子育て・教育
2020年10月19日掲載 / この記事は約11分で読めます
今日世界中に広まった「非認知」という言葉。連載第1回で遠藤利彦先生(東京大学教授)が提示されたのは、「自己に関わる心の力」と「社会性」というキーワードから「非認知能力」を捉える考え方です。第2回では、これからの時代の教育でなぜ「非認知能力」が重要視されるのか、この言葉が普及したきっかけとなった研究などを解説、紹介していただきます。
連載
もっと知りたい!子どもの発達に関するキーワード 遠藤利彦先生に聞く「非認知能力」
VUCAな時代を生きてゆく子どもたち
これからの時代は「VUCAな時代」
OECD(経済協力開発機構)では、2015 年から Education 2030 プロジェクトが進められています。未来を生きる子どもたちがこれからどんな力を身に付けていくべきなのかについて提言を行うに当たり、OECDはこれからの時代をどういう風に捉えたのでしょうか。
OECD「Education2030」より
――OECDは今という時代あるいはこれから先の時代について、VUCAな時代、VUCAな世界と述べています。VはVolatility、激動変動という意味の言葉ですね。UはUncertainty(不確かな)、CはComplexity(複雑性)ということになります。そしてAはAmbiguity(曖昧)です。
目まぐるしく変化するのが最近の世界。明日何が起こるかもわからないですね。今回のコロナのような事態も誰も予測していなかったかもしれません。そういうことが普通に起きる時代になってきている。そしてさまざまな考え方あるいは宗教などが複雑な形で世界に存在し、何が良くて何が悪いのか、絶対的な基準みたいなものがすごく曖昧になってきている。言わば混沌とした時代をこれからの子どもは生きていかなければなりません。
そこで子どもにどういった力が必要になるかと考えたとき、一つはAgencyだと言われています。日本語では「責任主体性」と呼ばれます。もう一つがCo-Agency、共同主体性などと訳されます。
Agencyとは、自分自身の頭で考え、自分で判断して前に進んでいく力と言えるでしょう。先が見通せない時代だからこそ主体的に考え判断してアクションを起こしていく、そして自分の行動に責任をもつことが必要です。
ただし、それが独りよがりであってはいけない。それぞれ主体性をもつ者同士がしっかりと手を携えて進んでいかなければいけない。それがCo-Agency(共同主体性)ということになります。他の人と気持ちや考え方などをやりくり調整し、時にぶつかったりもしながらも、他者との関係性をつくり協力して前に進んでいくという力のことですね。
責任主体性と共同主体性
連載第1回で、非認知能力に関するOECDによる3つの定義は「自己に関わる心の力」と「社会性」に集約されると解説した遠藤先生。それらはVUCAな時代に必要とされるAgency(責任主体性)とCo-Agency(共同主体性)とどのように関連するでしょうか。
――「責任主体性」の方は、第1回で申し上げた「自己に関わる心の力」と基本的には同じようなものだと思います。そして「共同主体性」は「社会性」ですね。人と上手くやっていくための力と捉えてよいでしょう。
写真提供:PIXTA
「自己に関わる心の力」というのは自分を大切にして自分をコントロールしながら自分を高めようとする力のことでした。これを具体的に日常で使う言葉に換言すると、自分を大切にする力とは自尊心・自己肯定感のことです。自分を好きでいられる、自分を肯定的に考えることができることはとても重要です。それから、これらに関連して、きちんと自分のことを認識できるような自己理解の力も大切な自己に関わる心の力の1種と言えるのではないかと思います。
また、自分をコントロールする力とは、一般的に言うところの自制心のことです。その自制心に関連して、最近比較的よく使われる「グリット」(Grit)という言葉があります。粘り強く頑張り続ける力のことです。したがって、「自己に関わる心の力」は大きく4つの要素からなるようなイメージです。自尊心・自己肯定感、自己理解、自制心・グリット(Grit)という3つの要素と、あとは自立心・自律性がもう1つの要素としてあるように考えられます。自立心・自律性は、ちゃんと自分で決めて行動する、自分の行動に責任をもつということになります。
一方、他の人と上手くやっていくためには人の心を理解する必要があり、「社会性」には心の理解能力が1つの重要な要素になると考えます。また、人との関わりにおいては、誰かが困っていたら助けてあげようとする共感や思いやりも非常に大切なものです。そして、社会や集団で生活するためには協調性も必要とされます。更に何が良くて何が悪いのかを判断できる力は、一般的には道徳性などと呼ばれます。そして、社会にはさまざまな決まりやルールがあり、それらを理解して守る力、規範意識も求められますね。
「社会性」を具体的に支えているのは以上に述べたような要素であり、ここではおそらく「非認知」と呼ばれている心の力の具体的な中身が一通り網羅できているかなと考えています。わたしたちが直感的に大切だと思っている力は「非認知能力」に当たると考えてよいでしょう。
ペリー就学前計画
「非認知」という言葉が広まる前から、「自己に関わる心の力」と「社会性」に関する研究は数多く行われてきたといいます。しかし今日の教育で注目されるようになった背景には、ジェームズ・ヘックマン 氏の研究がありました。
――子どもの発達を研究する心理学の領域を発達心理学といいます。実はこの学問領域が始まった当初から、今日「非認知」を呼ばれるような力は重要だという認識があり、精力的に研究が行われてきています。当時は非認知という言葉はありませんでしたが、そういう力がどのように子どもに備わるかに関する研究はもう豊富に存在していたわけです。
