学び・教養
2022年05月12日掲載 / この記事は約12分で読めます
1988年、約10年の時を経て幼児科テキストは6代目から7代目『ぷらいまりー』へと改訂されます。その間、国内の主要オーディオ機器はレコード、カセットテープ、CDへと変化し、世界的にもさまざまな分野でデジタル化が進みました。
体系立った幼児科テキストとして『ぷらいまりー』が定着した中で、なぜ改訂は必要だったのでしょうか。従来の枠組みを継承しつつも、指導法のさらなる発展がどのように追求されたのか、足跡をたどります。
* ヤマハ株式会社は、1887年に山葉寅楠(1851-1916)が創業し、1897年に設立した日本楽器製造株式会社が前身です。現在の名称となったのは1987年ですが、本連載では読みやすさを考慮し1987年以前の出来事についても社名を「ヤマハ」で表記しています。
テクノロジーの発達・メディアの変化と音楽教室
本連載も少しずつ現代へと近付いてきました。今回取り上げるのは、わたし自身も幼少期に出会った7代目のテキスト『ぷらいまりー』なのですが、テクノロジーの発達が音楽教室にもたらした変化に関するお話から始めます。
ヤマハ音楽教室のグループレッスンでは当初「オルガン」が使用されました。幼児科の指導書において「オルガン」が「(ピアノとエレクトーンをまとめて)キーボード」に取って代わられたのは1972年の5代目『ぷらいまりー/せこんだりー』改訂のときです(→本連載第8回)。『月刊エレクトーン』という専門誌の創刊も1971年。1970年代を経てエレクトーンは普及が進み、1980年代にはその性能がデジタル化によりいっそう向上しました※1。7代目テキストの頃には、エレクトーンが何台も並んでいるのがヤマハのレッスン会場の日常的な風景でした。
もう一つ、テクノロジーとともに変化したもの。それは、鑑賞や家庭学習用の音源です。ヤマハ音楽教室の前身となる取り組みが始まった1950年代、人々は蓄音機でレコードを聴き音楽を楽しんでいました。特に1958年にフランスで開発された「ソノシート」という塩化ビニール製のレコードは、学校の音楽の授業に使う音源や、雑誌のオマケなどにも採用され浸透していきます。レコードの時代は1980年代初頭まで続くので、意外と長いのですね。他方、1970年代には生音をカセットレコーダーでテープに録音する文化も広まり、1980年代にはダビング機能を備えたカセットデッキなども一般家庭に普及しました。さらに1980年前半にCDプレーヤーとソフトが開発・販売され、CDとテープの複合機も登場。音楽CDの生産枚数は1988年にオーディオレコードを抜きました※2。
6代目『ぷらいまりー』時代に製作されたレコード
ヤマハ音楽教室では2代目テキスト『幼児の本』時代(1960~)には教材関連のレコードがつくられていたことがわかっています。その後、6代目『ぷらいまりー』時代(1978~)教材用音源にカセットとレコードの両方が準備されたものの、レコードの購入希望の方が多かったといいます。そして7代目『ぷらいまりー』では家庭用教材にカセットとCDの両方が用意され、講師が用いる鑑賞等の音源にも本格的にCDが導入されました。テキストとともに製作されるメディア教材も、急激な変化を遂げていったのですね。
「全体から部分へ」
本題のテキストの話題に移りましょう。「鍵盤ソルフェージュ」を確立させた6代目『ぷらいまりー(同名のテキストとしては第2世代)』はおよそ10年にわたって使用され、1988年に改訂を迎えました。そうして『ぷらいまりー』としては第3世代、幼児科テキストとしては7代目となる『ぷらいまりー』が編纂されます。
ミントとチェリー
サンリオと共同開発された「ミントとチェリー(通称「ミンチェリ」)」というキャラクターが幼児科の新しい顔となり、テキストや関連教材に登場しました。当時の生徒たちは開発者が誰かなんて知らなかった訳ですが、今になって見てみると確かにサンリオのお店に並んでいても違和感のない、かわいらしいキャラクターだと思います。
7代目テキスト『ぷらいまりー』は1988年から1990年代半ばまで使用され、その間に幼児科修了後のコースは幾度か変更がありました。ここに掲載したシステム体系は1992年のものですが、幼児科の修業年限はずっと2年間で固定されていました。
「ヤマハ音楽通信」第312号に掲載された指導体系(1992)
