子育て・教育
2020年12月14日掲載 / この記事は約11分で読めます
“声”のエキスパートである志村洋子先生(博士(教育学) 、埼玉大学名誉教授、同志社大学赤ちゃん学研究センター嘱託研究員)は長年赤ちゃんの声をめぐる諸問題や子どもの音響環境に関する研究に取り組んできました。胎内でも赤ちゃんはお母さんやお父さんの声を聞いているという第1回のお話に続き、今回は人間の聴覚についてより詳しく伺います。
連載
赤ちゃんの「声」と向き合って――志村洋子先生に聞く
音の聞こえ方のしくみ
私たちはどうやって音を聞いている?
連載第1回では、五感の中で聴覚は触覚に続いてつくられるというお話でした。iOS13以来、iPhoneの「ヘルスケア」アプリにヘッドフォンの音量が耳に負担になっていないかチェックできる機能が加わるなど、聴覚の重要性は改めて認識されてきていますね。
――アプリでは「聴覚・聴力が重要な理由」などの解説から、いかに聴力が大切かについて読みとることができます。私たちの聴力には限界があること、それは生まれてから一生を終えるまでの「音」を聞いた「時間」量と、聞いた「音量」の大きさに関わっています。
「聞こえ」の仕組み
人の耳の仕組みをみると、耳介(じかい)で音波を受けた後、外耳道(がいじどう)で音波を増幅させます。さらに音波は鼓膜を振動させ、中耳でまたさらに変換されて内耳(ないじ)に音を届けます。内耳には蝸牛(かぎゅう)といい、カタツムリみたいな形をした器官があり、その入り口(前庭窓)に伝わります。この中にはびっちりと有毛細胞が生えていて、リンパ液が満ちています。
蝸牛内の有毛細胞
蝸牛内の有毛細胞は、聞こえてきた音のそれぞれの高さ、つまり周波数帯域に合わせて揺らぎますので、その揺らぎの振動が電気信号に変換され、脳神経回路に感覚情報として伝えます。例えば400Hz、401Hz、402Hzのようにそれぞれの音に対応する有毛細胞があるんですね。でも、有毛細胞が大きな音や、長時間の使用で磨り減ってしまうと、それぞれの音の信号を脳に届けることができず、その周波数帯域の音が聞こえなくなることに。それに気がつかないまま、ヘッドフォンなどからの大音量を聞き続けると、特定の周波数の音が聞こえなくなることを知っていてほしいです。
さて、子どもが言葉を覚えるときには、子音と母音がセットになっている「音」を「ことば」として聞くわけですが、さ行(さ・し・す・せ・そ)や「ダ・ディ・ドゥ・デェ・ドォ」のようにいろいろな響きの子音を伴う音を聞くときは、比較的高い周波数帯域の音を聞くことになります。子どもはよい聞こえの力を持っているので、高い周波数帯域の子音も難なく聞き取って、言葉を話せるようになっていくのですね。一方、有毛細胞は加齢とともに磨り減るので、年齢を重ねるにつれて高い周波数帯域の子音が聞こえにくくなります。例えば「ガギグゲゴ」が「あいうえお」にしか聞こえなくなったりします。私たちの聞こえの仕組みがどのようなものか、またどのように経年変化するのかを知っておくことはとても大切です。
赤ちゃんは成人よりよく聞いている
有毛細胞が消耗されると、聞こえない周波数帯域が出てくるなんて、私たちも日々のイヤホンやヘッドフォンの使い方には注意したいところです。有毛細胞がすり減る原因の一つが加齢だとすると、生まれたばかりの赤ちゃんや幼い子どもたちの方がよく聞こえるということになるのでしょうか?
