学び・教養
2019年08月29日掲載 / この記事は約9分で読めます
この連載では、音楽研究に携わる研究者の先生にご自分の専門の面白さについて思う存分に語っていただきます。今回は音楽心理学を研究されている駒沢女子大学人文学部心理学科准教授・丸山慎先生にお話を伺いました。(聞き手:藤村美千穂)
専門を決めるまでの長い長い道のり
外側からのアプローチを知る
――丸山先生は、「赤ちゃんがどのように音や音楽の世界に入っていくか」について研究されています。どんな経緯でご自分の専門に辿り着かれたのでしょうか。
実は最初に関心を持っていたのは、赤ちゃんではなくて演奏家の方々のスキルについてでした。
私は子どもの頃からバイオリンを習っていましたが、進路の話をした際に、演奏家を目指すならもっと厳しい環境でレッスンを受けなければダメだと言われました。そこで、ある先生に試しに演奏を見てもらうことになったんです。そうしたら、楽器を構えただけでその先生が溜息をついちゃって……。
その後、楽器を置いて部屋を歩かされ、「あなたね、歩き方はそんなに悪くないのになぜ楽器を構えるとダメなのかしら」、「普段の行動の延長に楽器がスッと入ってくるような身体でなかったら、心地良い音って出せないと思わない?」とおっしゃったんです。
その頃の私は“心の中”にある音をどう響かせるかが演奏能力の鍵だと思っていましたが、この先生に言われたのは“身体の動き”という真逆のことだったのです。当時は先生のこの言葉の意味がよくわからず、後々の自分の道を左右するきっかけになるとは思いもよりませんでした。
不思議なことに、今でもその先生のCDに耳を傾けると、教わった身体の動きやそこから生まれる微細な感覚が自分の身体に鮮明に蘇ってきます。身体が音楽にとって本質的だというのは、私には疑いようのないことなんです。
演奏家の夢は諦めましたが、「アマチュア音楽家だからといって、いい加減でいいわけではないでしょ」という先生の勧めもあり、オーケストラ・サークルに入ることを目的に大学に滑り込みました。それからはサークル三昧の日々でしたが、専門のゼミに入るというタイミングで、これまた面白い心理学の先生に出会えたんですね。
心理学といえば心の内面を探る学問だと思いがちですが、その先生のアプローチは全く逆でした。まず“動いてみること”から始める。例えば抽象的なオブジェを見せて、眺めるだけではよくわからないけど、実際に触ってみたり動かしてみたりすると突然その用途がよくわかったりする。そういった文献を読んだりしていました。
また、先生は芸術にも大変興味を持っていらっしゃる方だったんです。このゼミに入ったおかげで、演奏行動を心理学的に研究する「音楽心理学」という領域があるということを教わりました。
――バイオリンの先生の “外側からアプローチする”という姿勢に通じるものがありますね。
不思議な縁ですね。音楽心理学での演奏の研究といえば、例えば演奏家の表現意図がどうやって身体にうまく伝達できるのかという “内側から外側へ”のアプローチが中心だったのですが、生意気にもそういうものは何となく物足りなく感じたんです。というのも、そもそも作曲家は曲によって悲しい、深刻、楽しい、幸せと様々な感情を表現していますよね。それをいくら分析してみても、結局は作曲家の仕事を後追いしているだけのような気がしてしまう。例えば音楽家ですら意識せずやっていることを分析できたら、心理学の畑から音楽の畑にいる人たちに独自に発信できる成果になるんじゃないかと思ったのです。
卒業論文では、楽器の経験者が旋律を記憶する時に楽器演奏に必要な指を動かすことで、記憶した旋律の再認率が変化するのかを調べる実験をやりました。例えばピアノの経験者だと自然と机をタッピングすることで、旋律を記憶しやすくしているらしい。指を動かすことで旋律の記憶がしやすくなるというのは自分にも経験がありますが、この実験を通して、身体の動きは音楽的な記憶の形成に深く関連しているのでは、という手応えを感じるようになりました。
しかし、本当に私が知りたかったことはもっと根源的なことだったのかもしれません。例えば予備知識のない曲や、いわゆる西洋音楽とは違う音楽を聴いても私たちの気持ちは高ぶりますよね。この世界で音楽のない文化はほぼないといわれていますが、それだけ音楽が人間にとって重要なものならば、その世界に私たちを否応なく引き込んでいく演奏家って一体どんなことをやっているんだろう、ということが知りたくなりました。それが大学院に進学した大きな理由ですね。
指揮者=演奏者
