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研究・レポート
吉田(古川)優貴(よしだ(ふるかわ)ゆたか)
明治学院大学社会学部付属研究所 研究調査員
※記事掲載時点の情報です

私たちは、いつも踊っている―ケニア、聾の子供の「ダンス」をめぐる人類学的研究―

初めてケニアに足を踏み入れてから、丸12年がたちました。ケニアで調査をしたと言うと、「日本とどれだけ異なるおもしろい文化があるのか?」という趣旨の問いを投げかけられます。しかし、私はこれまで必ずしも「異文化」としてのケニアを研究してきたわけではありません。ケニアでの調査で目の当たりにしたことや気づいたことを通して、日本で生活する私たちに身近なことを考え直してきました。

このコラムでは、ケニアの聾の子供たちの「ダンス」を通して私が考えていることをご紹介したいと思います。まずは、現在の研究の原動力となっているエピソードからご紹介しましょう。少々長くなりますが、最後までおつきあいいただければ幸いです。

楽しい「偽会話」―私たちは会話で何をしているのか?

これは、都内のある病院の大部屋での出来事です。3人の入院患者がおしゃべりをしていました。彼女たちのにぎやかな話し声が、時折、大きな笑いと共に廊下に漏れ出るくらいでした。その部屋に、職員が一人入っていきました。部屋の中の3人が顔を突き合わせながら、快活にべちゃくちゃべちゃくちゃとおしゃべりしているのを見て、その職員は一体どんな話題で盛り上がっているのだろうと耳を傾けました。しかし、3人の話題には、何の接点も見いだせませんでした。一人は旅行に行ったときのこと、もう一人は孫のこと、さらにもう一人はテレビ番組のことを、めいめい好き勝手にしゃべっていたのです。

その職員は、この出来事を私に話した後、こんなふうに言っていました。「聞いていて、途中で頭がこんがらがって何がなんだかわからなくなって…、ともかく、患者さんたちはお互いに好き勝手にしゃべりたいことをしゃべっててね」。おもしろいことに、そうして話の内容に耳を傾ければ3人はそれぞれ「好き勝手に」しゃべっていたにもかかわらず、「相づちをうったり、相手がしゃべりながら笑ったときに一緒に笑ったり、おしゃべりが重なったり、おしゃべりが重なったときには譲り合ったり」し、一言で言えば「普通に会話をしているように見えた」そうです。

実は、この患者さんたちは皆、「認知症」がかなり進んでいたそうです。こう書いてしまえば、「認知症だから、そういうことが起きる」という「理解」にとどまってしまうかもしれません。上述の楽しげなおしゃべりは、認知症の患者さんのケアに携わる人の間では「偽会話」※1と呼ぶそうです。「偽」というくらいですから、認知症ではない人たちの会話とは区別されており、「お互いに迎合・同調的に、自分なりの一方的な話のうなずき合い」※2をしているものと捉えられているようです。

しかし、「3人の患者さんは認知症だった」とか、「それは“偽会話だ”」と言うだけでは、そこで起きたことを何も説明してくれていません。さらに言えば、認知症の人たちだけが「偽会話」と呼ばれるような会話をしているとは限らないのではないでしょうか。行楽客でにぎわう電車内や互いの声が聞き取れないほどに盛り上がる居酒屋などでじっと他人の会話に耳を傾けると、「偽会話」の定義に当てはまるような会話が展開していることがあります。

一体、そこでは何が起きていたのでしょうか? そもそも、「会話」とは何なのでしょうか。

耳の聞こえない子供たちが踊っている

私はここ数年、ケニアの聾の子供たちが振り付けを訓練したわけでもないのに複数人で自在に踊れてしまう事例を探究しています。2003年より合計2年余りにわたって、ケニアの寄宿制初等聾学校や生徒の帰省先に住み込んで調査をおこなってきました。

かれこれ10年以上前になってしまいますが、放課後の聾学校の中庭で、聾の子供たちが何の前触れもなしに踊り出すのを初めて目撃しました。一人が踊り出すのをきっかけに次々と周りの子供たちが巻き込まれ、踊りの輪ができたのです。当時は、聾学校での生活に慣れること、そして子供たちや教職員の方々との信頼関係を築くことを優先するため、ビデオカメラは持参していませんでした。しかし、ビデオカメラを持っていたとしても、撮影することはできなかったかもしれません。耳の聞こえない子たちが習ってもいないはずなのに複数人で踊り出すなど、予想もしていなかったからです。音楽の授業は一応ありましたが、先生が四分音符や八分音符を板書し生徒が先生の指示に従って何拍か鉛筆で机を叩くという座学で、普段の授業でダンスを教えることはありませんでした。