――「聴力」の実際を測定した結果を見てみましょう※1。対象は埼玉県内の幼稚園に通っている3歳児です。健康診断における聴力検査ではオージオメーターがよく使われますが、幼児が聞こえたら押すというスタイルなのでしばしばチャンスレベルとなり、安定した結果になりません。そこで、OAE(耳音響放射)を使って行いました。耳の中に入れる小さなプローブが、異なる3つの周波数の純音を出します。また同時にプローブに入っているマイクロフォンにより、有毛細胞が動いたかどうかを音でキャッチする仕組みです。2kHz、3kHz、4kHzの周波数帯域の音がどの位の音量で聞こえていたかを調べた結果は、一定の基準となっている20歳の人たちの平均値とは異なる結果でした。
例えばAちゃんの右耳は、20歳の人が聞き取る音量の平均に比べ、もっと小さい音量(20dB程度)でも聞こえることを示す値でした。ただし、左右の値はやや違う結果でした。こうした良い聞こえの園児が多かった一方、中には、両耳が20歳の人とほぼ同じ程度の聞こえの園児や、それよりやや低い、つまり音量がより大きくないと聞こえにくい園児も見られ、個人差が大きいことがわかったのです。
さらに保育園の4、5、6歳児にも参加してもらい同じ方法で調べた結果でも、良く聞こえる子とそうでない子どもがいること、左右の耳の聞こえの力が違う子どもが多いこともわかりました。この調査は2kHz、3kHz、4kHzの周波数帯域に限ったもので、また聞こえてくる音は純音ですから基本の聴力を知ることに特化しています。ですが、聞こえについては子どもによる個人差が大きいことは明確になりました。
たくさんの音から自分の聞くべき音を聞く
若者にしかモスキートーンが聞こえない、高齢者になると言葉を聞き分けるのが難しくなるなどの現象は広く知られていますが、実際に幼児が成人よりもよく聞こえることが実験結果にも現れているのですね。それでも、音を聞くことに関して大人にはできて赤ちゃんには難しいものがあると志村先生。どういうことでしょうか?
――今日では赤ちゃんが生まれたとき、新生児聴覚スクリーニング検査が全国的に行われています。この聴力検査では音を聞かせて被験児の脳波を見ることで行うABR(調整脳幹反応)検査や、前項でお話ししたOAE(耳音響放射)や脳波を調べる方法が用いられ、もしも聴覚的に困難がある場合にはどのような支援が必要か早期から検討できるようになりました。
写真提供:PIXTA
ここでお伝えしたいのが、赤ちゃんの聴力は静けさを背景にしたときに測定されることです。私たち大人はさまざまな音が聞こえてくる中でも自分の聞くべき音を抽出して選んで聞くことができますが、赤ちゃんや幼児だとまだそれができないのです。生まれたときの聴力はとても高いですが、あくまで雑音のない状態でのお話です。メディアではあまり取り上げられてきていませんでしたが、最近、新しい知見が報告されるようになりました。飛び切り聞こえの良い耳をもつ子どもたちに、どんな音であっても大音量で聞かせないことを大切にしてほしいのです。
最近では、雑音の中で初めて聞く「言葉」を覚えたり、会話を成立させたりする能力は、16歳になるまでは獲得が難しいという研究成果も出てきました。子どもが人の話す言葉を明瞭に聞き取れるようになるのは周りに邪魔をする音が少ないことが基本になるのですね。たとえば音楽を熱心に習っていたとしても、大音量でも大丈夫という訳ではありません。長時間雑然とした音の中に身を置いたとき、どれだけ聴覚に影響があるかを思い出していただければと思います。先ほどのヘルスケアのアプリやすでに出されて久しいWHOの勧告と共に、聞こえの研究者たちは警鐘を鳴らしています。このこともぜひ知っていただきたいと思います。
子どもの聞こえの特徴を知ろう
子どもと大人では、単にどんな周波数帯域の音が聞こえるかという以外に聞こえ方の違いがあるとのことですが、何か研究はあるのでしょうか。