大学院ではオーケストラの指揮者を対象にして、ビデオカメラをリハーサルに持ち込み、その動きを徹底的に記録し、時にはそのビデオを指揮者の方に一緒に観ていただきながら、ご自身の動きの意味を解説してもらいました。曲の解釈云々の話ではなく、「どうしてこんな動きをするんですか?」というド直球の質問ばかりしていましたね。
そのうち、指揮の個々の動きというのが、例えば一方でバイオリン、もう一方ではチェロやバスを、といった感じで分節化していることがわかったんです。指揮者の動きには個性もあるので機械的な分析は難しいのですが、それでもリハーサルの経過とともに指揮者の動きが示すものとそれを受け取るプレーヤーの間でぼんやりと意味のようなものが立ち上がり、それがステージから我々のところに流れてくるという実感はありました。
しかし、研究というからには客観的なデータが必要です。そこで音大の指揮の学生が指揮をしている時の腕の動きを解析する実験も試みました。課題曲としてブラームスの交響曲第1番とチャイコフスキーの弦楽セレナーデの第1楽章のそれぞれ冒頭部分を使用したのですが、この2曲は1stバイオリンの音の高さも一緒、八分の六拍子で拍子も一緒、そして指揮者によってはテンポも似ている場合もあります。ですから指揮者の動きは「さん、はいっ」というだけであまり変わらないのではと思っていましたが、運動解析の結果を見てみるとブラームスのストロークは必ず三日月形になるのに、チャイコフスキーの方は常に楕円で括れたところがない。速度なども異なっていて、はっきりとした違いがあることがわかりました。
実験に協力してくれた学生に「こういうふうに振れって教わったの?」と尋ねたら、「自分が表現するための動きだから、教わったわけではない」と言うんです。別の学生さんにも協力してもらいましたが、ブラームスとチャイコフスキーは全く同じ動きになるということがないし、指揮者が異なれば指揮のスタイルが違ったりもする。
――その身体の動きを受け取る演奏家の方も、微妙な違いを一瞬のうちに見分けて演奏するということですね。
そうやって両者の動きが音を作り上げていくわけですね。お互いの動きの協調をコントロールできるのが巧みな指揮者であり、それに反応できるのが優れたオーケストラであるということだと思います。音は出さないけれども指揮者が演奏者でもあるということが、今更ながらわかった気がしました。
このような運動面から音楽にアプローチするという研究にしばらく没頭するうち、再び疑問が湧いてきました。指揮者や演奏者というエキスパートに高度な身体スキルがあるのはわかる。だけど一般の聴衆が、あの人の指揮姿が美しいとか、音と身体が一体化しているといったようなことを感じてしまうのはどうしてだろう、と。つまり、人には専門的な訓練をしていなくても身体的なレベルで音楽を感受する能力があるのではないかと思えてきたのです。
人の原点へ遡る
そもそも私たちは生まれてから、いつ、どのようなきっかけで音楽に触れるようになるんだろう。そこを理解しなければ、エキスパートたちが凄い技術で奏でる音楽の意味をなぜ私たち一般聴衆が享受できるのかという謎に迫ることができないのではないかと思ったんですね。そのためには、音楽についての知識がなくても身体や運動から音楽の世界に入っていく道筋がある、まっさらな状態でダイレクトに音楽の世界に触れられるということを示す必要があったわけです。
――そこでいよいよ“赤ちゃん”に注目という訳ですね。
タイミングとしてすごくラッキーだったと思います。というのも、私が発達研究に興味を持ちはじめたころ、赤ちゃんの身体的経験、つまり手足をバタバタさせて、それが床に当たる、壁に当たる、自分の指をなめる、誰かが指を触る、そういう身体的な刺激の一つ一つが子どもにとって周囲の世界を知るきっかけになり、後々の高度な思考や行動の発達へと連続的につながっているのではないか、と主張する研究者が現れ、学界の注目を集めていたんです。
その新しい理論を提唱した先生が、偶然にも音楽が大好きだったんですよ。その先生に怖いもの知らずにも手紙を送ると、一緒に研究をやってみようかということになり、アメリカのインディアナ大学に飛びました。そこでは、発達は身体から始まるんだ、ということを実感させられる実験や議論が目の前でどんどん展開されていたのが衝撃的でしたね。このような良いタイミングでの出会いがあり、赤ちゃんの研究に本腰を入れていくことになりました。
いくつかの大切な出会いがターニングポイントとなって、丸山先生の現在に繋がっていることがよくわかりました。
次回はその赤ちゃんを追いかけた研究について詳しく伺っていきます。
(インタビュー・文 藤村美千穂)
→「2.研究活動の面白さ」に続く(全3回連載予定)
◇プロフィール
丸山 慎(まるやま しん)
駒沢女子大学 人文学部 心理学科 准教授
専門:発達心理学、認知心理学、生態心理学、音楽心理学