子育て・教育
2021年06月23日掲載 / この記事は約12分で読めます
「社会情動的スキル」をテーマとする荒牧美佐子先生(目白大学准教授)の連載、最終回は特に習い事に焦点を当てたお話と、子育て支援について伺います。連載第2回では「社会情動的スキル」がどのように育つかに関連して親子関係が話題になりました。育児感情や保護者への支援に関する研究はまさに荒牧先生の専門分野です。子どもには子どもなりの考えがあり、親にはさまざまな願いや期待がある、先生には教育のプロとしての矜持がある――それでも、丁寧に互いの声に耳を傾けることが、せわしない現代社会では大切なのかもしれません。
フクザツな育児感情
親も子も忙しい現代社会
連載第2回では、社会情動的スキルの成長において親子がリラックスして活動を楽しむというポイントが提示されました。しかし今日では幼児期でも日々とても忙しく過ごす親子も少なくないと聞きます。
――育児不安の研究において、親にとって子どもの日々のスケジュールのマネジメントはストレスにつながることがわかっています。特に子どもが何人かいて、幼稚園や小学校などそれぞれの予定が組み合わさると、自ずと忙しくなります。共働きの家庭も増え、家族のスケジュールは複雑化しました。習い事ひとつとっても、送り迎えなどをこなすだけで大変です。いくつもやらせてあげたいと思えば、費用もかかります。
そして、せっかく習い事をさせるなら、中途半端にならずに、ちゃんと取り組んでもらいたい。そう思うのではないでしょうか。レベルに応じて、級とか、段とか、グレードが細かく設定されている場合も多いでしょう。親はそうした指標によって、自分の子どもがどのくらい達成できているのか知りたいと願う一方で、同じくらいの年齢のお友達と比較して一喜一憂したりすることもあるかもしれません。
ただし、個人差もあるので、あまり周囲と比べすぎる必要はないかと思います。ここまでも述べてきた通り、まずは、子ども自身が楽しんで取り組めているかどうかが大事かと思います。
写真提供:PIXTA
一方で、保護者によっては、将来役に立つような特別な能力を伸ばしてあげるため、というよりも、幼児期にいろいろなことを経験すること自体に重きを置いて、習い事をさせている方もいるでしょう。あるいは、お友達と一緒にやらせてあげたい、親子で一緒に楽しみたいという場合もあるかもしれません。習い事ひとつとっても、どのようなことを期待しているかはさまざまかと思います。
親の期待はさまざま
保護者によって習い事に何を求めるかが異なるというお話ですが、より具体的にはどのような違いが考えられるのでしょうか。保育園や幼稚園などのいわゆる幼児教育全般との違いもあるのでしょうか。
――ここでは、音楽を例に考えてみましょう。まず、一般的に幼児教育における音楽活動は、楽器を弾いたり、歌を歌ったりするための技術だけを伸ばそうとするのではなく、さまざまな表現活動の中の一つとして位置付けられています。日々の活動の中で、リズムやメロディを楽しんだり、雨や風の音など、自然や生活の中にあふれるさまざまな音に触れたりして、いろいろなことを感じたり、考えたり、表現しようとする喜びを育もうとしています。
そういう点では、そもそも親も幼稚園や保育園などに対して、「正しい指使いでピアノが弾けるようになる」といった特別なスキルを伸ばすことなどは強く期待していないと言えるかもしれません。むしろ、集団生活の中でお友達との関係性を育んだり、遊びを経験したりする活動の方に関心が寄せられているかと思います。ですから、例えば、ピアノが上手に弾けるようになるためには、プラスアルファでお金をかけて習い事をさせるという選択をする訳ですね。
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しかし、その場合でも、すべての親が、子どもをプロのピアニストとして育てたいとは考えていないかと思います。あくまで、教養や嗜みを身に付ける一環として、ピアノが弾けるようになってほしいというケースも多いでしょう。そして、どちらの目的で習わせるかによって、習い事に対してどのくらい真剣に向き合わせるかが違ってくるように思います。
