学び・教養
2019年10月24日掲載 / この記事は約9分で読めます
音楽心理学に携わる丸山慎先生に、ご自分の研究活動についてのお話を伺っています。第2回では、ご自分の研究活動の面白さについて語っていただきます。(聞き手:藤村美千穂)
研究活動の面白さ
赤ちゃんの膨大なデータを読み解く
――赤ちゃんという題材に辿り着いてから、どのように研究を進められたのでしょうか。
最初は音楽に直接関わらない研究もやりました。従来の研究では子どもの知識が豊かになる、つまり内的な変化や成熟によって課題への反応の仕方が変わると考えられてきましたが、例えば課題への関わらせ方を変えたり、それまでとは違った素材で課題をやらせたりする、つまり環境側の変化で子どもの反応が変わってくるということを調べていました。そこから、音の出るモノや楽器を使用した課題の場合、子どもの行動はどのようなものになるのかを知りたくなったんです。
その時にたまたまヤマハさんから、乳幼児の音楽的行動の観察データがあるので見てみませんか、というご提案を頂きました。
――ON-KEN SCOPEに掲載されていた、赤ちゃんの探索行動が音楽的な表現へと繋がっていく様子を長期的に観察された研究ですね。(→「赤ちゃんは生後10カ月くらいで楽器の意味を知るってホント?」)丸山先生が一緒に撮影して追いかけるのではなく既にデータという形になっていたということで、どんな映像なのか全体を把握するだけでも大変そうですね。
30組の親子が楽器で遊ぶ様子を4年近く追いかけた動画で、トータルで250時間以上というボリュームでした。楽器と遊ぶ赤ちゃんの様子を見てみたかったので願ったり叶ったりのお話ではありましたが、やはり最初はデータの扱い方に戸惑いましたね。
しばらくは、とにかく片っ端からデータを拝見しました。しかし内容としては、子どもがただお母さんと一緒に音の出る楽器でごちゃごちゃやってるだけにしか見えなかったんですね。しかもスタートはお子さんがまだ2カ月、3カ月齢の時期で、お母さんがグロッケンのバチやマラカスを持たせてあげるとやっと手をバタバタと動かすというような状況です。これを研究という形でまとめていくにはどうすればいいんだろうと悩みながら観ていました。
それでも赤ちゃんの成長を一人ずつ追っていくと、何となく見えてくるものがあったんです。子どもが自分なりに音楽というものに気付き始める瞬間がある。それまでは楽器をただぐしゃぐしゃとやっていた子どもが、あるときバチがコンパクト・グロッケンの上に偶然落ちてチーンと音が鳴ったら、動きを止めてしばらく楽器とお母さんを眺めてみたり、響きに耳を澄ませてみたりする。楽器とは何かという知識もない、どうやって扱ったらいいかもわからない、どんな音がすると気持ちがいいのかもわからないけれど、とにかくまず身体で触れていくことから始まっている。
楽器の意味に赤ちゃんの身体が「今、出会った」、その姿がここに映し出されているじゃないかということに気付き始めたんです。この時、自分の今までの色々な取り組みが繋がったような気がして、目の前の霧が晴れたような気分になりました。
親の関わりは赤ちゃんにどう影響するか
――まずは赤ちゃんが自分なりに動いてみるというのは、自分の娘を見ていても頷けます。最初にマラカスを持たせてみたら、丸いほうを握って棒を舐めたんです。親がお手本を見せたり繰り返し持たせてみても、最初はあまり響いていない様子でした。
この観察調査でもお母さんが無理やり楽器を持たせたりするケースもありましたが、どんなにお母さんが丁寧に見本行動をみせても、赤ちゃんは親の手を振り払って自分でやりたがりますよね。親としてはこんなに近くで見せているのになぜ正しくやらないのかと、もどかしい気持ちになりますが、少なくとも赤ちゃんにとって、楽器とは初めから「そのように扱うモノ」ではないということです。まずは赤ちゃんなりにできる関わり方で楽器に触れる。私はこれが演奏行動の発達の萌芽なんじゃないかと思っています。
そういうプロセスを経て、徐々に私たち大人にとって正しいと思われる叩き方に到達する、つまり、その時点で自分の身体でできることと楽器とのギャップがだんだん小さくなってくる訳です。だけど、それは親が急に横やりを入れてできるようにはならないんですね。
逆のパターンもあります。乳児の運動発達から考えると、赤ちゃんが自分でグロッケンを叩けるようになるのは少なくとも安定したお座りができるようになる8カ月前後くらいではないかと推測されます。実際、ヤマハの調査で収録したデータを登録したデータベースで検索してみると、子どもが自分でグロッケンを叩いて音が出せた月齢の平均は8.5カ月でした。