――はい。シンプルな聞き取りやすい音と、そうではない音の聞き分けの力が大人とは大きく違っています。例えば、騒がしい街頭などで一緒に歩いている人と話すとき、明瞭に聞き取れないことがありますよね。大人はこうした場面でも話の文脈などから類推して、おおよその会話を成り立たせています。でも子どもはこうした背景にある雑音の中から、音を拾って聞く力はまだできていないことが報告されています。この事は「カクテルパーティー効果」と呼ばれ、知られているところです。
実際に私たちも実験を行ったことがあります。バックノイズ (背景雑音)と共に、ターゲットの音を保育園の4、5、6歳児に聞いてもらい、聞こえてきた音を答えてもらう実験です。聞こえた音がどれだったかを、テーブルに置いた絵から指差してもらう「音当てクイズ」です※2。ターゲットの音は猫の鳴き声やホイッスルの音、バイクの走る音など身近なもので、保育者の「お昼にしますよ」などと呼びかける声も聴いてもらいました。この実験でわかった事は、4歳児から5歳児、さらに6歳児にかけて徐々に正答率は上がったものの、バックノイズに埋没している音を聞きわけることは、年齢の低い幼児には困難性の高いことだということでした。
子どもの聞こえの特徴を知ることは、グループでの活動の際などで、子どもに声かけする先生の手法を変えるかもしれません。例えば、みんなで楽器を一斉に叩いている中で、先生が「みんなよくできました~」とほめても、子どもが楽器の音の中から先生の声をうまく拾い出して聞けるかどうかはわかりません。また保育の場で行われている「朝のあいさつ」などの場では、園長先生が「さあ!元気な声で」と一声かけるやいなや、その場は子どもたちの大声が満ちた喧噪環境に変わりますが、子どもが「聴き取りやすい音量」を目指す挨拶の場面に変わるかもしれませんね。このシリーズのテーマである非認知力を視点にしてみても、乳幼児期の子どもに園の環境の中で、「おはようございます」をあえて叫ばせる意義を考えてみる必要がありそうです。
写真提供:PIXTA
子どもの耳は大人を超えた優れた聴力を持つ一方、大人の聞こえの力には及ばない部分があることを、知っていただけたと思います。小さい音もよく聞こえる耳の持ち主である子どもたちは、大人だったらいとも簡単にできる「音の中から自分に必要な情報に関わる聞くべき音」を抽出するのは不得意ということを、さらに多くの方に認識していただき、子どもの聞こえに寄り添ったかかわりをお願いしたいと願っています。
- ※1 志村・佐藤他.「幼児の聴力と保育空間の音環境に関する研究」, 埼玉大学教育学部実践総合センター紀要, 13, 73-78, (2014).
- ※2 嶋田・志村・小西.「生活雑音下における幼児の情報聴取能力の発達」日本音響学会誌. 5-3. 112-117. (2019).
文・編集:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2020年9月1日に取材した内容をもとに作成しております)
→「3.子どもが探索できる環境・静けさのある環境を」につづく(全3回連載予定)
◇プロフィール
志村 洋子(しむら ようこ)
埼玉大学名誉教授/同志社大学赤ちゃん学研究センター嘱託研究員
博士(教育学)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業 東京藝術大学院音楽研究科修士課程修了 1978年より埼玉大学教育学部講師、助教授、教授を経て、2016年より埼玉大学名誉教授 現在、日本赤ちゃん学会常任理事、日本子ども学会理事
主な研究分野は、乳幼児の歌唱音声の発達研究、乳児音声とマザリーズ音声の音響分析的研究、保育室空間の音環境に関する研究、騒音環境が乳幼児期の聴力に及ぼす影響に関する研究。主な著書に『はじまりは「歌い合い」』(単著・私たちに音楽がある理由・音楽之友社2020)、『乳幼児の音楽性をめぐる研究最前線』(共著・音楽教育研究ハンドブック・音楽之友社2019)、『絆の音楽性―つながりの基盤を求めて―』(共監訳・音楽之友社2018)、『乳幼児の音楽表現―赤ちゃんから始まる音環境の創造―』(共編著・中央法規2016)、『運動・遊び・音楽』(共著・中央法規2016)、ほか多数。