わたしにとって音楽は専門外ですが、もし指導者の立場で前者のようなプロを目指す子どもと対峙するならば、やはり幼い頃からの積み重ねが必要だと考えるだろうと思います。競争を勝ち抜くことも求められるたいへん厳しい世界ですから、どんなに辛い練習であっても耐えることを親や子どもに求めるかもしれません。
一方、後者の場合は、前者に比べて習い事を始める動機も親の期待もより多様なものだろうと考えます。親自身が音楽を好きだから、親子で何か一緒に活動する場がほしいから、あるいは周囲に習っているお友達がいるからなど、ある意味でこれといった強い理由がないことも珍しくないですね。
わたし自身の経験でも、子どものときスイミングスクールが嫌いでしたが、お友達がいるからという理由で通っていました。当時、お友達と会えることがスイミングスクールに行く動機づけになっていたんですね。そして、そのうち水が怖くなくなり、少しずつ泳げるようになってくると、クロールもバタフライも泳げるようになりたいという思いが湧いてきて、スイミングスクールに通うことが楽しくなっていきました。
表現したい気持ちが活動のスタートライン
荒牧先生ご自身の回想からも明らかなように、周りの友達につられて習い事を始めたり続けたりする子どもは確かに存在します。むしろ、プロを目指すという明確な目的のない状態で習い始めるケースの方が多いかもしれません。その場合に習い事が持続するかしないかを左右するものは何でしょうか。
――例えばヤマハ音楽教室でも、初めから音楽が大好きな親子もいれば、音楽よりサッカーの方が好きだという子どももいると思います。後者の子どもにとっては、ピアノがどのくらい弾けるようになったかどうか、ちゃんと練習しているかどうかなど、成果だけを求められることなく、まずはその子が自分なりに音楽に興味を持てるようになることが重要です。指導する先生から「音楽ってここが面白いんだよ」「〇〇君はこんな所に気付けてすごいね」と声をかけられ、自分のもつ力を信じて接してもらうことで、習い事が楽しいと思えるようになるでしょう。そこに「自分でもできる!」という経験が重なれば、より好きになっていくと思います。
こうした積極的理由がなく始めた子どもは、いきなり演奏のスキルばかりを教えられても先へ進むのが難しくなります。大人になってから、ピアノが弾けるようになりたいと思ってレッスンを始めた人ならば、先生に指摘された自分のできていないところを理解、納得し、次にやるべき練習に取り組むことができます。もともと弾けるようになりたいという動機もありますし、そのために何が必要であるかという見通しがつけられるのです。
ところが、子どもはそれができません。なぜそれをやらされているのか理解できない。子どもにはその時与えられた課題に向き合う、子どもなりの理由に納得することが必要です。大人は自分の過去を振り返ったとき、幼いときにもっと勉強しておけばよかった、自分の子どもにはちゃんとやらせようと思うものですね。しかし、それは大人目線の思考です。大人のリードが必要な場面もありますが、大人が気にかけるべきポイントは、子どもにとって課題に向き合う理由が腹に落ちているかどうか、もっと言えば、理由はよくわかっていなくても、楽しいから、少し難しい課題にもチャレンジしたい、という気持ちをもてているかどうかだと思います。
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最近では、YouTubeなどにストリートピアノで演奏する動画がたくさんアップされています。コンサートでもコンクールでもない場で、その場の観客のリクエストに応えて、人気アニメの主題歌などを即興で華やかに演奏している方の姿はやはり格好いいですね。きちんとした教育を受けられてきた方々からすれば邪道かもしれませんが、広い意味で今の自分の思いや感情を表現したいという気持ちにあふれています。それが、すべての表現活動の根源にあると思います。
音楽であったり、スポーツであったり、絵画や文章であったり、プロであるかどうかは別として、表現する方法は人によってさまざまです。表現することは、喜びでもあると思います。そして、自分の思いどおりに表現できるようになるためには、相応の技術や知識、能力などが求められます。ですが、まずは、何かに憧れをもち「自分もやってみたい」と思うことが子どもを動かしていく、ということが大切だと思います。
