子育て・教育
2021年09月09日掲載 / この記事は約8分で読めます
今の社会で自分らしく生きていくために非認知能力を育むことが必要であると語る荻野美佐子先生(上智大学名誉教授)。連載最終回では、非認知能力の育成に音楽がどのような効果をもたらすのかについてお話をうかがいました。
音楽の「同期させる力」が育むもの
音楽を聴いたらワクワクするのは世界共通
非認知能力の育成に関して、音楽はどのような効果があるとお考えでしょうか。
――音楽は、音の構成を捉える点では認知的なものだと思いますが、それによって感情が動かされたりあるいは自身の表現手段になったりする非認知的な特徴も持っているものと思います。人の記憶と結びついた音楽が、その人の感情に働きかけることはよく知られているところです。
ただ、その曲を初めて経験しても、なぜかそれに強く動かされる、ということも起こります。ある病院でボランティアの演奏者が高齢者の方のためにと思い、懐かしい童謡などを選んで演奏していたのですが、たまたま私の目の前にいたおじいちゃまが「もう疲れたから、帰る」とおっしゃって帰りかけました。
写真提供:PIXTA
でもちょうどそのタイミングでピアソラのタンゴの演奏が始まったら、「あ、もうちょっといるよ」と立ち上がったままそこに留まり、演奏が終わったら「今のは良かったねえー」と何度も繰り返しておっしゃっていました。ピアソラの曲だとかタンゴだといったその音楽の情報を知っているかどうかにかかわらず聴いたらワクワク、ドキドキする。それは音楽ならではでのことだと思います。
お祭りや盆踊りの季節になり、太鼓の音が聞こえてくるとお尻がむずむずするという人も多いと思います。身体の調整が難しくてラジオ体操はできないお子さんが、お祭りの太鼓に合わせて踊るのはとても上手ということがありました。
音楽の「同期させる力」が意欲や社会性を育む
――音には「オン」と「オフ」があり、そのパターンによって音の世界は成り立っています。二人以上の人が音の「オン」「オフ」にかかわるとき、大雑把に言って、それが同時になされるのか(同期パターン)と交互になされるのか(交替パターン)の2つの状態が生ずることになります。
同期パターンは、音楽を聴いて一緒に動いたり、一緒に音を出して演奏したりするものです。この一緒にするタイミング(オン)を短い時間間隔で反復すると興奮が高まることになり、逆にオフの時間を少しずつ長くしていくと鎮静化する働きがあります。また一緒に同じことをすることで「この人と繋がっているんだ」という実感が持てたり、アタッチメントのように「この人は信頼できる人だ」という関係が構築できたりすることがあります。
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赤ちゃんを抱っこしたお母さんが赤ちゃんと呼吸を合わせてゆっくり揺すったり、パッティングしたりすることで、赤ちゃんは安心してお母さんとの一体感を感じることができます。そのときに子守歌をハミングしたりすると、お母さんの発声、身体の動き、赤ちゃんが経験している聴覚的な刺激や身体の感覚が同期しやすくなります。このように、音楽は同じタイミングでの同期を作り出す役割を持っています。
音楽がかかわらなくても、同じような行動を同じようにすることは安心感にもつながり、なかなか慣れてもらえない障害のお子さんとかかわるときには、その行動を真似していると近づいてもパニックになったり警戒されたりせずに受け入れてもらえるようになります。同じことを一緒にやる、ということが人と人とのつながりを作る土台になるのかもしれません。
同期パターンがどちらかというと感情に関与するのに対し、交替パターンは、コミュニケーションというやりとりと同じ作りを持っていて、人と人とがかかわるときに、相手を意識したり、相手からのメッセージを受け取ったりすることに資する働きをもっています。
自閉のお子さんでコミュニケーションがうまくできない場合、まず音でコミュニケーションする方法をとることがあります。声でのやりとりが難しいときには、たとえば太鼓でポンポンと叩いてちょっと待つということを繰り返す、あるいは子どもにバチを持たせてこちらが叩いたら太鼓を子どものバチに当てるということを何度かすると、叩く行動と行動との間の「間(ま)」に子どもの行動が入りやすくなり、それが結果として二人での音のやりとり(ターンテイク:交替)になります。これはまさにコミュニケーションです。
ターンテイクがうまく成立するためには、一緒に同じモノ(具体的な物だけでなく音や音楽も抽象的にはモノです)に互いが注意を向けることが前提です。自分で言葉を発することができなくても、楽器を自分の声として使うことで誰かとやり取りすることができるようになりますし、相手を意識して一緒に音を合わせようという気持ちも出てくることになります。
