子育て・教育
2021年08月20日掲載 / この記事は約12分で読めます
近年幼児教育のキーワードとなっている「非認知能力」についてさまざまな専門家の先生方にお話をうかがう「非認知能力と音楽」シリーズ。最終回となる本連載では、上智大学名誉教授の荻野美佐子先生に幼少期における非認知能力を育成するための環境づくりなどについて語っていただきました。第1回は非認知能力と認知能力との関係、そして自尊心や自己肯定感を育むために必要なことについてのお話です。
「失敗」から学べることの重要性
現代における非認知能力の重要性
近年、教育の現場で「非認知能力」という言葉をよく耳にするようになりました。非認知能力の重要性について、荻野先生はどのようにお考えでしょうか。
――ご指摘のとおり、2000年代に入ってから「非認知能力」という言葉がクローズアップされるようになっています。「認知」とは、外界を捉える知的な営みを指す言葉であり、「知能」や「思考」あるいは「知的な能力」とほぼ同義です。こうした能力については、課題などの中で捉えやすい能力とそうでないものがあり、これまで捉えやすい能力しかうまく捉えられていないことが大きな限界と考えられました。つまり測りやすい能力だけを捉えて話をしていたに過ぎない、という反省です。
たとえば、どのくらいの知識を持っているか、言葉を理解する力はどうなのか、図形的な処理の力は、といった認知的な能力は捉えやすいもので、課題に正しく答えたかどうかで判断することができます。しかし、学ぶ力、学習意欲、好奇心、集中力、持続力、そしてコミュニケーション力、さらには創造性といったものは、発達において非常に重要でありながら定量的な測定が難しいため、今まで漠然と「これらは大事な力です」としか言ってきませんでした。
インタビューはオンラインで行いました
このようなこれまできちんと捉えてこなかった重要な力に焦点を当て、それをどのように育てるのかを考えるべきとの意識が強くなっていると言えます。OECDにおける児童の学習到達度調査(2015)でも、基礎的な認知能力や獲得した知識だけではなく、社会情動的スキルとしての非認知能力が取り上げられています。ここでは、目標の達成や他者との協働、情動の制御あるいは創造性などの重要性がクローズアップされています。
認知能力と非認知能力は相互補完するもの
――ただ私自身としては、非認知能力だけがクローズアップされることには、違和感があります。今まであまりにも認知能力だけが語られてきたため、そうではない力も大切だというアンチテーゼとして非認知能力が注目されているとも言えます。本来、認知能力と非認知能力は対立するものではなく、相互に補完しあうものだと考えるからです。
認知能力も非認知能力もともに大切で、これらは車の両輪のように、両方がバランスよく発達していくべきものと考えます。私自身は発達障害の子どもたちと関わっていますが、彼らの難しさは発達凸凹と言われるように、能力のアンバランスにあります。
実際のケースとしては、認知能力は高いけれども非認知能力に問題があるお子さんがよく見られます。こうしたお子さんたちは、知能検査などの結果や学業の状態を見ても特に大きな問題があるわけではなく、家庭でも特段の問題がないにも関わらず、集団の場の中では友だちとうまく遊べない、感情のコントロールがうまくできない、他者の感情の推論などがうまくできずにトラブルに発展してしまうなどの難しさをもっていることがあります。本人もそうしたことに困惑し、周囲もその対応に苦慮していたりします。
写真提供:PIXTA
そうしたお子さんたちが、自身の苦手な部分や困難を克服するのはそんなに簡単ではありません。ただし、成長によって、あるいはさまざまな経験をしていく中で、認知的な発達が進み、自分自身の困難を客観視したり、対処のしかたを工夫していくことも多々みられるものです。もう亡くなられてしまいましたが、ある臨床経験豊かな先達が、ご自身の経験から、不適応状態や心理的な問題について、認知的に捉える力を持っている人は何とか乗り越えていけるんだよね、不思議だね、と言っていらしたことが印象的です。
自尊心、自己肯定感を育むには
たとえば非認知能力の一つである自尊心や自己肯定感を育むためには、どのようにしたらいいとお考えでしょうか。
