第1回では周囲の大人、特に母親などの言葉かけが赤ちゃんに多様な情報を伝えていることを示しました。では、音を聞いている赤ちゃん自身はどのような音楽や歌を聞き取っているのでしょうか。ここでは音楽の中でも歌唱の聴取を中心にその発達の姿をみていきます。
第1回では周囲の大人、特に母親などの言葉かけが赤ちゃんに多様な情報を伝えていることを示しました。では、音を聞いている赤ちゃん自身はどのような音楽や歌を聞き取っているのでしょうか。ここでは音楽の中でも歌唱の聴取を中心にその発達の姿をみていきます。
1歳のお誕生を迎えたばかりの、まだことばを話せない赤ちゃんでも、親や周囲の人のやりとりの中で、歌いかけてもらった歌に合わせて、歌詞の一部分を口ずさむような姿を見せることがあります。
たとえば、お母さんが「ぞーぉさん ぞーぉさん♪」や「おいで おいで パンダ♪」などと歌いかけますと、赤ちゃんは次第に口を動かしはじめます。さらに、大人が繰り返して歌いかけると、とても小さな声ですが「ドーォータン」とか「ウォータァン」と聞き取れるような柔らかい音質の声を出すようになります。また、曲のリズムパターンに合わせ、たどたどしく身体を動かしながら、何とか追いついて「オー オイッ パッ」と部分的に声を出す姿もみられます。
赤ちゃんに「歌いかけやすい曲」の歌詞はシンプルで、わかりやすい平易なことばで創られていますので、「音」として聞き取りやすく、模倣しやすいことがその背景にあると思われます。
乳児期の音韻知覚に関する実験研究※1により、大きな成果を上げている麦谷※2によると、日本語を母語とする乳児と他言語下(英語・欧語)で成育した乳児とではその発達過程に微細な相違があるとしながらも、ことばの要素のひとつである「子音」の違いについては生後半年から1歳までの間にほぼ母語体系内での知覚が可能になること、日本語がもつ母音の長短による意味の違いやアクセントの違い(同じ音の「あめ」でも頭高のアクセントと平板の違いなど)、言葉の中に促音(クックの「ッ」が促音)があるかなどの違いについては、赤ちゃん自らが「適合化」していく時期はそれぞれの要素によって前後するものの、こうした「音」の要素の知覚は生後1年になると、ほぼ獲得されていくことを報告しています。
これらのことから、赤ちゃんを取り巻く言語環境とともに、周囲の人たちからの歌いかけやテレビ・CDなどから流れてくる歌唱曲など、赤ちゃんが接するさまざまな「音楽」から、音楽的発達の基盤となる音楽の手がかりを聞き取っているといえましょう。そして特に歌唱曲の「歌詞」からも音韻を確実に受け取っていることが分かります。
われわれヒトの音楽聴取特性を示す研究成果に、動物の赤ちゃんに比べ、ヒトの赤ちゃんは周囲の音楽により興味を持つこと、特に歌いかけられることを選好することが明らかにされています。このヒト以外の動物を使った実験的な研究で、たとえばサルの仲間であるタマリンやマーモセットは、訓練することで音楽の弁別はできるようになるものの、基本的には「静けさ」を好むことがわかったのです※3。
では、ヒトの赤ちゃんはというと、「静けさ」よりも周囲の音楽に興味を持ち、特に歌いかけられた際には、「子守歌」や「遊び歌」など赤ちゃん自身へ向けられたものを選好する結果が得られています。
では、赤ちゃんの音楽そのものの聞く力はどのようなものなのでしょうか。
これまで、生後6か月齢児を対象とした実験研究で、「子守歌」の旋律を使い、楽器を変えて演奏した曲を聞かせると同じ旋律と認知できることがわかり、さらに移調して個々の音の高さが変わった旋律を演奏したものを聞かせても、同じ旋律であると認知することがわかっています※4。この結果が示すものは、赤ちゃんが音楽を聴くときに「音」をひとつひとつ分けて聴いているのではなく、音の連なり(メロディー)を一定のまとまりとして聞いていること、また、楽器が違うことで音色が異なっても同じ旋律と認知できる、大人顔負けの力を持っていることでしょう。
最近さらに、麦谷らにより新しい知見ももたらされています※5。これまでサフラン(J.R.Saffran)らにより、7〜8か月齢児がモーツァルトのソナタの一部を2週間にわたって記憶できることが明らかにされ※6、世界中を驚かせましたが、今回の結果では6か月齢児が親和性のあるメロディーを2か月間という長い期間、記憶している可能性を明らかにしました。この実験のスタイルは、赤ちゃんに聞かせる「古いイギリス民謡」のメロディーに、一方の赤ちゃんたちには通常のメロディーを、もう一方の赤ちゃんたちには通常メロディーの一部分に雑音を混在させたものを聞かせる、という手法で行われました。家庭に送られたCD音源を使って、保護者に1日1回赤ちゃんが機嫌の良いときに再生してもらい、7日間聞かせた後、70日程度経過してから実験ブースに来てもらい、前述した選好注視法により聴取実験が行われました。聴取実験では、赤ちゃんたちが初めて耳にする新しい曲もともに提示されたのですが、これまで知られているよりはるかに長い2か月間に渡って赤ちゃんは7日間1日1回聞かせてもらった曲を覚えていることが明らかになりました。しかし一方、一部分に雑音を混入させた不完全なメロディーでは、認知が難しくなるというとても興味深い成果が得られています。
ところで、まだあまり反応が顕著ではない3か月齢くらいまでの「ねんねの赤ちゃん」にも、親や周囲の大人は積極的に歌いかけます。赤ちゃんのご機嫌が良いときには、おもちゃや楽器を目の前で振ったり鳴らしたりして働きかけます。その歌いかけは一見すると人によって個性があり、それぞれ全く違う個人差の大きい働きかけのように見えるのですが、実は、意識しなくても親や周囲の大人はマザリースと同様に、赤ちゃん向け歌いかけ(専門的には「対乳児歌唱=Infant Directed Singing」と呼ばれる)のスタイルをとること※7も分かっています。子どもの月齢が上がるにつれ、眠らせるための歌いかけだけでなく、積極的に遊ぼうとかかわる働きかけも増え、お座りできるようになるにつれて楽器やおもちゃの提示の仕方もバリエーション豊かになっていくのですが、特に、赤ちゃんは遊び歌では高い音域での歌唱に選好性を示すこと※8も明らかにされてきており、すでに聞いた経験を持つ音楽の文脈を聴取する力が示されているといえましょう。
そして、最近こうした音楽を使った赤ちゃんとのやりとりについて、新しい視点の研究がなされるようになってきました。親や養育者は前述したように気づかないままに、赤ちゃんが出す声の高さや息づかいに合わせるように積極的に応答し、また、赤ちゃんの体の動きにあわせてリズムをとったり、お互いに触りあいその反応を確かめるような間の取り方でかかわり、実に多様なやりとりを繰り広げていきます。こうした相互作用をコミュニカティブ・ミュージカリティ(Communicative Musicality)と捉える新しい概念※9が提示されています。歌唱や楽音に限定した狭い意味での「音楽性」ではなく、親子間、そして赤ちゃんと大人の相互作用の中で生起する触覚・視覚・聴覚を通したやりとりを「音楽性」と捉えた、マルチモダルで客観的な新しい観点です。
この研究概念は、今後の音楽による多様な相互の関係性構築の進展に、新しい力をもたらすことが期待されています。