子育て・教育
2020年11月19日掲載 / この記事は約11分で読めます
幼児教育の専門家である岩立先生に最新の教育の動向を伺うシリーズの第2回。第1回では、幼児教育関連三法(『保育所保育指針』『幼稚園教育要領』『幼保連携型認定こども園・保育要領』)には5つの領域があること、今日幼児教育において育みたい資質・能力は「知識・技能の基礎」「思考力・判断力・表現力等の基礎」「学びに向かう力・人間性等」の3つに整理されることがポイントでした。これらの力の中でも、特に「学びに向かう力・人間性等」はいわゆる非認知能力と関連が深いといいます。
認知と非認知の連動
日本で大切にされてきた「学びに向かう力・人間性」
第1回の連載で、日本の教育では特に「学びに向かう力・人間性等」は昔から大事にされてきたとのお話でした。これは日本独自の傾向だったのでしょうか。
――まず、幼児教育関連三法令でいう「学びに向かう力・人間性等」の部分は今日「非認知能力」と呼ばれている力と言えます。非認知能力は経済学者ジェームズ・ヘックマン氏の研究で使われた言葉で、発達心理学では社会情動的な発達と言われてきたものです。日本の幼児教育では、「心情・意欲・態度」などと言い表してきました。これらは大体同じ意味で用いられています。
非認知能力は、IQ(知能指数)テストなどでは測ることのできないような力をすべて包含しています。非常に広い訳ですね。例えば自分の目標のために我慢してがんばる力や感情のコントロール、他者と協同する力なども入ってきます。こうした力は日本が幼児教育で大事にしてきたものである一方、欧米の教育ではむしろ非常に知的なもの、認知的なものが重視されてきました。欧米の場合、その反省に立って今では非認知の重要性が認識されています。
写真提供:PIXTA
ただ、今日の日本では国が推進していこうとしている教育と、それに親の期待が逆行するという難しいことが起きています。国としては社会情動的スキルや非認知の部分を幼児教育では一貫して大切にしようとしていますが、親は、社会的成功に向けて子どもに早くから知的な学習、知識や技能の獲得が必要だと考える傾向があります。運動系と知的な学習系のおけいこに通わせるというように、少しずつ考え方が変わってきてはいるものの、知的なものへの関心は高いですね。
相互に高まり合う認知と非認知
幼児教育全体の方向性と保護者とのニーズにズレが生じているという状況において、認知か非認知はどちらか一方を選択するものではないと岩立先生は語ります。
――最近では、非認知が注目される余り言葉だけが独り歩きしてしまい、認知的な学びの方がタブーのようになってきていると思うことがあります。しかしわたしは少し違う意見をもっていて、認知能力もとても大事だと考えています。ヘックマン氏も決して非認知だけが重要であると主張したのではなく、非認知は認知と同様に重要だと論じた訳ですね。
かつて、ある幼稚園でわたしは園長を務めました。入園に際して学力で選抜は行わず、純粋にくじ引きで入園するシステムで、遊びを中心とした総合的な指導を行う幼稚園でした。そこで3年間にわたり、園児に発達検査を実施して認知発達のデータをとらせていただき、非認知の側面は担任の先生方に評定してもらいました。多様な子どもたちがいますから、最初の頃は言葉や数の力はだいたい同年齢の標準的なレベルと同じぐらいでした。先生たちは本当にベテランぞろいで、子どもたちは夢中になって遊びながら日々を過ごしていきます。そうすると年長になる頃には言語や数が標準レベルより上回るようになりました。
このデータから、遊びの中で楽しんだり、不思議さを感じたり、充実感を味わっていく、つまり非認知的発達が進んでいくと、環境に主体的に関わり、より一層、持続して活動したり、チャレンジしたりしていくので認知的な能力も深まっていくと推論できました。特に、数よりも言葉のほうが有意に伸びました。豊かな遊びはコミュニケーションがたくさん生まれるから言葉が伸びたのかもしれません。こうした経験からも、非認知の高まりとともに認知も相互に高まっていくのではないかと考えています。興味をもったことには知識も増えるし、そうするとさらに面白くなって、非認知と認知が連動して発達していきます。
先生の声かけが道を分ける?