――自尊心や自己肯定感に関してよく指摘されるのは、日本の子どもたちは自己肯定感が非常に低いということです。
幼児は一般に「万能感」あるいは「幼児楽観性」と呼ばれる特徴を持ち、これはどの国の子どもも共通です。「文字をたくさん読める?」と聞くと全く読めなくても「できるよ!」と答えます。自分の力を使って、環境に働きかけ、自身が環境を変えることができる存在と認識するという意味で、「コンピテンス(有能感)」とも言います。
成長過程の中にある子どもにとって、自分の力や存在を肯定的に捉えることは重要なことですが、それが現実の自分の姿と必ずしも一致していないことに気づいてくるようになります。自分のことを客観視したり、少し厳しい目で自分を捉えたりすることができるようになると、肯定的な側面しか捉えていない幼児的万能感から脱し、ネガティブに捉える傾向が強くなります。
ただ、日本の子どもたちの場合、学齢期に入って学年進行とともに、自分への否定的な捉え方が強くなり、他の国の子どもたちよりも自己肯定感が低いとの指摘があります。ドイツで作られ、英語版も使われているKINDLという子どものQOL(Quality of Life:生活の質)を測定するための質問紙を古荘純一先生たちのグループが日本語版で作り、結果を報告しています(2009年※1、2014年※2)。それによると、ドイツの子どもたちと比べて日本の子どもたちの自尊心の低さが目立っています。そして、それは小学生、中学生と学年が高くなるにつれて、より低くなっていることが見られます。
これはどうしてなのでしょうか。たとえば日本の親御さんたちに「お子さんのことを紹介してください」と言うと「うちの子はね、ここができなくって、これがダメで」という話になることが多いのです。ところが以前、アメリカ人の家庭に伺った折、親御さんはお子さんに対して、「この人にあなたのできることをちゃんと説明しなさい」と伝え、子どもたちは自分のことをとても自信を持って語ってくれたことがありました。また、海外のインタビュー報道で、公園で遊んでいる子どもの親たちにお子さんについて話してくださいと求めると、どの親御さんも自分の子どもについて、「うちの子はね、こういうことができるし、こういうところがとてもいいところなんです」といった語りをしていてとても新鮮に感じました。
こうした話をするとアメリカの研究者などは「日本人は謙虚だから」と言いますが、私は「謙虚」という問題ではない気がしています。私たち日本の社会は、ちょっとした違いやできないことに対して寛大ではないように思います。そして、当たり前にできていることを「できる!」と認めてもらえていないのではないでしょうか。
たとえば4歳児がスプーンを使って食べていても、エライね、とは言いません。こぼしてしまったりすると「ダメでしょ」と注意されたりします。1歳の時に比べればスプーンでご飯を食べられるようになることってすごい進歩じゃないですか。でもそういうことは「当たり前」とされて褒めてもらえない。それ以上のことを求められて「ここがまだだね」とか「あれができてないでしょ」などと言われてしまいます。
写真提供:PIXTA
そうではなくて、当たり前にできていることをきちんと認めて、その上でできていることを素晴らしいと褒める。そして今までできなかったのがこんな風にできるようになって良かったね、嬉しいねという気持ちを子どもと共有する。そのように大人が子どもの気持ちに共感することが大切なのだと思います。そして、まだできていないことについては、具体的にどうしたらできると思う?とか、どうしたいと思っているの?と本人に考えさせる。あくまで本人が主体であることを認識させることが、最終的にそれぞれの「自分」をきちんと受け入れることにつながるのだと思います。
お話をうかがっていて、そのアプローチは親御さんの目線かなと思って聞かせていただきましたが、同じことを学校の先生の立場で考えたらどうなるでしょうか。
――基本的には、親御さんも保育士さんや先生でも同じです。大人は子どもに「できるようになってほしい」と思う気持ちが非常に強いものです。しかし、できることに意味があるのではなく、できないことがあったとき、子どもなりに「できるようになりたい」とか「できたらいいな」と思える気持ちを育むこと、そういう意欲が持てるように大人が支援することが必要だと思います。それは「成長欲求を育てる」とでも呼ぶべきものです。
