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  3. 鍵盤ソルフェージュの確立『ぷらいまりー』1978年の改訂
学び・教養
ヤマハ音楽教室創設以来、この事業を牽引してきた川上源一氏。1977年に川上氏の考えをまとめた『音楽普及の思想』が刊行され、ヤマハ音楽教育システムの理念やジュニア・オリジナル・コンサート(JOC)などの取り組みはさらに広く知られるようになりました。 翌年の1978年には5代目『ぷらいまりー/せこんだりー』から6代目『ぷらいまりー』へと幼児科テキストが改訂。初のテキスト『幼児のオルガンの本』からおよそ20年の時を経て、幼児科のカリキュラムと指導法は「鍵盤ソルフェージュ」に結実しました。

* ヤマハ株式会社は、1887年に山葉寅楠(1851-1916)が創業し、1897年に設立した日本楽器製造株式会社が前身です。現在の名称となったのは1987年ですが、本連載では読みやすさを考慮し1987年以前の出来事についても社名を「ヤマハ」で表記しています。

 

幼児科の歴史の転換点

今回の連載では1978年の幼児科テキスト改訂がテーマです。初のテキスト『幼児のオルガンの本』が編纂されたのは1959年でした(→本連載第4回)。以来、『幼児の本』『じゅにあー』『幼児のほん』『ぷらいまりー/せこんだりー』とバトンをつないできた訳ですが、通算6代目となる『ぷらいまりー』以降、テキスト名は単独『ぷらいまりー』が引き継がれていきます。

 

名前が同じであること。これは、大きな意味をもっています。ニュース番組などでたとえるならば、これまでの改訂はある特定の時間帯で数年ごとにメインMCと番組名を変えてきたようなものです。しかし、1978年以降は『ぷらいまりー』という長寿番組の中でMCを交替していくような形となります。つまり、幼児科創設からの約20年に比べると、6代目以降はテキストそのものの変化度は小さくなるのです。また、アーカイブプロジェクトを展開していた当時、6代目以降のテキスト改訂の中心を担った方々は皆、何らかの形でヤマハ音楽振興会(または関連団体)にまだ在籍されていました。そういった意味でも、幼児科の歴史上1978年は一つの区切りだったのだとわたしは判断しています。幼児科の理念のもとに初代~5代目までのさまざまな試行を経て、6代目『ぷらいまりー』において幼児科テキストの土台が形成されたという流れを押さえてみてください。

 

『ぷらいまりー』(4巻)の表紙

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『音楽普及の思想』の刊行

「見つめ直そう、幼児科を」

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音楽的な体験か反復練習か

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