遊びを中心にした活動で言葉や数の力も発達するという、認知と非認知の連動は理想的だけれどとても難しいことのようにも感じられます。実現の鍵は何でしょうか。
――環境づくりと指導法がとても大切になります。子どもがやりたくなるような環境の工夫が必要です。また、子どもが何かできたとき、周囲がある一定の基準に照らして「まだまだだね」と言うか、そこまで頑張ってきたプロセスや、今、できているたことに対して「すごいね」と言うかの違いです。到達目標に至るまではまったく褒められない、それまで何十回も繰り返し頑張らなければいけないというのは、幼児にとってネガティブな経験に結び付きやすいです。
例えば音楽でピアノ人口が多いのに長続きしない人も多いというのは、自らが目指したい目標ではなく、外から到達目標が明確に規定されていることの難しさもあるのではないでしょうか。昨今、幼児教育専攻のある大学の多くは入試にピアノの試験を設けていません。ただ、わたしの前任校ではピアノと声楽の試験があったので、多くの学生はピアノを弾けました。その中に、嫌になって一度辞めたけれど、今は大好きでよく弾いているという人が一定数いました。おそらく出会い方の違いでしょう。最初のレッスンとの出会いが、外から目標が与えられ、そこから次の到達目標に向かってきっちりと順番に進めていく方法だったのでしょう。ピアノと出会い直したとき、自分の弾きたいものを弾き、主体性が生きるような経験をしたので、今は弾くのが楽しいのだろうと思いますね。
なお、保育士の養成にピアノのスキルが必要かどうか、ピアノをどう位置付けるかは長年議論がありますが、子どもと音との出会いはどんな楽器でもよいのではないかという意見もあります。もちろん、子どもが歌ったときに即興で伴奏を付けるなどピアノが現場で生きることはありますし、先生が上手に引けたら幼児はその姿に憧れるでしょう。それでも、今は音源を使った指導が多くなっています。
幼児教育は総合的な実践
音楽が話題に挙がりましたが、幼児教育関連三法令では「表現」の領域はあっても具体的に音楽や美術など教科につながる言葉が明記されていません。何か理由があるのでしょうか。
――幼児教育では特定の領域に注力するよりも総合的な実践が重視されます。連載第1回でもお話ししたとおり、幼児教育関連三法令に示される領域でいう「表現」とは幼児の世界観の表現であり、それを表現する媒体は、アート、言葉や身体でもよいという考え方です。子どもがケンケンパを歌いながら跳んで遊び楽しむように、そもそも人間の表現は総合的なものです。
もし仮に音楽教育で技能の習得が優先され、遊びが抜け落ちてしまうような場合は、幼児期にふさわしい学びとは言えなくなるでしょう。現在の表現の定義は、人間の表現とは何かその意味を考え、しかも、どのようなものが発達に相応しいかを検討したからこそ、総合的な表現となっているのではないでしょうか。また、一般的に親たちはどうしても楽器や曲が弾けるといったような到達目標に目がいきがちです。誰はできて誰はできていないという事態を避ける意味でも、表現を楽しむことから、音楽の学びは始めると良いと思います。
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イタリアにはレッジョ・エミリアという教育がありますが、幼児にとってみじかなものの「美」というものに出会い直しながら、審美性(Authentic)を高めていくことが一つの領域になっています。日本の表現と目指しているのは同じようなものだと思います。幼児のみじかな環境にある質の高いさまざまなアート、音楽、言葉、動きなどに触れて心を動かすことを通して、子どもなりの感性、見方・感じかたが育まれていくのではないでしょうか。
このような保育を実際にやろうとするととても難しいことですが、それを目指している園は実際に数多く存在して、そこは活気にあふれ、子どもが生き生きとしています。どのような学びも子どもの心が動いて主体的に探求していくというところが重要なのです。