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テキスト1巻の冒頭に掲載された「おかあさまへ」という文章には、こう綴られています。「ヤマハ音楽教育システム幼児科では、幼児の成長過程を考慮し、音楽を聴くことや歌うこと、弾くこと等を通じて、楽しみながら勉強をしていくうちに、音楽的感性を養い、音楽の基礎能力を自然にのばし身につけられるよう、カリキュラムがつくられております」。子どもの発達段階を勘案した適期教育や、子どもたちが楽しく自然と総合的な音楽の基礎を習得できるようにするという、初代テキスト以来の理念が脈々と継承されていることがうかがえます。
昭和最後の幼児科改訂の中心となったのは、指導スタッフ(→本連載第9回)の山本順一氏と森内秀夫氏。森内氏の口述回顧録によれば、この改訂で掲げられたコンセプトは「全体から部分へ」でした。幼児科全体の枠組みは従来の理念とカリキュラムを継承しながら、子どもが音楽の諸要素を把握できるように指導法の改善を図る。それが1988年改訂の主旨だったのです。
『ぷらいまりー(ミントとチェリー)』(4巻)の表紙
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音楽体験がキーワード
7代目テキスト『ぷらいまりー』の指導資料(当時は「指導マニュアル」といいました)や指導法をめぐる議論では、「音楽体験」が一つのキーワードだとわたしはとらえています。当時の幼児科の指導目標は、①音楽的感性の育成、②音楽基礎力の育成、③音楽表現の素地づくりの3つでしたが、①について指導資料に次のように書かれています。
「幼児科は音楽体験の場です。先生、生徒、母親、3者のかかわりの中で音楽を楽しみ共感する――その快い体験が音楽的な感性を育てていきます。」
つまり、どんな学びであっても、子どもが音楽を楽しいと感じられるかどうかを徹底して大事にする姿勢が貫かれています。
例を挙げてみましょう。初めて音楽を習う幼児にとってどうやって鍵盤に親しんでいくかは、これまでも重大な検討事項の一つでした。例えば1巻に収められた《とべとべ ロケット》では、図のようにテキストには音符もリズムも書いてありません。先述のとおりメディアの発達によって7代目『ぷらいまりー』時代に講師用教具としてCDが本格的に導入され、鍵盤遊びの方法や位置付けが変わったためです。《とべとべ ロケット》では音源に合わせて子どもが白鍵で遊び、鍵盤へ興味付けを行う目的があります。
『ぷらいまりー1』より「とべとべ ロケット」(pp.10-11)
また、同じく「鍵盤あそび」のための楽曲《くちぶえ ふこう》では音源に合わせて3指の練習をしますが、後に出てくる「鍵盤レパートリー」の《だいすきな パン》の要素を先行して体験できる素材になっています。さらに「鍵盤あそび」で提示される素材は、子どもがリズムなどを変化させたりして自ら工夫し、応用・発展させることで、音楽創造への素地づくりにもつながるよう意図されていました。
『ぷらいまりー1』より「くちぶえ ふこう」(pp.18-19)
『ぷらいまりー1』より「だいすきな パン」冒頭(p.20)
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「先行体験」も7代目『ぷらいまりー』が語られる際には頻出する言葉です。「音名暗唱※3」と名付けられた指導項目も「原則として鍵盤レパートリーのカリキュラムに沿いながら、あるいは先行しあるいは補完をする形で、音楽体験を質・量ともに充実させようとするもの」と位置付けられていました。「音名暗唱」は、テキストに掲載されていない楽曲を講師が歌い、子どもが真似をして歌う(模唱)流れで進められます。従来から「模唱」は幼児科のレッスンで重要視されてきましたが、それに用いる素材がレパートリーと関連付けて指定された訳です。あえて指導書に素材が指定されたのは全国的な統一を図る意図もあったようです。
鑑賞とリズム指導の拡張
7代目『ぷらいまりー』においては、メディアの発達に伴い家庭学習用の音源も充実し、鑑賞指導の重要性が強調された点も特徴です。テキスト編纂の中心だった森内氏によれば、「聴いて、歌って、弾いて、楽譜を確かめる」ことを基礎とする幼児科では、子どもが演奏できない楽曲を取り上げる機会はおのずと少なくなりやすかったといいます。そこで、音楽体験の幅を広げていくためには管弦楽曲など多様な響きに触れる経験が大切であるという考え方のもと7代目『ぷらいまりー』の鑑賞音源はつくられました。指導書では、鑑賞中に子どもが何に興味をもったか、ささいな変化を見逃さず、豊かな対話を生み出すためには、講師自身の楽曲のじゅうぶんな把握と“感じる力”が重要だとしています。
