A. (1988). Medical problems among ICSOM musicians: overview of a national survey. Medical Problems of Performing Artists, 3, 1-8.
  • ※2 Yoshie, M., Kanazawa, E., Kudo, K., Ohtsuki, T., & Nakazawa, K. (2011). Music performance anxiety and occupational stress among classical musicians. In J. Langan-Fox & C. L. Cooper (Eds.), Handbook of Stress in the Occupations (pp. 409-425). Cheltenham, UK: Edward Elgar Publishing.
  • ※3 James, I., & Savage, I. (1984). Beneficial effect of nadolol on anxiety-induced disturbances of performance in musicians: a comparison with diazepam and placebo. American Heart Journal, 108, 1150-1155.
  • ※4 Nanri, A., Kimura, Y., Matsushita, Y., Ohta, M., Sato, M., Mishima, N., Sasaki, S., Mizoue, T. (2010). Dietary patterns and depressive symptoms among Japanese men and women. European Journal of Clinical Nutrition, 64, 832-839.
  • ※5 Steptoe, A. (2001). Negative emotions in music making: the problem of performance anxiety. In P. N. Juslin & J. A. Sloboda (Eds.), Music and emotion: theory and research (Series in affective science) (pp. 291-307). Oxford, UK: Oxford University Press.
  • ※6 Wolfe, M. L. (1990). Relationships between dimensions of musical performance anxiety and behavioral coping strategies. Medical Problems of Performing Artists, 5, 139-144.
  • ※7 Smith, A. (2002). Effects of caffeine on human behavior. Food and Chemical Toxicology, 40, 1243-1255.
  • ※8 Kahn-Greene, E. T., Killgore, D. B., Kamimori, G. H., Balkin, T. J., & Killgore, W. D. S. (2007). The effects of sleep deprivation on symptoms of psychopathology in healthy adults. Sleep Medicine, 8, 215-221.
  • ※9 Walker, M. P., Brakefield, T., Hobson, J. A., & Stickgold, R. (2003). Dissociable stages of human memory consolidation and reconsolidation. Nature, 425, 616-620.
  • ※10 Petruzzello, S. J., Landers, D. M., Hatfield, B. D., Kubitz, K. A., & Salazar, W. (1991). A meta-analysis on the anxiety-reducing effects of acute and chronic exercise. Sports Medicine, 11, 143-182.
  • ※11 Rimmele, U., Seiler, R., Marti, B., Wirtz, P. H., Ehlert, U., & Heinrichs, M. (2009). The level of physical activity affects adrenal and cardiovascular reactivity to psychosocial stress. Psychoneuroendocrinology, 34, 190-198.
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著者プロフィール ※記事掲載時点の情報です
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吉江 路子(よしえ みちこ)
国立研究開発法人産業技術総合研究所 人間情報研究部門 研究員
専門:演奏心理学、生理心理学、神経科学
著書・論文

  • Michiko Yoshie, Eriko Kanazawa, Kazutoshi Kudo, Tatsuyuki Ohtsuki, & Kimitaka Nakazawa (2011). Music performance anxiety and occupational stress among classical musicians. In J. Langan-Fox & C. L. Cooper (Eds.), Handbook of Stress in the Occupations (pp. 409-425). Cheltenham, UK: Edward Elgar Publishing.

  • Michiko Yoshie, Kazutoshi Kudo, Takayuki Murakoshi, & Tatsuyuki Ohtsuki (2009). Music performance anxiety in skilled pianists: effects of social-evaluative performance situation on subjective, autonomic, and electromyographic reactions. Experimental Brain Research, 199, 117-126.

  • 尾山智子,吉江路子(訳)(2011).演奏不安-“あがり”という現象.演奏を支える心と科学.R. パーンカット, G. E. マクファーソン(著),安達真由美,小川容子(監訳),pp.74-96,誠信書房


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