音楽学、音楽情報処理、認知神経科学。学生時代に専攻していた学問領域を今振り返ってみると、私はひとつの側面から物事を深く突き詰めていくタイプではなさそうです。
大学では最初、音楽学を専攻していました。音楽理論を学びたかったことから、マンツーマンの授業もまったく苦ではなく、とても充実した時間でした。しかし、過去の作曲家が作り上げてきたものを学び、彼らが何を考えて創作したのかを現代に残存している文献から見出していくことに、だんだんと興味が薄れていきました。それと反比例するかのように、時代や場所に関係なくなぜ人々は音楽を聴くのだろうか、音楽を聴いて人々は何を感じるのだろうかという疑問が、音楽学を学べば学ぶほど沸き起こり、ヒトが音楽を聴いているときの認知メカニズムに興味を持つようになりました。大学2年生のときには音楽情報処理・音楽心理学を学ぶコースに専攻を変えて、大学院では、とても幸運なことに音楽研究に理解のある認知神経科学の研究室で、ヒトが音楽を聴いているときの脳内処理メカニズムに関する基礎研究をおこなうことができました。また、大学院後は心理学の研究室で、視聴覚情動認知の研究をおこなう機会をいただき、さらに現在は神経内科の講座で、音楽を用いた臨床研究をおこなっています。
音楽専攻から離れて戸惑ったことがありました。それは音楽に対する価値観の違いです。音楽専攻のときには、まわりの人たちにとっても音楽は最優先すべき事項であり、音楽は生活の中心でした。しかし、大学院で専攻が変わるとそのような人はまったくおらず、音楽に関わる研究を行っていく訳をほかの研究者に話す機会が増えました。飲み会の多い研究室だったこともあり、音楽の研究に関して話す機会は、もっぱらお酒のある場が多く、朝まで飲み明かした時間は自分の研究スタンスを改めて見つめ直し、そしてほかの研究者に自分の思いを理解してもらうために試行錯誤したとてもいい時間でした。大学院時代は、音楽専攻のままであれば当たり前であった音楽の価値をもう一度考え直し、その後も続く、音楽を対象とした研究を行う上での精神的な土台を作る時期だったのだと思っています。
私の音楽に対するアプローチは、音楽学、心理学、神経科学的アプローチというようにその手法にこだわりはありません。アプローチという点では様々な手法にブレているのかもしれませんが、研究対象は音楽一筋であり、まったくブレてはいないつもりです。
ヒトが音楽を聴いているときの認知メカニズムに関する研究では、実験刺激を作成する上では音楽理論や音楽情報処理の知識が必要であったり、実験刺激を呈示する際には心理学的な方法を学ぶ必要があったり、また脳活動を検討していくときには生理学や放射線学的な知識が必要であったりと、学際的にならざるを得ません。自らが持った疑問に対する答えを見つけていく上で致し方ないのですが、正直なところ、各分野を専門としている研究者とのレベルの差に落ち込むことも多々あります。各分野のエキスパートと組んで分担しながら研究をおこなう方が、効率や研究成果もよいとは思いますが、一人の人間が多様なアプローチで研究をおこなうことで見えてくることが絶対にあるはずだという期待を持ちながら、各分野の手法に手を出してしまっています。私の周りの音楽知覚認知領域の研究者も、みなさん学際的であり、様々なアプローチで音楽を対象とした研究をなさっています。アプローチの多様性は音楽知覚認知研究者の宿命なのかもしれません。
Evidence Based Medicine(EBM)という言葉をご存知でしょうか。一言でいうと、治るという証拠(根拠)のある医療のことになります。現在、所属している講座では、音楽療法の効果について科学的な証拠(根拠)を示すために、主に認知症・脳梗塞・失語症を対象とした研究をおこなっています。