もう一つ、7代目『ぷらいまりー』を特徴付けたのが「リズムステップ」という指導法です。幼児科のリズム指導は、大きく①感性を育てるためのもの、②ソルフェージュ的把握を目指したものの2つに分類されます。①については、身体表現などを通して音楽に内在するリズムを感じ、聴き取れるように目標が設定されました。指導書には「リズムの指導チャート」として各曲でどんな身体的な動作を取り入れるか、リズムステップの詳細が提示されました。
このように「全体から部分へ」を掲げた7代目テキスト『ぷらいまりー(第3世代)』では、テキストそのもの以上に指導法の面で先代『ぷらいまりー』との違いが現れる形となりました。レパートリーを中心に「聴く・歌う・弾く」そして伴奏付けを行うという全体的な枠組みや、キーボードハーモニーのカリキュラムは基本的に変えず、その中で音楽的な感性や創造性を磨くことや聴音力の育成を目指す指導が探求されました。『ぷらいまりー』という系統立ったテキストができた後もなお音楽教室を発展させる挑戦が続いたのですね。
アーカイブプロジェクトが結んだ縁
7代目テキスト『ぷらいまりー(第3世代)』はわたし自身が幼少期に使ったテキストであり、その編纂者の一人が森内氏だとお話ししました。実は森内氏は、本連載の元になっているアーカイブプロジェクトを推進した中心人物でもあります。現在もヤマハのOB合唱団などで活躍する森内氏は、国立音楽大学で声楽を学ばれたのちにヤマハ音楽振興会に入職し、ヤマハ音楽研究所では幼児科の歴史研究にも取り組まれました。
森内秀夫氏 近影
アーカイブプロジェクトでこれだけ多くの方々へのインタビュー調査が実現したのは森内氏の精力的なコーディネートによる功績で、一緒に出張した回数は数え切れません。わたしにとっては、ヤマハ音楽振興会でお仕事をいただくようになって自分が使っていたテキストを作った方と会えただけでも感動したのに、のちに多くの時間をその方との議論に費やすことになるなんて、人の縁というものの不思議を感じます。
思い出はたくさんありますが、印象的な場面は次のようなやり取りです。森内さん(と呼んでいました)は調査の過程で収集した資料を前に、(資料にはこう書かれているけれど)「実際は〇〇だったって聞いたことあるんだよなぁ」「〇〇の本当の意味はこういうことなんじゃないかなぁ」とたまにつぶやきます(それで追調査をすると、結果的に森内さんのおっしゃったとおりの展開になるケースがほとんどでした)。しかし外部研究員であるわたしにとっては、せっかく発見した一次資料が誤りであると言われたら何を信用していいかわからなくなってしまう。それは困ります(笑)。そうして、森内さんのご経験や記憶から導き出されるヒントの根拠をまた一緒に探す。わたしたちの間に生じている、ヤマハ内に特有の用語や文脈のとらえ方のズレを修正し合い、共通認識をつくっていく。こういった対話を積み重ね、幼児科の本質に迫っていけたのではないかと思っています。それは本当に貴重で幸せな経験になりました。
- ※1 ヤマハ株式会社の公式HPには「エレクトーンステーション」というスペシャルコンテンツがあり、エレクトーンの変遷なども画像付きで詳しく紹介されています。
- ※2 倉田義弘『日本レコード文化史』2006年、p.276。
- ※3 音名暗唱という指導項目については、指導書に「音名暗唱曲」の一覧が掲載されました。これは後に「メロディー暗唱」という呼び方に変わりました。
◇著者プロフィール
小山 文加(おやま あやか)
教育NPOに勤務しながら芸術・文化と教育・福祉領域を横断して研究に取り組む。国立音楽大学および洗足学園音楽大学非常勤講師。
東京学芸大学大学院(教育学修士)を経て、東京藝術大学大学院博士後期課程修了。大学院アカンサス音楽賞受賞。博士(学術)。専門は音楽史、アーツマネジメント。
アーツカウンシル東京調査員(2012~14年)、東京藝術大学音楽学部助教(2015~2019年)などを経て現職。港区文化芸術活動サポート事業調査員、ロームシアター京都リサーチャー(2020~2021)等を兼務。
ヤマハ音楽研究所では2009年から一部調査研究業務の委託を受け、アーカイブに関するプロジェクトに参画。