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こうしたことを、長年、乳児期からの母子相互作用の研究をしてきたトレヴァーセンとともにマロック ※1が「コミュニケーション的音楽性(communicative musicality)」(日本語訳では「絆の音楽性」)として示しています。これは、乳児期の母子相互作用研究から「情動調律(affect attunement)」の概念を出したスターン(Stern,D.)とも共通するものです。ちなみに、スターンもトレヴァーセンもともに1970年代から母子の観察研究をしていて、乳児とお母さんとのやりとりが人の発達の基盤として重要だとの指摘をしています。
そういう意味で、非認知能力に大きく関わる意欲、社会性、自分を自分として感じられることは音楽が持っている「同期させる力」が繋いでくれる部分があるように思います。
楽器や音楽は人と人との関係を作る役割を持っている
お話をうかがうと、音楽を演奏する場合でも、一人より複数で音を出したりアンサンブルしたりする方がお互いに音を聴き合ったりするわけですから、非認知能力の育成に関してよりメリットがあるのでしょうか。
――合唱やアンサンブルで他の人と音を合わせることには大きなメリットがあると思います。先ほどは協調性についてあまりお話ししませんでしたが、子ども同士の関係を作るインタラクションに関する研究の中で、同年齢の子ども同士での遊びがうまく成立しないように見える年齢であっても、焦点化される物があると、そこで関係が成立するとの指摘があります。これを社会志向行動(Socially Directed Behavior:SDB)と言います。
たとえば、1、2歳の子どもは互いに協調的に遊ぶことはできず、一緒にいても物の取り合いしか起こらないと言われ続けていた時代がありました。確かに、おもちゃを取り合って泣き喚くか、一人で黙々とおもちゃをいじっている姿しか見られないと思われがちなのは事実です。
ミニカーを持たせれば、それは一人の子どもしかいじることができないので取り合いになり、それを避けるためには、それぞれにミニカーを持たせる、ということになってしまいます。でも、そこに段ボール箱を一つ置くとどうなるでしょうか。ある子が段ボールの側面をパンパンと叩く、あれ?何かな、と思った子が同じように側面をパンパンと叩く、そんなことをしているうちに叩き合っている子たちは顔を見合わせて嬉しそうにニコっと笑う、段ボールの側面に顔を隠した子がバアーと顔を出して他の子の注意を誘う、別の子もイナイナイバアを始める・・・
一緒に遊ぶのが難しいと言われる年齢の子どもたちであっても、焦点化して共有するモノがあることで、互いに関わりのある遊びが成立し、それがコミュニケーション的なかかわりに発展していきます。
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音楽や楽器の演奏は、そういった焦点を作りやすいものであって、音が人を呼び寄せ、そこに関係を生み出す役割は、音楽それ自体が持っているものだと思います。音を通して相手を意識し、同時に自分自身の存在も意識するようになり、そこで両者の関係の調整を図るのが音楽の役割でもあると思います。声や楽器の音は、それを発している主体が誰かということと共に、“音”それ自体としては発している人とは切り離されて経験されるものです。ですから、合唱やアンサンブルの経験の中で、自分や他の人の“音”を客観視することで、それぞれの社会性や協調性を育むことにつながるのだと思います。
- ※1 Malloch,S. & Trevarthen,C.(Eds.) 2010 Communicative musicality: Exploring the basis of human companionship. Oxford University Press. 根ケ山光一他訳 2018「絆の音楽性:つながりの基盤を求めて」音楽之友社
(おわり)
文・編集:池谷 恵司(いけや けいじ)
(当連載は2020年11月17日に取材した内容をもとに作成しております)
◇プロフィール
荻野 美佐子(おぎの みさこ)
上智大学名誉教授
東京女子大学文理学部、東京大学大学院教育学研究科教育心理学専攻修士課程、博士課程を経て満期退学。教育学修士。専門は発達心理学、教育心理学。東京大学教育学部助手を経て、上智大学文学部(後に組織変更により総合人間科学部)心理学科教員として30年勤務。2018年に定年退職し、現在は上智学院監事、上智大学生命倫理研究所客員研究員、東京カリタスの家理事、放送大学客員教授など。テーマは親子のコミュニケーション的関係、障害のある子どもの家族支援など。
主な著書に『発達心理学特論』『改訂発達心理学特論』放送大学教育振興会、『育ちを支える教育心理学』あいり出版 17-31,32-46、『ことばの発達入門』大修館書店 173-193、『子どもの社会的発達』東京大学出版会 185-204,227-343、『子どもの発達と親子コミュニケーション』教育と医学(慶應義塾大学出版会)2015年6号、ほか。