第3回・第4回は、実践的な即興表現とその導入例、応用例などを具体的に取り上げながら、応用演奏力を身につけることの必要性を中心にお話ししてきました。今回は、作曲作品に設定された即興表現について考えましょう。
第3回・第4回は、実践的な即興表現とその導入例、応用例などを具体的に取り上げながら、応用演奏力を身につけることの必要性を中心にお話ししてきました。今回は、作曲作品に設定された即興表現について考えましょう。
第1回で即興表現をカテゴライズした際、“作品に設定されている即興の部分”を、
の2つに分けました。
前者1.については、その際具体的な事例に触れて説明しました。さらに第3回ではカデンツァを用いた即興演奏の実践例を取り上げましたので、今回は後者2.を中心に進めたいと思います。
20世紀の半ばから数十年は「前衛の時代」と呼ばれ、それまでの音楽を根底から覆すようないろいろな試みがされました。ヨーロッパでは、音楽を科学に近づけようとする動きが顕著で、12音音列技法をさらに進めた「トータル・セリエル」に代表されるように、音楽から情念や感情を切り離し、知的に理論に従って創出するという考え方に基づいた作品が生まれました。
一方アメリカを中心に「偶然性の音楽」「不確定性の音楽」と呼ばれる即興性をコンセプトにした作曲のアプローチも多く見られました。作曲家が構成することを意図的に放棄すること(偶然性に委ねること)に価値を見いだした部分を含む音楽の総称と言われています。最右翼はなんと行ってもアメリカの作曲家ジョン・ケージ(John Milton Cage Jr 1912-1992)でしょう。代表作《易の音楽》1951は、古代中国の占いの方法に倣い、音高・音長・強弱・リズムなどを3枚のコインを投げて決め楽譜にしたものです。ただ、作曲方法は偶然性によっていますが、細部まで厳密に記譜されているので、演奏者に即興の余地はありません。
そしてあまりにも有名な作品《4分33秒》。楽譜はたった1ページで(ほかに作品演奏に関する説明のページはありますが)、1楽章Tacet(休止)、2楽章Tacet、3楽章Tacetと書かれているだけです。2種類の演奏(?)例の動画をご覧ください。
「借景の音楽」とも言われています。ただ、パフォーマンスとしてやってみるのは興味深いと思いますが、実際には一音も発するわけではない(演奏をしない)ので、この例も即興演奏の実践的な試みにはなりません。
数ある「偶然性の音楽」の試みの中で、即興演奏が最重視されるものひとつに「図形楽譜」があります。通常の五線譜ではなく、自由な図形などを用い書かれた楽譜のことで、アメリカの作曲家モートン・フェルドマン(Morton Feldman 1926-1987)の発案によるものと言われています。五線譜では表現しきれない新しい音楽を創造する手段として、あるいは既成の概念を打ち壊す作業の一環として前衛作曲家が競って図形譜による作曲を試みました。演奏家の解釈により二度と同じものにはならない場合が多く、即興性が非常に高くなります。上述のジョン・ケージも図形楽譜による作品を多く残しています。
そのような中で、図形楽譜を音楽教育に使った有名な事例があります。旧ハンガリーの前衛作曲者クルターク・ジョルジィ(Kurtág György 1926-)はピアノ教育の分野でも有名ですが、彼は図形楽譜を使った子供のための曲集を書いています。《遊び》という8巻からなる曲集ですが、その中から第2巻より第1曲“バーリント・エンドレを想って”を取り上げましょう。
「子供がピアノに触れた瞬間から、自由に鍵盤上を走り回れたら」という考えから生まれた作品であり、初学者にまずピアノを弾く楽しさを味わってほしいという願いが込められています。ただ私は、子供ではなくても、いや、すでにピアノを練習している人でも、このような図形楽譜を演奏してみることは、「正確な読譜」とは別の柔軟な想像力が求められることにより、音楽で自分を表現する力を付けるのに大変効果的であると思います。
この図形楽譜を使った実践例を紹介します。実際に大学の一般教養の授業での一コマです。受講者は医学・工学など音楽専門以外の学生20人で、全くの初心者がほとんど。ほとんど考える時間を与えず、一人ずつ前へ出てきてやってもらいました。その中から2例をあげます。
クルタークの意図は、この図形楽譜から「いかに音楽的な演奏を紡ぎ出すか」であると思いますが、上述のような一般教養科目の講義におけるたった1回の体験ではそのレベルは望めません。それより、同じ図形楽譜から各人各様の音楽表現がなされるのを共有することの方が重要で意義深いことだと信じています。演奏の経験の有無、技術の習熟度などに関係なく、演奏に集中し普段使わない思考を活性化させることができる、また音楽理論などを気にしないで済むのでストレートに表情が現れるという効果があり、即興演奏の実践のひとつとしてとても有益なものであると思います。
21世紀の現在では、そのようないわゆる「前衛」作品はあまり多く聴かれなくなりましたが、作品の中に部分的に即興演奏を求めるケースは少なくありません。拙作においても、現在の演奏家に少しでも即興経験の機会を増やしたいという思いから、部分的に即興表現をする場面を設定した作品があります。2例を紹介しましょう。
クライマックスの部分で第3フルートが、指示された音や音列を頼りにアドリブのように自由に演奏する部分です。即興演奏の難易度としては難しいものではありませんが、こういうことから応用演奏の楽しみを見いだしてもらえたらうれしいです。
※譜例をクリックすると拡大表示されます
この作品は、国際古楽コンクールのチェンバロ部門本選課題曲として委嘱されたものです。そのため、チェンバロが活躍したバロック時代は「演奏家=即興演奏が堪能な人」であったと言われていますので、必ず即興演奏を設定した作品にしようと思って作曲しました。
第1楽章は、終盤部分にCadenza を設定しています。
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第2楽章は、クライマックス部分に即興演奏の部分を設定しています。16分音符の和音伴奏を弾きながら(Repeat x times)、示された音列の音を中心に旋律を即興的に演奏するように指示されています。
※譜例をクリックすると拡大表示されます
現代においても即興表現は特別なことではありません。「即興演奏!」と声高に叫ばなくても、ちょっとした応用演奏をする場面は意外と身近にあるはずです。そういう場面をできるだけ積極的に捉え、「鍵盤上で遊ぶ」ことを実践していくことが最も大切です。それを積み重ねていくと「鍵盤で高度に遊ぶ」ことができるようになると信じています。