第1回の連載の最後で、母語の言語リズムが音楽の作風に影響を与える、というお話をしました。このトピックをもう少し掘り下げて、普段私たちが使っている日本語の特徴が音楽に与える影響を考えてみたいと思います。
前回のおさらいになりますが、シラブルリズムやストレスリズムの言語と比べ、モーラリズムの日本語では子音連続はそれほど頻繁に起こりません。裏をかえせば、日本語ではたいていの場合、「子音の後ろには母音がついてくる」、というルールがあてはまるのです。その結果、日本語を母語とする話者は、外国語を聞くときに知らず知らずのうちにこの日本語ルールをあてはめてしまいます。具体的には、子音連続や母音のあとに続く尾子音に存在しないはずの母音を聞きとり、さらには発音してしまうのです※1。この現象は「母音挿入」と呼ばれます。たとえば、日本語で“green”はgの後にuを入れて「guri:n(グリーン)」、“cream”はmの後にuをいれて「kri:mu(クリーム)」と発音しますよね。
私たち日本語話者にとっては“kri-mu”でも“kri-m”でも大きな違いがないように感じますが、音節を基本単位とする言語の話者にとっては、たとえば“m”で終わるはずのところにさらに母音がくっついていると、大きな違和感が生じるようです。私の知り合いにNam(南)さんという韓国人の方がいます。彼女に「日本人が不得意な韓国語の発音はなに?」と聞くと、即座に「パッチムです」という答えが返ってきました。韓国語では母音の後にきて音節の最後の音を構成する子音を「パッチム」と呼ぶそうです。ところがこのパッチムがない日本語話者(もちろん私も含めて)が彼女のことを「Namuさん、Namuさん」と呼ぶわけで、彼女はこの母音uがついた自分の名前にとても違和感があるそうです。日本語話者が外国語で話したり歌うためにはいろいろな壁があると思いますが、慣れ親しんだモーラ構造の影響を受けて子音連続に母音を挿入してしまうクセもそのひとつかもしれません。
ところで私たちはこの母音を挿入してしまうクセをいつ身に付けたのでしょうか?その答えは、生後8~14か月の間だと考えられます。ある研究グループが、日本人とフランス人の赤ちゃんが、子音連続のある単語(たとえば“ebzo”)と子音連続部に母音を挿入した単語(たとえば“ebuzo”)を聞いて区別できるかを調べました。すると、8か月齢の時点では日仏どちらの赤ちゃんもこれらの単語を区別できたのに、14か月齢になると日本人の赤ちゃんはこれらの単語を聞き分けられなくなったのです※2。“ebuzo”と“ebzo”の聞き分けができないことは、赤ちゃんが“ebzo”に母音を挿入して“ebuzo”と聞き取っているためだと考えられます。従って日本人は生後8か月以降14か月までの間に、日本語のルールにあわせ子音連続に母音を挿入して知覚するようになると考えられます。
なにかの本で「日本人はワルツが苦手だ」という話を読んだことがあります。実際、「日本人、ワルツ、苦手」のキーワードでインターネット検索をしてみると、たくさんの音楽関係者や音楽愛好家のウェブサイトがヒットします。こうしたウェブサイトの内容をまとめると、どうやら音楽をたしなむ方々の中に「日本人はワルツが苦手」という共通認識があることは確かなようです。しかし、なぜ苦手なのかについてはこれといった説明は見つけられませんでした。私の推測では、日本人がワルツを苦手とする背景にもやはり日本語特有の音声特徴が影響しているのではないかと思っています。
私たちは連続する音声を聞くとそこにある種の知覚的なまとまりを感じます。まとまりを感じる手がかりは母語によって異なり、たとえば英語やオランダ語、フランス語を母語とする人は長い音を知覚的なまとまりの終端とすることがわかっています※3。すなわち、「短長短長短長…」というリズムであれば、「/短長/短長/短長/」のように長い音の後で区切ってまとまりをつけるのです。一方で、日本人は長い音をまとまりの終端とする傾向はみられず、むしろ「/長短/長短/長短/」のように短い音を終端と感じる場合も多くあることが報告されています。なぜ「まとまりの付け方」に母語による違いがみられるのでしょうか?
実は、英語をはじめとするヨーロッパの多くの言語では冠詞(“the”や“a”)が名詞の前につくため、句単位のリズムとして「短長(例:“the CAT”)」のパターンをとりやすく、一方、日本語では助詞(“が”や“を”)が名詞の後ろにつくために、そのリズム特徴は「長短(例:猫が)」パターンをとりやすいのです。言語によってまとまりの付け方が異なるのは、このリズムパターンの違いを反映しているのではないかと言われています。ちなみに、英語で育てられている赤ちゃんは、生後7-8か月齢になると大人と同じように長い音をまとまりの終端とする知覚パターンを身につけるのですが、同じ月齢の日本人の赤ちゃんではそのような知覚パターンは観察されません※4。
さて、「日本人はワルツが苦手」論に戻りましょう。日本人は「1,2,3,1,2,3」と正確に3拍子を刻む、という意味では問題がないとしても、3拍子の拍をどのように切り分けるか、という点で本場西洋の人々と異なっているのではないでしょうか?つまり、ワルツの拍子を「タ・ターン、タ・ターン」と「後ろが長い」3拍子として捉えていないことが細かな音楽的表現の違いとなって現れ、それが「苦手」論につながるのではないのかと思っています。有名なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートで必ず演奏されるウインナワルツでは、2拍目をちょっと早めに長めに刻むことで、独特の躍動感のあるリズムを生み出すそうですが、このウインナワルツの演奏などは、生粋の日本語話者にはかなりハードルが高いのではないかと(勝手に)思っています。