専門家の理想を捨てた遠回りの道で見つかるものがある
親の期待がさまざまだとすると、その子に教える先生はそれをどのように考えるかという疑問が生じます。大学ではいわば「子どもを育てるプロ(保育士)」の養成に携わっている荒牧先生。保育士が親の声と向き合う、その重要性を語ります。
――わたしは幼稚園や保育園の先生方に研修をさせていただく機会も多いのですが、最後に子育て支援という観点からのお話をしておきたいと思います。
前提として、さまざまな分野で専門家と呼ばれる人びとは、その人自身がそれに夢中になったから専門家になった訳です。その楽しさをよく知る一方で、それを知らない人の気持ちを想像しづらいという側面があるんですね。
保育者もまた、子どもをとてもかわいいと思うからこそ、プロフェッショナルとしてその職業に就いています。それゆえに、そう思えない人の気持ちが理解できず、時には“子どもをかわいいと思えない保護者”を許せないという心情に陥ってしまう事例があるんですね。親子関係が上手くいかず、子どもに対して辛辣な態度を取っている親を見ると、どうしても親の方を責めるという方向に気持ちが入ってしまう訳です。
しかし、子どもが好きというのは保育者ならではの能力であって、保育者と保護者が互いに同じ視線で子どもを見てしまうと良い関係は築けません。プロはその道を究めるだけの努力と経験と積み重ねている分、親にもどこかストイックさを求めてしまう部分があるのだろうと思います。
習い事において子どもにストイックさを求めるときにも、子どもや保護者の思いやどのくらいの目指すゴールがどこにあるかを見極めることが重要です。専門的見地からは最短距離で効率的にスキルを伸ばしていく道が見えていたとしても、いったんそれを捨てて指導者と保護者が互いに向き合った方が、結果的に関係は改善されるかもしれません。まずは楽しむ、そして一歩一歩頑張ることの喜びを知る、みんなと一緒に活動するなど経験を重ねていきます。遠回りであっても、それが結果的に長続きするのではないでしょうか。
先述のとおり、子どもの能力のどこがどれだけ伸びたのか、わかりやすい指標を保護者は求めている傾向もあるかと思います。しかし、例えば4~5歳児でも、能力や性格、得意・不得意において違いがありますし、ある曲が弾ける子と弾けない子が出てきます。その中で子ども同士に競い合わせることで、親の不安を煽ってしまうこともあるかと思います。もちろん習い事の場合、とにかく早く上手に弾けるようになって欲しいと望む親もいるかもしれませんが、一人一人の子どもの個性に合わせたペースで、習い事を楽しめるような指導ができると、親も安心して、子どもに寄り添うことができるかと思います。
写真提供:PIXTA
このように子育て支援においては、先生がプロとして“こうでなければならない”という考えから一回外れ、相手に寄り添っていくことが重視されています。それは、どんな能力もスキルも、親や子ども自身がその気にならないと結局は伸びないものだからです。いくら正当なことを提示しても、聞いている側の方の気持ちに落ちなければ “わかってもらえなかった”という気持ちだけが残りますね。100%の理解が難しくても、誰かに自分の声を聞いてもらうことでコミュニケーションはずいぶん和らぐものです。
(おわり)
文・編集:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2020年11月16日に取材した内容をもとに作成しております)
◇プロフィール
荒牧 美佐子(あらまき みさこ)
目白大学人間学部子ども学科准教授
お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。博士(人文科学)。
専門分野は、発達心理学。
最近の研究テーマは、母親の育児感情、家庭教育や保育の質が子どもの認知的・非認知的スキルの発達に与える影響などについて。現在、国の研究機関や企業のシンクタンク等の調査・研究プロジェクト等にも参加。
主な著書に、「生活の中の発達―現場主義の発達心理学」新曜社(共著)、「社会情動的スキル―学びに向かう力」明石書店(共訳)、「発達科学ハンドブック 第6巻 発達と支援」新曜社(共著)などがある。