保護者の声と現実と
認知と非認知はどちらも大切であることと、幼児教育が総合的な実践だということはつながっているのですね。ただ、保護者は認知の方の発達が気になったり、到達目標に意識が向いたりというお話もありました。保育所や幼稚園などは保護者の声にどのように向き合っているのでしょうか。
――基本的に幼稚園に対して、家庭ではできない体験をさせて欲しいという保護者の要望は高いと思います。知的なものと同様に、お友だちとうまくやっていけるようになってほしいという人間関係の観点からの要望は、一貫して強いです。幼稚園はやはり人が集まる場所であるがゆえに、そこで子どもが友だちとうまく関わりながら豊かな体験を得られるのかどうか、保護者は昔から気にしていました。お友だちと仲良くするなど人間関係のスキルの面が育たなければ、園での遊びや生活も楽しめないと考えるからです。
今、保護者の方々は皆とても忙しいです。家庭で親子が関わる時間は減少しており、例えば寝る前の絵本の読み聞かせがとてもよいことだと思っていてもその時間がとれないご家庭もあります。幼稚園としては、保護者の方が子どもとの時間をとれるように願いを込めて、園で取り上げた手遊びの楽譜を送ったり園で作った飾りをお家に持って帰ってもらったりしています。
以前は、園内で園児を対象として行う営みが保育と考えられていましたが、今は幼稚園と家庭をつなぐ家庭支援を含め、トータルで保育をデザインしています。幼児教育において学びをどのように捉えるのか、つまり、認知だけをトレーニングで育てても後のびしにくいことや、非認知が、認知面も含めて後伸びする重要な要因となることなどを保護者に説明します。また、非認知や認知の学びが連動するようにどのように計画を立て、教材研究や環境構成をして指導しているのか、幼児はどのように育ってきているのかなどを、保護者会や個人面談で保護者にたくさん伝えるようになりました。さらに、保護者アンケートなどを通して、保護者のニーズを理解して、それに沿えること、沿ったほうが子どもにもよいと思えることは、沿うようにしています。園を開いて、家庭とともに幼児を育てる傾向が益々、強くなっています。
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従来、幼児教育は義務教育ではないために園や個人によって考え方も様々で保育の質については玉石混交だと言われてきました。今日、保育の営みは単に子どもが楽しく過ごせればいいというものではなくなりつつあります。3つの資質・能力をより確かに育むための高い専門性が先生たちに求められるようになりました。連載第3回では、保育士や幼稚園の教員養成についてお話ししましょう。
文・編集:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2020年7月28日に取材した内容をもとに作成しております)
→「3.教育が変わる=指導が変わる」につづく(全3回連載予定)
◇プロフィール
岩立 京子(いわたて きょうこ)
東京家政大学子ども学部子ども支援学科教授
東京学芸大学教育学部、大学院修士課程を経て、筑波大学大学院博士課程心理学研究科心理学専攻に進学。平成5年に、博士(心理学)を取得。専門分野は幼児教育、発達心理学。最近の研究テーマは幼児教育における様々な評価。筑波大学大学院博士課程修了後、筑波大学心理学系技官を経て、東京学芸大学幼児教育科で34年勤務の後、令和2年4月より現職。日本乳幼児教育学会常任理事、日本保育学会監事、全日本私立幼稚園幼児教育研究機構理事、保育教諭養成課程研究会理事、東京都私学助成審議会委員。主な著書に『子どもの道徳性の発達』ミネルヴァ書房 54-68、『親が親として発達するための支援とは』保健士ジャーナル(「特集 親として育つことを支える 育児不安・困難感解消のための親支援」75(4), 289-292)、『幼児理解の理論と方法』光生館 31−43、ほか多数。