ただ、いわゆる昨今のブームの火付け役となったのは、ヘックマン氏の研究の功績が大きいでしょう。教育経済学者であるヘックマン氏の携わった研究として、「ペリー就学前計画」をご存知の方も多いかもしれません。
半世紀くらい前、1960年代初頭から開始された研究です。貧困層の家庭では、お金がないがゆえに義務教育前に子どもが幼稚園や保育園に行けませんでした。そうすると、貧困層の子どもたちは小学校で初めて文字や数を教わることになります。学校の先生が一生懸命教えても一向に成果が上がらないどころかドロップアウトして学校に来なくなってしまうケースが後を絶たない。そういう中で、貧困層の子どもを3歳から2年間は幼稚園に通わせてみるという取り組みが始まりました。英語ではPerry Preschool Project、日本語で「ペリー就学前計画」などと呼ばれます。
写真提供:iStock
計画は、アメリカはミシガン州のペリー地区で、本当は家庭の経済的事情で幼稚園に行けるはずではなかった子どもたちをあえてペリー小学校附属幼稚園に通わせるというものでした。可哀想なことですけれども当時はその効果を検証するために、同じく貧困層で幼稚園に通わない子どもたちのグループも設けています。3歳から2年間通園した子どもとそうでない子ども、その2つのグループを今日まで比較し続けている研究がペリー就学前計画です。
幼稚園の経験とその後の人生の幸せとの関係
ペリー就学前計画のもと、幼稚園に通って大人になったかつての子どもたち。彼らの人生を追跡することで、ヘックマン 氏はIQ(知能指数)では人の幸せは測れないことを明らかにしていきます。
――ペリー就学前計画の対象となった当時の子どもたちの多くは、現在もう50歳を迎えています。40歳までの結果はすでに公表済みで、50歳時点の調査・分析が行われたのちその結果も公表されることになるでしょう。例えば大人になってからのお給料の額や持ち家率、生活保護を受けていない人の割合などが調査されてきました。その結果、たった2年ではあるけれども幼稚園に通わせてもらったグループの方が、通わなかったグループよりも犯罪率や逮捕歴などが少ない。3歳からの2年間が、大人になってからの経済力や、犯罪に手を染めないという意味での健全な成長に影響しているという結論がなされたわけです。
なぜ幼稚園に通わせてもらった子どもたちは大人になってからの幸せの度合いがより高いのか、最初にヘックマン氏が考えたのは、幼稚園で子どもが色々なことを教わり頭が良くなったという可能性でしょう。そこで、通園歴の異なる2つのグループのIQを比較し続けました。まず、幼稚園に通った子どもは入園してからIQが伸び、通園している間は高いIQが維持されました。ところが、幼稚園に通わなくなるとIQは再び低下し始め、10歳くらいの時点で幼稚園に通った子どもと通わなかった子どものIQはほとんど違いがなくなってしまいました。
10歳の時点でIQに違いがない、しかし大人になってからの幸せの度合いには大きな凄く違いがある。このことから、IQでは大人になってからの幸せの差は説明できず、きっと何か違う力が幸せの差を生み出しているに違いない、そういう中で用いられたのが「非認知」という言葉でした。IQで測ることのできない力=非認知と完全に言い切ってしまうと少し乱暴な気がしますけれども、IQは認知的な能力の代表的なものだから「IQでは説明できないもの」を「認知では説明できないもの」として、ヘックマン氏は「非認知」と言い始めたとのだと思います。
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いずれにしても、ヘックマン氏は早い段階から然るべき教育を受けることで、実は認知的な能力の発達を促す以上に、非認知と呼ばれるIQには表れない心の力が育つこと、それによって大人になってからの幸せが支えられているという議論を展開しました。こうして彼の研究が一つきっかけになり、今日の非認知という言葉が注目される流れが生まれたのです。
ただし、当初ヘックマン氏は非認知の具体的な中身について自制心や粘り強く頑張る力、グリット(Grit)などを中心に考えていたようですが、その後の議論によってより広く社会情緒的な力を捉えられるようになりました。更に今日では、それまでの心理学研究の積み重ねから、非認知の具体的な中身は自己と社会性に関わるさまざまな心の集合体と考えた方がいいのではないかという流れがつくられているように思います。
編集:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2020年7月14日に取材した内容をもとに作成しております)
→「3.アタッチメントと心の発達」につづく(全4回連載予定)
◇プロフィール
遠藤 利彦(えんどう としひこ)
東京大学大学院教育学研究科・教授/同附属発達保育実践政策学センター長
東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(心理学)。専門は教育心理学、発達心理学。聖心女子大学、九州大学助教授、京都大学准教授、東京大学大学院教育学研究科准教授を経て現職。日本学術会議会員。東京大学大学院教育学研究科附属発達保育実践政策学センター(Cedep)センター長。主な著書に『よくわかる情動発達』ミネルヴァ書房、『乳幼児のこころー子育ち・子育ての発達心理学』有斐閣アルマ、『赤ちゃんの発達とアタッチメントー乳児保育で大切にしたいこと』ひとなる書房、ほか多数。