最初の本格的な調査で7か月間聾学校に住み込みましたが、その間に現地の先生が次回来るときはビデオカメラを持ってくればよいと提案してくれました。子供たちは気まぐれですから、また踊ってくれる保証はありません。それでも次の調査では2種類のビデオカメラを用意して行きました。1つは、当時まだ主流だったテープに録画するタイプのもの、もう1つは当時としては珍しかった、SDカードに録画できる起動の速いポケットサイズのものでした。この小型のカメラが、大いに役に立ったのです。次の2つの動画は、小型のカメラを肌身離さず持っていたから撮影できたものでした。

聾学校の中庭で

夜の女子寮にて

左側の動画では芝生の上で女の子たちが並んで踊っていますが、これは女子寮の寮母さんが並ばせたものです。最初はバラバラに踊り出したので撮影チャンスだと思いポケットからカメラを取り出したところ、寮母さんが気を利かせて彼女たちをきれいに並ばせてしまったのです。余談ですが、少なくとも当時は写真を撮ろうとするとカメラの前できちんと整列しポーズをとるというのが人々の習慣だったので、寮母さんも子供たちをきちんと並ばせてしまったのかもしれません。

右側の動画は、ある夜の女子寮での出来事です。私が滞在していた聾学校のある地域は住民のほとんどがクリスチャンで、聾学校もキリスト教系でしたので子供たちには小さな聖書が無料で配布されます。その聖書に書かれている文字をフィンガースペリングと言ってアルファベット手形で表現していた映像です。彼女たちは聖書を読んでいたのかもしれませんが、リズムをとりながら歌っているようにも見えます。音声を大きくすると後ろで太鼓を打ち鳴らすような音が聞こえますが、それは聾の子供の一人が水くみ用のバケツを裏返して叩いていた音です。

特に最初の動画では互いの動きを見ることはありますが、常に見ながらリズムをとることで全体の動きがまとまっていく、というわけではなさそうです。勝手に体が動いていく中で調子が合っていく、というように見えます。

繰り返しますが、子供たちは耳が聞こえません。聞こえないと言うと、何かしらの音を感じ取ってそれに合わせて踊っているのではないかと指摘されることが多いのですが、そう言われると私の方では「なぜそんなにも音(ないしは振動)にこだわるのか」と問いたくなります。ある研究会で同じような発表をしたとき、音大を出たというある研究者の方が「私も音楽を“音中心”に考えることにかねてから疑問を抱いていた」とおっしゃってくださいました。日本語では「音楽」という言葉の中に「音」が入ってしまいますが、必ずしも「音」がなくても楽しめる世界があるのではないか、それをケニアの聾の子供たちは気づかせてくれたのです。

日常会話とダンスの接点―“しゃべっている”から“踊っている”へ

私は、ケニアの聾の子供たちのダンスから、「音」がなくても楽しめる音楽がある、「音楽」の可能性に広がりを持たせる…そういう観点でヤマハ研究活動支援に応募しました。幸い、この研究に対しご理解・ご支援を頂きましたが、とても1年で完成する研究ではありませんでした。その代わりに、過去の調査では経験しなかった出来事をさらなる調査中に偶然撮影することができました。それが次の動画です。

聾の子供の家で、子供たちが踊っている場面を撮影したものです。この中に一人だけ、耳の聞こえない子が混じっています。この動画も研究発表でよく使うのですが、「誰が聞こえない子でしょう?」と問うてみると、ほとんどの方が間違えます。

