子育て・教育
2021年08月26日掲載 / この記事は約8分で読めます
荻野美佐子先生(上智大学名誉教授)の連載では、幼少期の非認知能力の育成について語っていただいています。第1回では、認知能力と非認知能力は相互補完するものであり、子どもの成長欲求が育まれるよう大人が支援することが大切であるというお話でした。第2回は幼児期に非認知能力を育むことの重要性、そして非認知能力を育むための環境や素地づくりについてうかがいます。
非認知能力を育む土壌は「信頼関係」
幼児期における非認知能力の重要性
荻野先生は、乳幼児あるいは幼児期において非認知能力を育成することが、その後の成長にどんな影響があるとお考えですか。
――文部科学省は「生きる力」という言葉を使っていますが、今の社会で自分らしく生きていくためには、非認知能力を高めることが必要だと思います。それは生まれたばかりの赤ちゃんや幼児期に限らず、大人になっても同じであり、人生のどの時期においても常に非認知能力を育成することは大切です。
ただ認知能力と非認知能力はある程度相関して、補い合って高まる部分がありますから、幼児期など発達の初期において認知能力が育っていく土台としての非認知能力を育成しておくことは非常に重要だと思います。認知能力を獲得する過程において、その基盤になる素地が非認知能力であり、それがどのように獲得できているかが、その後の成長に大きく関わってくると考えています。
非認知能力を育む環境、素地
非認知能力を育成するためにはどんな環境、どんな素地が必要なのでしょうか。
――非認知能力を醸成する重要な要素の一つは信頼関係だと思います。「失敗から学ぶ」という話をしましたが、安心して失敗できる人間関係が必要だと思います。親子関係について「アタッチメント(愛着)」という概念があります。特定の他者との絆が安心、安全のエネルギーを備給する基地として機能すると考えるものです。
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外界の探索に出るには、セキュア・ベース(安全基地:secure base)で安心のエネルギーを得ることが必要です。それによって外界の困難に立ち向かったり、未知の世界を探求したりすることができます。そうした活動をすることによってエネルギーが消耗されると不安が大きくなり、基地に戻って安心のエネルギーを備給することが必要になってきます。
安定したアタッチメントを作るために必要な親の特性として、いくつか指摘されているものがあります。一つは内省機能と呼ばれますが、自分や相手の行動の背景にある心的な状態を解釈する力です。二つ目は洞察性で、子どもが持つ心的な世界を、親自身とは違うものとしてさまざまな側面から柔軟に受け入れる力です。三つ目は心を気遣う傾向(mind-mindedness)といいますが、どんなに幼い子どもでも、心をもった一人の人間としてみなしてかかわる力です。四つ目は情緒的利用可能性(emotional availability)です。これは、子どもの探索行動を支えるような支援的で温かい態度をもってそこに居ること、つまり子どもにとって、いつでもちゃんとそこに居てくれるという感覚が持てること、です。
親が子どもをひとりの存在として受け入れ、その内面を理解しようとし、見守っていること、そして、その中で子どもが安心して「そこに居る」ことができる状態を作ることだと思います。自分が受け入れてもらえるのかな、といつも不安でいたり、“いい子”でいなければと思ったりしなくて済むような関係性が必要なのだと思います。
また、自己効力感、自尊心の研究をしているハーター(Harter,S.※1)が、自尊心に関わる大きな要因として二つ挙げています。一つは自分自身が大事だと思う領域で自分がどう力を発揮できるかということ、もう一つは自分が大事だと思う人との関係において、自分がしっかりと受け止められているかということ。これらがその人のあり方を支え、土台を作っていくと言っています。
つまり、自分が大事だと思う人が認めてくれているか、自分が大事だと思う領域できちんとやれていると思えるかのいずれかが満たせれば、人は自分を肯定的に捉えることができるという指摘です。
逆に言えば、自分が大事だと思う人が認めてくれない、自分が価値を置いている分野で失敗してしまったりなどする(スポーツに価値を置いている人は試合に負けた、など。勉強に価値を置いている人は受験に失敗した、など)と大きく自尊心が低下してしまうことになります。ただし、仮に自分が価値を置いている領域で失敗したとしても、自分が大事だと思う人が認めてくれていれば、自尊心を大きく低下させることにはなりません。
広がりのある人間関係のネットワークで信頼関係を築く
「アタッチメント」や「セキュアベース」という概念は、親子関係や家族、家庭など、一緒にいる時間が長い環境における関係性だと思うのですが、例えば学校の先生や週に1回だけ会うような習い事の先生との関係でもそのような信頼関係は構築できるのでしょうか。
