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  3. 全体から部分へ『ぷらいまりー』1988年の改訂
学び・教養
1988年、約10年の時を経て幼児科テキストは6代目から7代目『ぷらいまりー』へと改訂されます。その間、国内の主要オーディオ機器はレコード、カセットテープ、CDへと変化し、世界的にもさまざまな分野でデジタル化が進みました。 体系立った幼児科テキストとして『ぷらいまりー』が定着した中で、なぜ改訂は必要だったのでしょうか。従来の枠組みを継承しつつも、指導法のさらなる発展がどのように追求されたのか、足跡をたどります。

* ヤマハ株式会社は、1887年に山葉寅楠(1851-1916)が創業し、1897年に設立した日本楽器製造株式会社が前身です。現在の名称となったのは1987年ですが、本連載では読みやすさを考慮し1987年以前の出来事についても社名を「ヤマハ」で表記しています。

 

テクノロジーの発達・メディアの変化と音楽教室

本連載も少しずつ現代へと近付いてきました。今回取り上げるのは、わたし自身も幼少期に出会った7代目のテキスト『ぷらいまりー』なのですが、テクノロジーの発達が音楽教室にもたらした変化に関するお話から始めます。

 

ヤマハ音楽教室のグループレッスンでは当初「オルガン」が使用されました。幼児科の指導書において「オルガン」が「(ピアノとエレクトーンをまとめて)キーボード」に取って代わられたのは1972年の5代目『ぷらいまりー/せこんだりー』改訂のときです(→本連載第8回)。『月刊エレクトーン』という専門誌の創刊も1971年。1970年代を経てエレクトーンは普及が進み、1980年代にはその性能がデジタル化によりいっそう向上しました※1。7代目テキストの頃には、エレクトーンが何台も並んでいるのがヤマハのレッスン会場の日常的な風景でした。

 

もう一つ、テクノロジーとともに変化したもの。それは、鑑賞や家庭学習用の音源です。ヤマハ音楽教室の前身となる取り組みが始まった1950年代、人々は蓄音機でレコードを聴き音楽を楽しんでいました。特に1958年にフランスで開発された「ソノシート」という塩化ビニール製のレコードは、学校の音楽の授業に使う音源や、雑誌のオマケなどにも採用され浸透していきます。レコードの時代は1980年代初頭まで続くので、意外と長いのですね。他方、1970年代には生音をカセットレコーダーでテープに録音する文化も広まり、1980年代にはダビング機能を備えたカセットデッキなども一般家庭に普及しました。さらに1980年前半にCDプレーヤーとソフトが開発・販売され、CDとテープの複合機も登場。音楽CDの生産枚数は1988年にオーディオレコードを抜きました※2

6代目『ぷらいまりー』時代に製作されたレコード

ヤマハ音楽教室では2代目テキスト『幼児の本』時代(1960~)には教材関連のレコードがつくられていたことがわかっています。その後、6代目『ぷらいまりー』時代(1978~)教材用音源にカセットとレコードの両方が準備されたものの、レコードの購入希望の方が多かったといいます。そして7代目『ぷらいまりー』では家庭用教材にカセットとCDの両方が用意され、講師が用いる鑑賞等の音源にも本格的にCDが導入されました。テキストとともに製作されるメディア教材も、急激な変化を遂げていったのですね。

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