子育て・教育
2020年12月25日掲載 / この記事は約7分で読めます
今日、教育やビジネスなどさまざまな分野で注目されるようになった “非認知能力”。「非認知能力と音楽」シリーズの今回のゲストは、森口佑介先生(京都大学准教授)です。『自分をコントロールする力:非認知スキルの心理学』(講談社現代新書)の著者でもある森口先生の専門は、発達心理学と発達認知神経科学。特に後者の学問はあまり耳にしたことがないという方もいらっしゃるのではないでしょうか。ジョンソン著『発達認知神経科学』によれば、それは「脳の成長と心的プロセスの発達の関係を探る学問」(東京大学出版会)だといいます。特に子どもの心と脳の発達をめぐる諸問題に森口先生は取り組んできました。
自分の中にいる “自分のエグゼクティブ(執行取締役)”
非認知能力=知能以外の力の総称?
森口先生の著書『自分をコントロールする力:非認知スキルの心理学』には、タイトルに「非認知スキル」という言葉が用いられています。「非認知能力」や「非認知スキル」、これらが注目されるようになった背景と言葉の意味、そして中でも森口先生が重要と考えているものは何でしょうか。
――今日では、非認知能力の重要性が多くの分野で叫ばれるようになりました。従来、世界的に大事にされてきたのはどちらかと言えば学力ですね。例えば、いかに速く物事を覚えられるか、数学の問題を解けるかといった力です。
取材はオンラインで行いました
ある学術的なフレームワークの中では、学力に必要な知能は認知能力と呼ばれます。しかし教育が認知能力一辺倒になってしまっているのではないかという反省から、認知能力以外のものが非認知能力と呼ばれるようになりました。経済学者のジェームズ・ヘックマン氏が初めにこの言葉を用いて、それが広まったという流れがあります。
実は、わたしたち心理学者にとって非認知能力という語はあまりイメージしやすいものではなく、心理学ではあまり使用されません。わたしたちの言葉で説明するならば、社会性、もしくは感情をコントロールするような力を指して非認知能力を表します。
ここでは子どもに焦点を当ててお話ししますが、非認知能力の中で特に大事だと考えていることがあります。それは、子どもが自分自身と向き合ったり、あるいは自分の周りにいる友達や先生などの他人と向き合ったりするときに上手に折り合いをつけていくような力です。
そのためには「実行機能」というものが必要だと考えていただけたらと思っています。
キーワードは「実行機能」
森口先生の論文や著書に頻繁に登場する「実行機能」という言葉。どのような概念か教えてください。
写真提供:PIXTA
――「実行機能」と聞くと少しとっつきにくいかもしれませんね。私も本の中で少し触れたことがあるのですが、英語では「エグゼクティブ・ファンクション(Executive Function)」といいます。
エグゼクティブ(executive)は会社組織における経営者や執行取締役、つまり上の立場にある人を指します。会社をまとめる立場として、会社の目標をどこに定め、それをどう遂行するかといったような、意思決定の役割をエグゼクティブは担っています。
実行機能とはエグゼクティブと同じで、個々人が目標を立て、その目標を遂行する力のことです。実行機能は、個人の中のエグゼクティブだと考えてみてください。そして実行機能には、大きく二つの力が挙げられます。
一つは、自分の欲求を抑える、感情を抑える力です。例えば、ダイエットをするという目標を掲げている最中に、ビールを飲みたい、ラーメンを食べたいという欲求が芽生えても、その気持ちを抑えてどうにかやり過ごすことができる。これが実行機能の大事な役割の一つです。
もう一つは、少し伝わりにくい部分もあるかもしれませんが、自分の行動や思考をコントロールする力です。欲求を抑えるのではなく、日頃の習慣や癖みたいなものを抑える力が重要になります。より具体的に言うならば、何か物事が上手くいかなかったときに別の手段を試してみようと、目標を達成するために頭を切り替えるということです。
どちらの状況も目標の達成がいちばん重要ではありますが、そのために一つは欲求を抑える、もう一つは頭を切り替える力が必要なのです。
幼児期から大きく成長する実行機能
「実行機能」には、目標達成のために欲求を抑える力と、行動や思考をコントロールして頭を切り替えていく力があると語る森口先生。そんな自分を統べるエグゼクティブ(経営者)のような力は、私たちの成長過程においていつどのように育っていくのでしょうか。一般的に子どもの発達は個人差もあれば、能力によってはある年齢で伸びやすかったり伸びにくかったりするものもあると言われています。
――実行機能の発達は、まさにわたしの研究の主要なテーマです。赤ちゃんをご覧いただいたらわかる通り、赤ちゃんには実行機能といった能力は備わっていません。おそらく備わっている必要もなく、新生児にとっては自分の欲求に基づき思うままに行動することも非常に大事な訳ですね。
写真提供:PIXTA
それでは、いつ頃から必要になってくるのでしょうか。現在の研究では、幼児期くらいからだと考えられています。幼児期に子どもは家庭の外に出て、友達や家族以外の大人など他人と接する機会が増えます。幼児期から児童期にかけて社会性を要する場面が増えてくる中で、特に3、4歳から6歳くらいに実行機能は最初の大きな成長を遂げるのです。
小学校入学くらいまでに成長した、実行機能の基盤となるような部分は、その後も幼児期ほどではありませんが発達し続けます。主に幼児期に基礎ができて、そこから徐々により高次で精緻なものをつくっていくというイメージをしていただけたらよいと思います。これは、先ほどお話しした実行機能の主な2つ、両方の側面に当てはまります。
実行機能に個人差が生じる要因
3歳から6歳にかけて、子どもは身体的にも成長し語彙も広がっていきます。その大事な時期における家庭や幼稚園・保育園等での環境の違いによって、子どもの実行機能の成長に影響が出る可能性はあるのでしょうか。
――幼児期から児童期初期にかけての実行機能の発達は、今世界的に注目されているテーマです。その時期の実行機能が、例えば青年期の学力や問題行動、成人してからの健康や年収などに関連していることがわかってきています。すべてではないにしても、一部関わってくるという意味です。
この世界的な潮流の中で、幼児期は実行機能が著しく発達する時期であると同時に個人差が大きく出てくる時期でもあることが明らかになっています。この個人差がなぜ生まれるのかが、わたし自身を含め多くの研究者にとって大きな研究課題の一つとなっています。
個人差が生じる要因には、一つは遺伝的なものが挙げられます。私たち人間は遺伝子を親から引き継ぐ訳ですから、遺伝的な影響は無視できないとする考え方です。
しかし、遺伝子だけで議論するにも限界がありますし、やはり環境的な要因がとても重要になってくる訳です。中でも大切だとされる環境的な要因はいくつかありますが、まずは家庭環境ですね。次回はこの家庭環境と実行機能の発達との関連についてより詳しくお話ししたいと思います。
文・編集:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2020年10月22日に取材した内容をもとに作成しております)
→「2.子どもの実行機能の発達と環境」につづく(全2回連載予定)
◇プロフィール
森口 佑介(もりぐち ゆうすけ)
京都大学大学院文学研究科准教授
福岡県生まれ。京都大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。専門は、発達心理学・発達認知神経科学。主な著書に、『自分をコントロールする力 非認知スキルの心理学』(講談社現代新書)、『おさなごころを科学する:進化する乳幼児観』(新曜社)、『わたしを律するわたし:子どもの制御機能の発達』(京都大学学術出版会)など。