――確かに先生などとの関係は厳密な意味では「アタッチメント」ではないかもしれません。幼いときは特定の人との個別の人間関係が信頼の基盤になると思いますが、それがある程度できてくると、特定の個人だけでなく、自分自身を支えてくれるものという、もう少し抽象的なものとの関係でも信頼関係は作れるようになると思います。
アタッチメントのように特定の対象との情緒的絆を重視する考えとは別に、より広がりを持った人間関係のネットワークによって人は支えられていると考える「ソーシャルネット・ワーク(social network)」を重視する考え方もあります。特定の人間関係に重きを置く考え方だと、特定の対象との関係を基盤として、その後のより広い人間関係が作られていく、したがって、最初の関係作りがうまくできていないとその後の発達に大きな問題が生ずるといった捉え方になってきます。
ソーシャル・ネットワークの考え方では、複数の関係が同時にあり、網の目のような関係性の中にからめとられており、どこかの関係がうまく作られないことがあったとしても(親との関係に難しさがあるなど)、他の関係がそれを補完することができる(学校の先生や近所のおばさんなど、疎密はあっても多様性のある機能として意味をもつ)と考えるものです。
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さらに、ネットワーク・モデルの一つに「コンボイモデル(convoy model)」呼ばれるカーンとアントヌッチ(Kahn & Antonucci,1980 ※2)によるものがあります。コンボイとは護衛艦の意味ですが、母艦がその周囲を複数の護衛艦に囲まれて航行する様子になぞらえて、人がその人生を、複数の人との関係に支えられて進んでいくとするものです。コンボイモデルでは、複数の重要な他者という観点から、それらが重要度の異なる階層構造を作っていると考えます。
カーンとアントヌッチは、個人を中心に3重の同心円を描き、3層の重要度の異なる複数の他者によって個人が支えられていると想定しています。このような重要度の異なる他者を考えるというのは、人は密な関係だけではなく、疎密の多様な他者との関係の中で育っていくことの重要性を指摘しているのだと言えます。このように環境をネットワーク的に捉えれば、先生や学校、レッスンの先生は十分子どもを支える存在になり得るのではないでしょうか。以前、音大生のコンボイの調査をしたときに、レッスンの先生をコンボイの内側の円に書く人が多く見られました。
それぞれの経験によってどんな人が大切な存在なのかは違ってくると思いますが、どの人にとっても密に支えてくれる存在、ちょっと距離をおいて支えてくれる存在など、いろいろな距離感の中で支えてくれる存在を持つことは大切だと思います。実際に、虐待の中で育った人が大人になってから、自身の幼いときのことを振り返って、隣のクラスのいつも声をかけてくれる先生が、とか、朝、挨拶を交わすだけの近所のおばさんが、といったほんのちょっとしたかかわりの中で、自分のことを気にかけてくれている人がいることが支えになっていたと語ってくれたことがありました。
- ※1 Harter,S.(1999)The construction of the self: A developmental perspective. New York;Guilford.
- ※2 Kahn,R.L.&Antonucci,T.C.(1980)Convoys over the life course: Attachment, roles, and social support. In P.B.Baltes & O.G.Brim (Eds.) Life-span development and behavior, vol.3 Academic Press.(pp.253-286).
◇プロフィール
荻野 美佐子(おぎの みさこ)
上智大学名誉教授
東京女子大学文理学部、東京大学大学院教育学研究科教育心理学専攻修士課程、博士課程を経て満期退学。教育学修士。専門は発達心理学、教育心理学。東京大学教育学部助手を経て、上智大学文学部(後に組織変更により総合人間科学部)心理学科教員として30年勤務。2018年に定年退職し、現在は上智学院監事、上智大学生命倫理研究所客員研究員、東京カリタスの家理事、放送大学客員教授など。テーマは親子のコミュニケーション的関係、障害のある子どもの家族支援など。
主な著書に『発達心理学特論』『改訂発達心理学特論』放送大学教育振興会、『育ちを支える教育心理学』あいり出版 17-31,32-46、『ことばの発達入門』大修館書店 173-193、『子どもの社会的発達』東京大学出版会 185-204,227-343、『子どもの発達と親子コミュニケーション』教育と医学(慶應義塾大学出版会)2015年6号、ほか。