どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
—宮沢賢治 「風の又三郎」より—
宮沢賢治の童話、『風の又三郎』の冒頭で出てくる「どっどど どどうど」という音の響きからは、強い風がものすごい力で吹き付けていることを生々しく感じます。このような、耳に聞こえる音や声を模写したことばを擬音(声)語とよびます。
擬音語と似たものとして擬態語というのもあります。辞書を引いてみると擬態語は「物事の状態や様子などを感覚的に音声化して表現する語(大辞林・三省堂書店)」とあります。つまり「さらさら」とか「きらきら」とか「ちくちく」のような表現です。
擬音語や擬態語を総称してオノマトペと呼び、日本語にはこうしたオノマトペがとりわけ豊かに存在しています。今回は、ことばの中に潜む音楽的な要素のひとつとして、音色・音感だけで様子や情感を伝えることができるオノマトペについて、取り上げてみたいと思います。
なぜ音そのもので様子や感じが伝わるのでしょうか。擬音語の場合は聴こえる音を聞こえるままにひらがなで書き起こしているから、で説明がつきますが、では擬態語の場合はどうでしょうか?なぜ私たちは同じ痛みでも、「きりきり」は刺すような鋭い痛み、「ずーん」は重苦しい鈍い痛みだと感じるのでしょうか?
その背景にあるメカニズムのひとつとして、音象徴と呼ばれる現象があげられます。
下にふたつの図形を示します。このうちひとつは「ブーバ」、もうひとつは「キキ」という名前がついています。どちらがブーバでどちらがキキか、ちょっと考えてみてください。
ほとんどの方が、直観的に左のまるっこい図形が「ブーバ」で、右のとがった図形が「キキ」だと思ったのではないでしょうか?
実は私たちは感覚的に、「ブーバ」の/b/のような有声子音は丸い鈍いイメージと強く結び付け、一方で「キキ」の/k/のような無声破裂子音は鋭くとがったイメージと結び付けるのです。
この例のように、特定の音が特定の概念やイメージと結びついて知覚される現象を「音象徴」と呼びます。音象徴はさまざまな音に対してみとめられ、たとえば子音/s/はなめらかで滑らかなイメージと、母音/a/は広く大きなイメージと、高い音は明るい色調のイメージと結び付けられやすいようです。
こうした特定の音に対する共通イメージが私たちの中に内在することが、擬態語の成り立ちと深く関係していると考えられます。
ところで近年、私たちが音象徴をどのように獲得するのかについて盛んに研究がおこなわれています。
その結果、生後4か月の赤ちゃんに先ほどの2つの図形のうち、右のぎざぎざした「キキ」っぽい図形を、イメージと一致する「キキ」という音と一緒に提示した場合と、イメージと一致しない「ブブ」という音と一緒に提示した場合では反応が異なることや※1 、生後10か月の赤ちゃんが高い音を暗い色よりも明るい色と結び付けることが報告されています※2。つまり、人間は赤ちゃんのころから音象徴を持っているらしいことがわかってきたのです。
ほかの研究ではのっそり歩く動作をさっさと歩く動作を視覚提示し、「のすのす」というオノマトペを聞かせて、「どちらの動作を示していると思いますか」と尋ねました。すると、日本語ほど擬態語が豊富に存在しない英語の話者であっても、偶然よりもずっと高い確率でゆっくりと歩く動作を選択しました※3。
これらの研究結果から、音象徴は言語発達の過程で学習されるものではなく、生まれつき私たちに備わっている感覚である可能性が高いと考えることができます。
音象徴に見られるような「音とイメージのつながり」を、もっとはっきりとしたあらがいようのない感覚として感じる人がいて、こういった人たちは「共感覚者」と呼ばれます。「共感覚」というのはあまり聞きなれないことばですが、ひとつの感覚刺激によって別の知覚が無意識に引き起こされる現象、と定義することができます。 たとえば、「色聴」と呼ばれるタイプの共感覚を持つ人は、特定の音程、和音、音楽または人の声を聞くとあたかも目に見えるように特定の色を感じます。感覚刺激は、聴覚に限らず、視覚、味覚、嗅覚、と多岐にわたるために、色聴以外にもさまざまな組み合わせの共感覚が存在します。
先述した音に色を見いだす人だけでなく、逆に色に音を感じる人、文字や数字に色を感じる人(共感覚者はこのタイプが一番多いようです)、味に形を感じる人、音楽ににおいを感じる人などが存在することが知られています。こうした共感覚を持つ人の正確な統計をとることは難しいのですが、最近の研究では共感覚者は23人に1人というかなり高い割合で存在するという報告もあります※4。
また、芸術家にはこの感覚を所有する人が多いようです。
たとえば現代音楽の作曲家でピアニストのオリヴィエ・メシアンは色聴共感覚の持ち主であり、自ら「音楽を通して色を伝えようとしている」と述べています。彼が音から感じる色彩はとても豊かだったようで、ある音調に対し、「青紫の塊、小さな灰色の立方体がきらきらしていて、コバルトブルー、深いプルジアンブルー、金、赤、モーブや黒、白の星で彩られている。でも青紫の色が一番強い。」という詳細な色の感覚を記述しています※5。
オノマトペ、音象徴、共感覚といったものの存在は、私たちの受け取る感覚経験は決して視覚や聴覚という個々の感覚内だけに収まるものではなく、感覚と感覚をまたいで統合的に感じるものであることを示しています。
こうした豊かで広がりのある感覚を持つこと、また音象徴のようにその感覚を私たちがある程度共有していることが、文学や音楽を含めた優れた芸術がこの世に存在し、それが多くの人にとって共通の喜びや楽しみとなるひとつの理由なのではないでしょうか。