しかし個別に見ていくと4カ月齢で叩けたという例もあったんですね。これはあまりに早すぎるということで、映像を確認してみると、確かに赤ちゃんがグロッケンを叩いて音を出しているんです。
その赤ちゃんは当然、まだ一人では座れないんですが、お母さんがその子が叩けるように膝の上に乗せてあげて、バチを握ってあげて持たせると、ものすごく不器用ながらも叩くんです。見事にきれいな音が鳴ってるんですね。しかも、鍵盤をじっと見たりもしている。
お母さんがうまく導いていたのだから厳密には子ども単独での演奏とは言い切れないかもしれませんが、それでも確実にこの子は叩きたがっているよね、ということはわかるんです。親子でうまく相互調整をすると、子どもの興味を最大限実現させることができる。8か月前後などという一般的な指標に惑わされないことも大事だと思いました。
――親の適切な導き、というのがポイントですね。とても難しいですが。
親としてこの子が鍵盤から何とか音を出せるように能力を一時的にでも拡張してあげられる、そんな関係を作っていけるとすごく良いコミュニケーションが生まれますよね。赤ちゃんにしても、よくわからないながらも自分が何かを成し遂げたという感覚は確実に身体に刻まれていくような気がします。
西洋音楽の枠を超えて
――丸山先生が現在興味をお持ちのジャンルや研究対象についてのお話も伺いたいです。
私の研究は、エキスパートの方たちの身体技法と音楽とのつながりを調べることから始まり、乳児を経て、最近は文化人類学的な方向にも興味が広がりつつあります。
私たちヒトは二足歩行で前足を使わずに歩くことになりました。そうすると、歩き方のリズムが生まれる。トンって鳴ると次はトン、そうすると次はまたトンという規則正しいリズムになる。次の音はどのくらいの間隔で来るか、そうやって音に対する期待が生まれるようになったわけです。
さらにヒトは両手で道具を使うこともできます。例えば石を使って堅い木の実を割るという動作からは、カンカンと叩く音が発生しますね。このように、道具を使って音を出すということが音声コミュニケーションを飛躍的に進化させた、という仮説があるんです。
その“道具”の部分を“楽器”に置き換えるのは、そんなに難しいことではないですよね。最初は声でやり取りしていたけれどどうしても届かなくなって、笛や太鼓を使うようになった、と。私たちは、音をコントロールするということが必然的に起こり得るような進化をしてきたんじゃないと思えてきます。
例えばバッハやベートーベンを聴くとこうだよねという話は、音楽的な作品世界を体験するという意味では大きなことですし、西洋というのは一つの物差しとして、音声を楽譜に書き起こすなどという面では便利です。ただヒトの進化的な背景と重ね合わせて考えると、私たちが音楽から享受している価値はその枠にはとどまらない、もっとヒトの根っこにかかわることなんじゃないかなと考えてみたりします。
――個人的な話になりますが、大学時代に山口修教授のゼミで丸山先生がおっしゃったような視点から様々な世界の音楽に触れる機会がありまして、初めてケチャ音楽の映像を観た時にはかなり衝撃を受けました。人々が歌う音階の揺らぎや、手拍子のリズムの変化、隣の人と呼応してどんどん音に広がりが生まれていく様子が、これまで聞いていた音楽とあまりに違ったので。
例えば音階っていうのは、世の中にある音の高さをわかりやすく区切ったものですよね。世界にはいくつも異なる音階のシステムがあります。だからこの音は西洋の12音の中で言えばシに近いけどラでもないなど、微妙な範囲での揺らぎが含まれることになりますよね。
それに境界線を引く文化もあれば同じ音に含めてしまう文化もあるけれど、便宜的に区切ろうが区切るまいが、ヒトの可聴域ということから考えれば、それほど違わない音が耳には到達しているはずです。ですから文化差はもちろんあるでしょうが、私たちは音やリズムというものから何か普遍的なものを受容していているんじゃないかなと思いますね。そういう本質的なものの意味を扱うためには、もちろん知識や文化も大事なんだけれども、身体所作も文化の一つですから、私はそこを追求していきたいです。
この後、お話はクラブミュージックやお寺の音楽へと広がっていきました。ジャンルに囚われない様々な音楽にアンテナを広げ、身体を基点にして読み解こうとするご様子が伺えました。
次回は丸山先生がご自身の研究にかける思いについて伺っていきます。
(インタビュー・文 藤村美千穂)
→「3.研究への思い」に続く(全3回連載予定)
◇プロフィール
丸山 慎(まるやま しん)
駒沢女子大学 人文学部 心理学科 准教授
専門:発達心理学、認知心理学、生態心理学、音楽心理学