聾学校内で聞こえない子供同士だけではなく、村で耳の聞こえる子と聞こえない子が楽しげに一緒になって踊っているのを見て、「音楽」という視点から聾の子供たちのダンスを考察するだけでなく、もう1つのアプローチの仕方もあるのではないかという思いが強くなりました。それは、日常会話とダンスを同じ営みとして眺めてみるということです。聾の子供は村でも孤立することなどありません。家族や親族、隣近所の人たちだけでなく、初対面の人たちと会話をします。聾の子供が相手に手話を教える場合もありますが、周りの人に尋ねたところ彼らが知っていると言った手話は「塩」・「砂糖」・「牛乳」・「お父さん」・「お母さん」など、ごく限られた表現だけのようでした。聾の子供自身は、英語・スワヒリ語・ローカルな言語を発声することもありますが、それはそれで発声する語彙が限られているようでした。そのような状態でどうやって互いに理解し合えるのか、それが大きな研究課題です。聾の子供のダンスの事例は、それを考えるためのヒントになるのではないか…かなり飛躍していますが、そう私は考えています。

日本語で、「話が弾む」とか「話が盛り上がる」などという表現があります。いずれの言い回しも何となく「音楽的」な感じがします。しかし、人間の言語行為を考えた場合、言語にとらわれすぎてしまい、そこで起きていることを言葉の世界だけで理解しようとしてしまいがちではないでしょうか。冒頭に挙げた認知症の患者さんたちの「偽会話」のように。この場合の「言葉の世界」とは、リズム・抑揚・テンポなどを取り除いた、意味の世界です。しかし、私たちの日常会話は、この意味の世界の中だけにあるのでしょうか。

次の画像2枚は、左側が先の村で撮影したダンスの様子、右側は聾の子供たちが学校の休み時間に会話をしている様子を撮影したものです。(比較しやすいように、カラー情報を削除しモノクロ加工してあります)。

村で耳の聞こえる子と聞こえない子が混ざって踊る

聾学校の休み時間、子供たちがしゃべっている

どちらも、踊りながら、あるいはしゃべりながら、互いの動きを見たり見なかったりしていました。右側の会話の画像をよく見ると、手話という視覚を使ってやりとりをしなければならない言語でありながら、互いが繰り出す手話をきちんと見ていません。この画像は動画から切り出したものですが、ここにいる子供たちはこの会話の輪の中に出たり入ったりしながら―まるで踊っているかのように―いかにも楽しげにおしゃべりを繰り広げていました。念のため書き添えますが、手話は地域によって異なりますし、音声言語と同様に文法構造をもつ言語のひとつであることがこれまでの研究で明らかになっています※3。つまり、手話それ自体は意味のある言葉だと言えます。そうした意味のある世界で、互いに互いの手話をきちんと見ていなければ「意思疎通」はできないはずなのに、相手が繰り出す手話をじっと見続けている子は誰もいません。

さらに、聾の子供たちを3人呼んでインタビューしたときの様子と、先ほどの休み時間の会話とを比較してみると、休み時間の会話の特徴が際立ちます。インタビューの画像では左から2番目の子が一人で話し、私も含めほかの全員がその子の話をじっと見守っています。このインタビューのとき、私自身もとてもぎこちなく、またインタビューを受けてくれた子たちもいつもとは違い、場が白けきっていました。私が質問し、それに対して行儀よく順番に答えてくれた結果です。他方、休み時間のときの会話はどうでしょうか。右側の画像をよく見ると、まず、同時に手が動いていることがわかります。そして互いの手の動きをしっかりと見ているわけではないこともわかります。それでいて、あるいはそれだからこそ、場が盛り上がっているのです。

インタビュー中の様子(一番右が著者)

互いの手の動きなど見ていないが、会話は弾む

冒頭の「偽会話」の例で言うなら、文字通り一方的なのはむしろ行儀のよいインタビュー場面の方です。確かに、休み時間の子供たちの会話はそこにいる子供たちそれぞれが好き勝手に手を動かしていますが、重要なことはそれを“互いに”やっていることでしょう。「会話」とは「複数の人が互いに話すこと」です。“互いに”ということが、「会話」を「会話」たらしめている、そのように私は考えています。

こうしたことは、音声の事例ではなかなか証明しにくいことですし、そもそも気づきにくいことです。ケニアの聾の子供たちが何の前触れもなく踊り出したり、互いの手の動きをよく見ずに会話が繰り広げられたりする場面に遭遇し、また視覚的に分析可能な映像データを何度も見直すことで初めて気づくことができたのです。このことを博士論文で議論しましたが、議論としてはようやくスタート地点に立ったところです。今後、言語行為もダンスを含めた音楽的営為も相互浸食的にそれぞれ定義が広がることを、ケニアの聾の子供たちの事例からきちんと提示したいと思っています。

