子育て・教育
2021年06月23日掲載 / この記事は約14分で読めます
荒牧美佐子先生(目白大学准教授)の連載では、「社会情動的スキル」がキーワードになっています。第1回では、非認知的スキルと社会情動的スキルのどちらも調査や研究者によって注目する力や取り上げる側面に違いがあること、OECD(経済協力開発機構)が定義した社会情動的スキルは生産性、測定可能性、可鍛性の3つの性質があるというお話でした。ポイントは、測定ができる、そして生まれながら決まっているのではなく環境の変化や投資によって変わっていく力だということです。第2回では、そうしたスキルがどのような環境で、どのように育つのかを伺います。
幼児期は未来を生き抜く力の土台をつくる時期
社会情動的スキルは多面的
連載第1回で社会情動的スキルの定義と特徴についてお話がありました。社会情動的スキルが生まれつき確定している能力ではなく、環境や投資で変わっていくものだとすれば、どうすれば育んでいくことができるのかがやはり気になります。
――幼児期においては本人のやる気を育てていくところがスタートになりますが、その前提となる部分も押さえていただきたいと思います。
まず、社会情動的スキルは多面的だということです。OECDの定義した社会情動的スキルのレポートを詳しくご覧いただくと、それがいくつかの能力から構成されると整理されています。それらの中で、例えば将来の所得に関わってくる力と、将来の精神的あるいは身体的な健康につながる力には微妙な違いがみられます。粘り強さや好奇心などさまざまな能力があり、何が発達すると何に結実するのかは多様なつながりがあるということです。
これは心理学で有名な「ビッグ・ファイブ」という理論とも当てはまります。心理学では人の性格や気質などを包括する概念を「パーソナリティ」といいますが、それを5つの因子(外向性、協調性、勤勉性、情緒安定性または神経症的傾向、経験への開放性)で捉えるモデルです。例えば開放性のスコアが高い人は、創造的で好奇心豊かな一方、刺激がないと物事が続かないとされています。勤勉性のスコアが高い人は目標に向かって意思が強いなどとされていますが、この2つの分野のスキルは、勉強面でよい成績をとることと相関がある、つまり、認知的なスキルとも関連があると言われています。
写真提供:PIXTA
ただし、子どもの能力は概念として認知的スキルと社会情動的スキルに分け得るものですが、特に乳幼児期の場合はそれらを完全に分離するのは不可能だろうと考えています。基本的には、社会情動的スキルを土台に認知的スキルが伸びていくという流れにありますが、乳幼児はさまざまな能力やスキルが未分化の状態です。初めに社会情動的スキルを、それからIQを伸ばしていきましょうと意図的に順序立てて成長させようとしても、なかなか大人の思うようにいかないから難しいのですね。
一点集中型の訓練よりも土台の形成
社会情動的スキルを育てる前提として、多面的なスキルであり特に乳幼児期はさまざまな能力が未分化だから、順序よく育っていくようなものではないということですね。さらに順番を付けられないので、何かに特化して成長させるのも難しいと荒牧先生は続けます。
――社会情動的スキルの発達は、日常生活に支えられています。それが意味するのは、早寝早起きの生活習慣が身に付いていれば特定の力が伸びるなど、成長の階段があるということではありません。生活の中で親子が情緒的に安心するやり取りがあり、そこから子どもが自分の世界を広げていくイメージです。その世界を広げていく過程がさまざまなスキルを身に付けることにつながっています。結果的に、落ち着いた環境の中で子どもがいろいろなことを楽しみながら挑戦し経験をしていくとき、認知的なスキルも社会情動的なスキルも伸びていきます。
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わたしたち大人は、能力やスキルを要素に分解した上で、効率的にピンポイントでトレーニングしていこうとどうしても考えてしまいがちです。しかし先ほどお話ししたように子どもの能力は複雑に絡み合っており、特に幼少期に特定の力だけを伸ばしていこうとしても難しさを伴います。例えば英語や算数の教育で早期にたくさんの英単語や計算式を習得することは不可能ではないですが、それが後々まで続く力になっていくかというとそうはいきません。
月並みと思われるかもしれませんが、乳幼児期には何かを抽出して伸ばそうとするのではなく、土台となる部分を形成するという意味でやはり広くさまざまな経験をすること、それができる環境が大切だと思います。
社会的情動スキルは本当に将来の役に立つの?