音楽療法は、日本音楽療法学会では、「音楽の持つ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用することをさすもの」と定義されています。音楽療法の歴史は古く、オルフェウスが竪琴を病の治療に用いたとギリシャ神話に記されているという記述が多くの音楽療法の専門書にあります※1。19世紀に入ると、古代では認識されていた音楽の心理的効果や、抑圧された感情や体験を外部に表出して心の緊張を開放する効果であるカタルシス効果が再び注目されるようになり、病院や施設で音楽プログラムが実践されました。特に音楽の情動への影響に関するものであり、対象は鬱病などの精神症状でした。20世紀になると、第二次世界大戦の心理的外傷のある戦病兵士に対するケアが注目されるようになり、そのケアの一つとして音楽療法が取り入れられるようになりました。そして音楽療法の対象が精神発達遅滞を有する児童や身体障害を持つ患者に拡大し、さらに高齢者にまでその領域が広がり、音楽療法が医療に取り入れられるようになりました。欧米では音楽療法で医療保険点数取得が可能になり、国家資格として音楽療法士が医療の場で活躍しています。
このような歴史を辿ってきた音楽療法も転換期にあります。所属している講座では、偶然性の強い個人的な経験や観察に基づくこれまでの研究から、体系的に観察・収集されたデータに裏付けされた研究への転換を目指しています。具体的には、先行研究と病態をふまえた仮説の設定と、その正当性を検証できるようなパラダイムが重要となりますが、当然のことながら一筋縄ではいきません。
その理由のひとつは、対象者の多様性の問題があります。現在の講座に来るまでは、私は大学生、特に音大生を対象とした研究をおこなってきました。そのために認知機能や音楽的技能も比較的均一でした。しかしながら、患者様の症状はさまざまであり、症状の進行も異なっています。もちろん音楽的技能もさまざまで、時には音楽が好きではないという方にも出会います。
また、介入方法の問題があります。音楽療法には受動的、能動的なども含めて多くの方法があります。患者様の好きな楽曲がいいのか、それとも青春時代の流行歌がいいのか、さらにどのくらいの時間が適しているかなど、手法の多様性のために介入方法は個人的な経験や観察に基づいているところが多いのが現状です。患者様に合わせた介入方法が可能であるというメリットはありますが、偶然性の強い個人的な方法であり、また療法士のスキルに依存することになり、体系的に観察・収集されたデータに基づく方法とはほど遠くなってしまいます。
幼少の頃、病を患い2度の入院生活を余儀なくされ、治療薬の副作用により興奮状態が服用後しばらく続くようになりました。夜は興奮しなかなか寝付けず非常に苦労をしましたが、周囲の大人が就寝時に音楽をかけてくれたことによりリラックスすることができ、興奮状態から抜け出して眠ることができました。これは、私が音楽の研究をしたいと思ったきっかけです。この経験がなければ、ここまで音楽にこだわることはなかったと思います。巡り巡って、今では音楽を用いた臨床の場に身を置くことになりました。臨床の現場で多様な病状の患者様を目の前にすると、音楽療法の患者様に合わせた介入方法のメリットを感じる一方で、病院内での他の医療行為と同等であるために、体系的に観察・収集されたデータに基づく方法の必要性を身をもって感じます。
先に書きました通り、音楽を用いた医療は、偶然性の強い個人的な経験や観察に基づくこれまでの研究から、体系的に観察・収集されたデータに裏付けされた研究への転換期にあります。ここ数年は症例研究だけではなく、規模を大きくした研究も報告されています。ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial: RCT)を用いた研究がおこなわれるようになり、88人を対象とした研究※2も報告されています。それらの成果として、音楽療法が、認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia: BPSD)のひとつである焦燥性興奮や不安を軽減できたという報告がされています※3※4。
症状の多様性や介入方法の問題など、音楽を用いた医療がエビデンスに基づいた医療になるためには、まだ解決しなければいけないことが多くあります。その問題に対して、私はこれまでに学んできた多様なアプローチによって、音楽を用いた医療の有効性を科学的なエビデンスに基づいて見出していきたいと思います。