フィールドでの“気づき”から出発する

私は、もともと「音楽研究」をしていたわけではありません。音楽に関する学術的知識は、小・中学校の音楽の授業で習った範囲、しかも覚えていることはごくわずかです。現在の研究内容になったきっかけは、ケニアでのさまざまな“気づき”でした。学部の卒業論文では、日本の身体障害者とされる人がどのように生きているか、「障害」とは無関係にどのような日常を送っているかを、いくつかの障害者施設で知り合った方々などへのインタビューから明らかにしようとしました。しかし、どうしても話が「障害」や「障害者」といったことに集中してしまいました。私自身が「障害」という枠組みから逃れられなくなっていたのです。そこで、日本を離れることで、私自身が知らず知らずのうちに身につけていた思い込みから脱することができるのではないかと思い、大学院博士課程で地理的に遠いアフリカに行くことにしました。何も知らないところですから、日常のごくささいなことに関しても質問することができました。「暗黙の了解」を前提にしないからこそできたことです。そうして人々と生活していく中で、それまでの思い込みから自分が解き放たれていきました。現在、非常勤講師をしている大学の共通科目でアフリカに関する講義をしていますが、学生たちにはアフリカを知るだけでなく、アフリカを通して自分たちのことを知ってほしいと話しています。アフリカの事例から翻って、日本でも身近な事例を考え直すこと、これが私自身の研究の基盤にあります。

ケニアで調査をすることになったのは、大学院修士課程に在籍当時の指導教授が、私の語学能力の低さを踏まえ、せめて公用語が英語の地域にした方がいいとアドバイスしてくださったからです。ケニアは旧イギリス植民地で、現在も英語が公用語として使用されています。初めて現地に行ったときのことを、ケニアの友人がのちに「最初は英語すらしゃべれず、静かだったよね」と笑いながら話してくれたほど、私は言葉ができませんでした。私の専門分野である文化人類学領域では、調査地で使用されている言語ができないというのは致命的とされます。ですが、語学が苦手だったからこそ、むしろ気づいたことがたくさんありました。そのひとつが、聾の子供のダンスと日常会話との結びつきでした。

まだ、これは調査を通して出てきた仮説に過ぎません。聾の子供の日常のやりとりを文章化するのは至難の業で、動画を見せれば納得してもらえるものでもありません。動画を使うにせよ静止画像を使うにせよ、工夫をしなければ説得力のある議論を展開できません。手元には、これまでケニアで撮影した2000余りの録画時間のバラバラな動画データがあります。これを整理し、同時に効果的な事例の提示の仕方を模索する…気の遠くなるような作業です。

それから、今でもどこに自分の議論の足場を築けばよいかはっきりとしていないのも苦労している点です。今のところ確実に言えるのは、ケニアの聾の子供たちと一緒に過ごした経験が足場になっている、ということだけです。これまでも私の研究の「独創性」が評価されることは幸いにして少なくなかったのですが、「地に足の着いた研究」とはどうもみなされない傾向にあります。地道に、「気の遠くなるような作業」をしながら、少しずつ形にしていくしかないと思っています。

そして、それほど遠くない将来、さまざまな分野の方と共同研究ができればと思っています。このコラムでも認知症の方の「偽会話」から始めてしまい、言語行為と音楽的営為を結びつけようとするなど私の研究に強引さがあることは否めません。研究テーマとして大きすぎるせいでしょう。理系・文系問わず、私個人ではカバーしきれない分野の方々といつか共同で研究したい、それが今の夢です。夢が妄想に終わらないように、日々精進していきたいと思います。

  • ※1 大井玄, 2008,“「痴呆老人」は何を見ているか”, 新潮新書.
  • ※2 加藤佳也, 2007,「認知症患者は社会を形成しうるか:顔の倫理学に基づいた考察」,「発達人間学論叢」10:77-82.
  • ※3 たとえば、Stokoe, W., 1978, Sign Language Structure (Revised edition), Silver Spring, Maryland: Linstok Press.
著者プロフィール ※記事掲載時点の情報です
吉田(古川)優貴(よしだ(ふるかわ)ゆたか)
明治学院大学社会学部付属研究所 研究調査員
専門:文化人類学
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