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学び・教養
1959年刊行の『幼児のオルガンの本』から現行の『ぷらいまりー』(2006年~)に至るまで、ヤマハ音楽教室幼児科では8回の改訂が行われてきました。この連載最終回では、各テキストの特徴と幼児科の変遷をふり返ります。誰か1人の手によって開発されたのではなく、実践と検証を繰り返し、現場の講師たちの声も反映させながら結晶化されてきた幼児科のテキストと指導法。アーカイブプロジェクトを通じて見えてきたのは、川上源一氏の『音楽普及の思想』という“理想”と日常的なレッスンの“現場”の相互作用の中で最適な指導の在り方を模索し更新してきた、テキスト制作者たちの軌跡でした。

* ヤマハ株式会社は、1887年に山葉寅楠(1851-1916)が創業し、1897年に設立した日本楽器製造株式会社が前身です。現在の名称となったのは1987年ですが、本連載では読みやすさを考慮し1987年以前の出来事についても社名を「ヤマハ」で表記しています。

 

幼児科の黎明期~成長期~発展期

およそ半年前に始まった本連載も、最終回となりました。今回は、これまで紹介してきた幼児科の歴史をもう一度概観することから始めたいと思います。

 

銀座店で子ども向けの音楽教室が試行されたのが1954年。当時社長だった川上源一(1912-2002)は銀座店の取り組みの全国展開を目指し、まもなくして金原善徳(1922-2015)らに教育と運営の両面から準備をするよう命じました。金原氏は32歳になる年でした(今とは平均寿命も働き方も違うとはいえ、この事実を知ったときは若い!と驚きました)。その後1959年に初のテキスト『幼児のオルガンの本』が編纂されてから今日に至るまで、8回にわたる改訂、9代の幼児科テキストが生み出されてきたことになります。

 

年表に、テキスト改訂の歴史をまとめてみました。視覚的にも明らかなように、『幼児のオルガンの本』(1959年~)から『ぷらいまりー(初代)/せこんだりー』(1972年~)までは数年ごとに改訂が繰り返されています。音楽教室の事業を牽引してきた川上氏が自らの考えを『音楽普及の思想』に総括したのは1977年。翌年の1978年の単独『ぷらいまりー(第2世代)』以降は、幼児科ではテキスト名がほぼ固定し約10年スパンの改訂になっています。幼児科の歴史においては、やはり1978年の改訂が一つの大きな節目になっていると考えられるでしょう。

 

1978年以前はどんな時代だったでしょうか。アーカイブプロジェクトではテキストができるまでの1954~1959年をヤマハ音楽教室の黎明期と呼んでいました。いわば“音楽教室前史”ですね。全社的・全国的な展開は1960年代に本格化しているので(→本連載第6回)、1959~1977年までの20年弱は“音楽教室としての成長期”と言えます。その間、海外へも進出し、1966年に財団法人ヤマハ音楽振興会が設立して運営基盤が整いました。ヤマハ独自の検定制度であるグレード試験(1967年~)やジュニアオリジナルコンサート(JOC/1972年~)のような主要イベントも始まり、徐々に幼児科修了後のコースも試行・拡充されました。幼児科の修業年限が2年から3年になったのも特徴の一つでした。

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