また、どの子も全てのことができるわけではなく、子どもによってできることとできないことは必ずあります。それを子どもに伝えるときに、できていないことに焦点を当てるのではなく、まずはその子が今できていること、持っている力をきちんと認めてあげる。そこを手掛かりにして、できていないところを伸ばす工夫を一緒にできるといいと思います。ただここで注意しておきたいのは、「できること」といっても、その子の中で自分なりに「これは好き」とか「得意だな」「興味があるな」と思えるものであって、他の子との比較で「できる」「できない」ではないと理解しておくことが大切です。
失敗から学べることの大切さ
――小学生がノートに書いた式の答えに、先生が「これはどうしてこの答えになるの?」と聞くと、子どもは慌てて答えを消してしまうことがよくあります。何かを指摘されることは、「自分が間違えた!」と即座に判断してしまい(先生はただ答えが出される過程を教えてほしかったのかもしれないのに)、間違いはすぐに消してなかったことにしなければ、と思ってしまうのかもしれません。
人は多くの失敗をします。「失敗から学ぶ」といいますが、そもそも失敗を経験しないと、その先の学びはありません。失敗はなかったことにする、のではなく「失敗」ときちんと認識して、そこに向き合わない限り「失敗を経験した」ことにはなりません。もちろん、「失敗の経験」には心の痛みや辛さを伴います。あるいは強い自己否定の感情などもあります。それと向き合うのはとても苦しいことです。だから、多くの人は「失敗」してもそれをなかったことにしてしまうのかもしれません。
子どもは、もともと目に見える「結果」で物事を判断する傾向が強いところがあります。テストで○○点だった、先生やお母さんから褒めてもらった、など。ですが、大事なのは「過程」や「なぜそうなったかの理由」などです。結果しか見ていないと、肝心の「どこでどう間違ったか」などをきちんと把握できていないまま通り過ぎてしまうことになります。
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失敗に向き合う痛みや辛さがあまりに強くて耐えられない状態になるのは避ける必要がありますが、失敗できる心の弾力性(レジリエンス)は、少しずつ経験を重ねていくことで、強くなっていくのだと思います。レジリエンスとは、力を加えた時に元に戻ろうとする力のことです。失敗や苦痛などのストレスの負荷に対して、簡単にポシャってしまうのではなくそれを跳ね返すには、筋力トレーニングのように少しずつ鍛錬していくことが必要です。
障害のある子どもたちとかかわる場で、子どもたちが失敗をすると本人も支援者も両方とも落ち込んでしまうことがよくあります。でも、失敗をしないように予防線を張る必要はなく、最初に失敗をするのは当たり前です。2度、3度と失敗をすることで、何がいけなかったのかがわかるようになります。失敗から学べることが大切と、もっと認識してもらいたいと思います。
- ※1 古荘純一 2009 日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか:児童精神科医の現場報告 光文社新書
- ※2 古荘純一・柴田玲子・根本芳子・松嵜くみ子 2014 子どものQOL尺度:その理解と活用 診断と治療社
◇プロフィール
荻野 美佐子(おぎの みさこ)
上智大学名誉教授
東京女子大学文理学部、東京大学大学院教育学研究科教育心理学専攻修士課程、博士課程を経て満期退学。教育学修士。専門は発達心理学、教育心理学。東京大学教育学部助手を経て、上智大学文学部(後に組織変更により総合人間科学部)心理学科教員として30年勤務。2018年に定年退職し、現在は上智学院監事、上智大学生命倫理研究所客員研究員、東京カリタスの家理事、放送大学客員教授など。テーマは親子のコミュニケーション的関係、障害のある子どもの家族支援など。
主な著書に『発達心理学特論』『改訂発達心理学特論』放送大学教育振興会、『育ちを支える教育心理学』あいり出版 17-31,32-46、『ことばの発達入門』大修館書店 173-193、『子どもの社会的発達』東京大学出版会 185-204,227-343、『子どもの発達と親子コミュニケーション』教育と医学(慶應義塾大学出版会)2015年6号、ほか。