学び・教養
2019年12月26日掲載 / この記事は約9分で読めます
音楽心理学に携わる丸山慎先生に、ご自分の研究活動についてのお話を伺っています。第3回では、研究への思いや若者へのメッセージを語っていただきます。(聞き手:藤村美千穂)
研究への思い
大学生活と研究生活
――現在、丸山先生は駒沢女子大学で教鞭を執られていますが、日々どのように学生さんたちと向き合われていますか。
私が勤めている大学の場合、卒業生はほぼ一般企業に就職するか公認心理師や臨床心理士の資格を取るという状況です。残念ながら学生たちを巻き込んで独自の研究をするという環境ではないですが、授業のなかで音楽と子ども、音楽と心理を結び付けたテーマを探求したいという学生は毎年結構いるので、彼女たちのサポートをしています。
以前、ヤマハさんの施設を使わせていただき、卒業論文で幼稚園児が楽しい曲、悲しい曲をどのくらい繊細に聞き分けることができるのかを実験を通して調べた学生がいましたね。あるいは聴衆が演奏のレベルを判断する際に演奏者の服装やコンサートホールの雰囲気がどのように影響するのかといったような問題を検討した学生もいました。
学生たちにはさまざまな機会を捉えて、大学生ならではの知的好奇心を形にするという取り組みをしてほしいですし、将来お母さんになったり、子どもと関わる仕事に就いたりする学生もいるでしょうから、大学で発達や音楽に関する心理学を勉強したことが何かの役に立つといいなと思いながら教壇に立っています。
――卒論のご指導をされたり、講義をされたりといったお忙しい毎日の中で、ご自身の研究を進められる時間はおありでしょうか。
日頃は自分の専門とは直接繋げられない部分の仕事も多いですが、不思議なもので、自分の専門外のことを調べたり、学生たちと一緒に様々な問題を考えていくと、それが自分の研究に繋がってくることもあります。先日も、たまたま学生たちとゼミで読むと決めた論文が、実は自分の研究に関わる論文だったと気付き、その内容を慌てて書きかけの原稿に付け加えたということがありました。
自分自身の研究の時間は、大学での時間とは別に持つように心がけています。乳幼児の観察研究もそうですし、たまたま昨年度に知り合いになった方で、金箱淳一さんという方がいらっしゃるんですが………。
――金箱さんには昨年「音の垣根をなくす『共遊楽器』-金箱淳一さんの取り組み-」の記事で取材させていただきました。
彼の作る楽器は、例えば振るとただ音が鳴るだけではなく、音の振動が増幅されたり、子どもがその楽器に触ると視覚的なイメージが現れたりするものですよね。そのような多感覚的な体験は、子どもにとって一般的なアナログの楽器を使う場合とどのように異なるのか、どのような形であれば子どもたちの能動的な探索をうまく引き出し、他の子どもたちや家族と一緒に音を出すアンサンブルへの意識を高められるのか。そのあたりを明らかにして、多感覚的な創作楽器が音楽の教材として利用可能なものなのかどうかを検証していきたいと思っています。
研究を実践の場に生かす
研究ありきで成り立っている部分はそれとして、やはり今の時代、音楽教育の実践的な場に研究成果をどう還元していくかを考えることが研究者の重要な使命だと思います。「探索・楽器・身体」に注目してこれまで研究してきたものを、金箱さんのようなスキルを持つ方々の力をお借りして、子どもの発達にとって豊かな意味を与えるものを作り出していきたいですね。
私の研究している「探索」や「コミュニケーション」という観点は、音楽はもちろん、音楽以外の分野でも必要なものだと思います。分野を限定しない、人間にとって普遍的な「何か」に迫っていきたいという野望もありますが、一方で、音楽でしか生じえない体験の意味を明らかにしたいという気持ちもあります。
このインタビューのなかで音楽の予測性のお話をしましたが、例えばうちの4歳の息子は「くるみ割り人形」の行進曲が使われた『トムとジェリー』の映画を好んで観ていた時期があって、その曲がすごくお気に入りになると、単にCDをかけただけの時でも決まったポイントで身を屈めてジャンプしたりするようになったんです。映画のなかでキャラクターたちがやっていたことの真似をしているのかと思いきや、そんな描写はない。どうもうちの息子は、曲を聴きながらある箇所で「屈んでジャンプする」という動作をどうしてもやりたくなったようなんです。何度も執拗に同じ曲を聴いて、同じタイミングで屈んでジャンプして、ということを自然にやるようになっていた訳です。
