司会:演奏家を科学するということについて、溝根先生はどう思われますか?
溝根:前々からスポーツ科学という分野はあるのに、なぜ音楽にはそういったものがないのだろうと不思議に思っていました。身体を動かしてパフォーマンスをするという点では、楽器演奏もスポーツと同じです。
演奏家を科学的に解明する平野先生の取り組みは大変興味深いですし、研究がもっと進めばこれまでみてきたように教育現場での指導に役立つ知識がたくさん生まれてくると感じています。早く音楽演奏科学といった分野が確立してほしいなぁと感じています。
司会:平野先生は大学で「音楽演奏家のための科学」という科目を担当されているようですが、こちらはどんな授業でしょうか?
平野:音楽演奏に関する科学的な話を提供する授業です。例えば、今回お話したマウスピースを唇に押し当てる力の話や、ピアノ演奏における腕の脱力の話、打楽器奏者のドラミングに関する話など、学生の興味がありそうなテーマを選んで学術論文に掲載されている科学的な事実をお伝えしています。
溝根:本当に興味深い内容なので、私は個人的に一度お話を聞きに行きましたよ。
平野:そうでしたね。確か「音楽演奏不安」に関するテーマと「合奏とテンポ」に関するテーマでしたね。この2つは学生さんも強い関心を持っていて、レポートにたくさんの感想を書いてくれますよ。
司会:本当に面白そうな内容ですね。
平野:そう言っていただけると嬉しいです。実は私以外にも演奏家を対象に研究をしている人はたくさんいて、今現在も音楽家に関する新しい研究成果が出ています。だけど、音楽大学などでこうした音楽家に関する科学的な研究成果をお伝えできる所は、今のところほとんどありません。これはとても勿体ないことだと思います。
「ステージ上でよく緊張してしまうけれど、どのように対処したらいいのか?」「合奏ではどうしてテンポが速くなってしまいがちなのか?」などは、音楽大学の学生でなくても持つ疑問だと思うので、中学校や高校の部活動で演奏活動をしている皆さんにも機会があればぜひ聞いていただきたいですね。
司会:平野先生は演奏家を科学することで、音楽教育に今後どのような変化が出てくると思いますか?
平野:ひと昔前のスポーツの世界は、普段の練習で「うさぎ跳び何十回」とか「水を飲まないでやり続けろ」といったことが行われていましたが、今ではそれらは絶対にしない。なぜなら、それは「科学的におかしい」とか「場合によっては怪我をしてしまう」とわかっているからです。
近い将来、スポーツと同じような変化が音楽でも起こるように感じています。例えば、ある高校の吹奏楽部では練習前に「毎回、腹筋を何十回やる」とか、本番前に「全員のチューニングが合うまで何十分も吹く」といったことが行われているそうです。本人達が好きでやっているのであれば良いのですが、これらの行為は演奏技術の向上または本番のパフォーマンスを高める観点からみたら、全くナンセンスなことだと私は思います。
溝根:全くその通りですね。
平野:なぜこんなことがまかり通っているのか?それは指導者が演奏家について正しい知識を持っていないからです。正しい知識を持っていれば、演奏技術の向上とは関係のないこうした練習は少なくなるはずです。
司会:では、どんな練習が効果的なのか、わかってきているのでしょうか?
平野:これに関しては、今のところ科学的なデータの蓄積がほとんどないためお答えすることは非常に難しいです。でも、だからこそ音楽演奏家の科学的な研究をこれからどんどん行っていきたい。研究を進めることで、将来「こういう練習が適切でしょう」とか「本番前はこんなふうに過ごしたほうが良いでしょう」といったことが必ずわかってきます。すると練習方法や演奏活動のスタイルそのものが、今までのものとは大きく変わってくるでしょう。
司会:すごいお話ですね。想像したこともありませんでした。
溝根:平野先生の今後の研究に期待ですね。
(司会:ヤマハ音楽研究所)
→「6.今後のホルン研究について」に続く(全6回連載予定)
平野 剛(ひらの たけし)
桜美林大学 芸術文化学群 助教
専門:運動制御学、神経生理学、バイオメカニクス
URL:http://takeshi-hirano.com/
溝根 伸吾(みぞね しんご)
東京藝術大学卒業及び同大学院修士課程修了仙台フィルハーモニー管弦楽団ホルン奏者
宮城学院女子大学非常勤講師
Twitter:@mizone_s