これがまさに音楽に埋め込まれた予測性ですね。音がどのタイミングで鳴るかということが子どもにもすぐに感じられる、そしてそれがどうも心地良いということなんじゃないでしょうか。
息子は、綿密に作りこまれた西洋音楽の構造を分析してジャンプしていたわけではないですよね。音楽って結局はプリミティブなレベルで私たちの反応を引き起こすことのできるものなんです。知識に囚われない生々しい感覚を、例えば音楽教室の中だったり、親子や友達同士の掛け合いの中で自然に呼び覚ますにはどうすればいいかということを考えています。ただ名曲だから「くるみ割り人形」を流せばいいということではなく、探索の多様さや個人差、その曲を体験することから得られる意味は人それぞれですからね。
画像提供:PIXTA
音楽や楽器に対する子どもの探索の多様さについて興味をもってくださるのは、音楽教育の分野の方だけではありません。それはやはり、音楽とのかかわりが、子どもや私たちの生活の中に自然に入り込んでいる、音楽が人間にとっての普遍的な価値を持っているからなんじゃないかなと思っています。
――私は音痴だから、楽譜が読めないから、ということではないですね。
そうなんです。音楽がうまいとか得意じゃないとかの話ではないんです。「あなたが日々の生活の中で、人と繋がって、子どもと一緒にいろいろな思いをして、というところに実は色んなリズムや音楽的な要素が入り込んでいるでしょう?」という話ですよね。さらに言えば、ちょっと怖いですが、音楽は知らず知らずのうちに私たちの生活のさまざまな場面に侵入していて、行動をコントロールしているかもしれないということなんです。
そのような音楽のさまざまな役割を明らかにしつつ、その成果を教育実践の場に還す、それが教具や教材などの形でもいいですし、そういう具体的なものじゃなくても、音楽する場をきちっと作っていけるきっかけになるような研究を進めていきたいと思っています。
―今後の先生の目標を伺うことができました。それでは最後に、音楽研究に興味を持っている若者たちへ向けて、メッセージをお願いします。
これまでお話ししてきたように、文化があるところには大体音楽は入り込んでいますし、私たちはそれを当たり前のように聴いている。単純に音楽は楽しいなと思うことがいくらでもあると思うんですが、それをいざ研究にする、職業にするとなかなか苦しいこともあったりします。音楽を研究することで音楽を楽しんでいた感覚を見失わないというのが、実は研究者として一番必要かもしれません。
音楽というものを知れば知るほど楽しくなるような感覚というのは、「音楽って面白いな」と最初に思った気持ちが出発点だと思うんですよね。なぜ自分はあの時音楽がすごく面白いと感じたんだろうと、時には言葉や文章にしてみることも必要だし、その気持ちに対して少し客観的な距離を取って、音楽と適切な距離感を保って付き合っていけるのがいいですね。のめり込んじゃうことも時にはあってもいいですが、音楽と自分の距離感というものを常に自覚しておくというのは、音楽を研究するにあたっての一つの大切な部分じゃないかなと思っています。
――丸山先生もしんどくなることはおありですか。
音楽そのものにしんどくなることはないです。データの処理が複雑で呆然としたり、予想に反する結果が出てしまって苦しい時はありますが……。でも分析で苦しいなと思ったとしても、音楽を聴いてすごく感動して原点に返ることもありますし、聴きたくないと思った時は聴きません。
それでも結局音楽はいろいろな場面に流れているし、それを耳にして「ああ、音楽っていいな」と感動できている自分がいれば大丈夫、自分は音楽の研究を続けられるだけのアンテナを保っているな、と折に触れて確認しています。若い人にはどうか音楽が好きなままでいて欲しい、というのが私からのメッセージですね。
音楽を愛し、研究活動のエネルギーにされている丸山先生の熱い思いが伝わってきました。丸山先生、ありがとうございました。
◇プロフィール
丸山 慎(まるやま しん)
駒沢女子大学 人文学部 心理学科 准教授
専門:発達心理学、認知心理学、生態心理学、音楽心理学