社会情動的スキルはさまざまな力があって、ところが乳幼児期には集中的な訓練は有効ではなく、多様な経験が必要……とても育てるのが大変な能力のようにも聞こえてきますが、それでも子どもの将来になぜそこまで必要だと考えられているのでしょうか。
――これからの世の中は、いっそう不確実性が高くなっていきます。2017(平成29)年に『保育所保育指針』『幼稚園教育要領』『幼保連携型認定こども園・保育要領』が改訂・告示され、小学校の『学習指導要領』も同時期に改訂されて今年度から全面実施されました。これらの改訂には、将来が見えづらくなったときでも対応できるような力をバランスよく育てようという意図が込められています。それが、今日非認知能力や社会情動的スキルといったトピックが注目される理由の一つにもなっています。
現在、さまざまな新しい職業が増える一方で、それに代わってなくなる職業もあります。今までは、いわゆる良い学校を出て良い会社に就職すれば一定の賃金が保障され、ある水準の生活を維持できると思われていました。ところがお金を獲得するための経済活動が多様化し、将来的にその職業がずっと残るものかどうかさえも読めなくなっているのですね。それに伴って、子どもが10年、20年後に大人になったときにどんな力を身に付けていたら良いかも見直されてきています。
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それでは、不確実性が高い世の中に対応できる力とは何なのか。それにはさまざまな考え方がありますが、一つは人に言われなくても自分で自分のことをきちんとコントロールできる力と言い換えられると思います。決して自分一人でパーフェクトに遂行しなければならない訳ではありません。たとえ想定していなかった状況に置かれても、腐らずに自分のできる範囲で情報を集めたり、適度に人に頼ったりしながら、なんとかやり抜くような力です。
どこか一つの力に焦点化して訓練し、スペシャリストを目指すという教育ももちろんあり得ます。しかし、専門特化した力を仕事で発揮するには一定の条件がそろっていないと難しい場合も多いですね。自分の力を発揮するのに絶対にこの条件、環境が必要だという風に固めてしまうと、この先の世の中を生きていくのは大変でしょう。たとえ環境が変わったとしても、自分自身のもつ力を多彩に引き出して環境に適応しながら生きていく。こうした力は社会人になってから特に重要ですね。
「もうちょっと」のがんばりをサポートする
どんなに能力が高くても、一度怒られてすぐ不貞腐れてしまうようでは困りますね、と荒牧先生。そうならないためにも周囲のサポートが不可欠だというのも納得です。
――「幼児期は、頑張った結果が大人の物差しではある意味価値があるものでもないものでも許される時期と言えます。だからこそ、頑張った先には喜びや達成感が待っているという経験の、幼少期からの積み重ねが大切です。
幼児は自分の頑張りに対して、親や先生に「頑張ったね」「次はもうちょっとここをこうしてみようかな」と返してもらいながら、少し難しい壁に直面したときでも工夫してそれを乗り越えることを繰り返します。そうして乗り越えること自体が楽しいと思えるような力が育っていきます。その力を身に付けるにはさまざまなルートがあり、子どもの個性によってそれぞれ違ってくる訳ですが、大人がゴールを設定せずに子どもが日々の生活の中での経験から少しずつ育んでいけるようにすることが大事だと思います。
重要なのは、幼児が何かを乗り越えてみようとするとき、すべてを子ども自身に委ねるのではなく、周りの大人がその子の少し先の力を見据えることです。子どもは一人で十分にできる活動を繰り返しても面白くないし、誰かの手助けがあっても実現不可能なゴールを設定されてもやる気は起きません。
今は一人ではできないけれど、誰かと一緒であればできそうだという伸びしろの部分を、専門的には発達の最近接領域といいます。例えば音楽のグループレッスンで、一人ではまだ弾くことができない難しい曲でも、皆でパートを分けて自分はこのパートを頑張って弾こうと思えたら、次のステップにつながっていくでしょう。
やはり子ども自身は自分がどこまでできるかわからないので、周りの大人がその子の伸びしろを見据えた上でゴールを設定すると良いですね。ゴールの設定とは「あれをやりなさい」ではなく、子どもがやってみたくなるような仕掛けをつくることも大切です。
親子で肩の力を抜いて
周囲の大人のサポートが重要だとすると、幼児の生活をともにする大人は主に親か幼稚園・保育園の先生になります。忙しい毎日の中で社会情動的スキルを身に付けようと頑張り過ぎる必要はないと荒牧先生は語ります。
――大事なのは、完璧を目指さないことですね。子どもにとって本当に大切な時期だからこそ一瞬たりとも目を離せないという心持ちでは、やはり親子ともども疲弊してしまいます。このシリーズでは遠藤利彦先生がアタッチメント(→「アタッチメントと心の発達」)をテーマにお話ししていらっしゃいますが、程よい温度感というのでしょうか。子どもと一緒にその子の能力を伸ばしていく活動を、どれだけ親自身が楽しめるものに変えていけるかがポイントだと思います。
例えば、親がピアノの練習を毎日みてあげなければいけないとすると、親は教える、監視する立場というように、親と子の活動が切り離される形の関係性ができます。親にとっては自分の時間を切り取ってそれを子どものために費やす構図です。ここで、親子で一緒に楽しむ時間だと転換できれば、親の活動と子どもの活動に重なりが生まれてきます。
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読書に関する調査でも、親が本好きであるほど、子どもも本をたくさん読む傾向にあるとされています。つまり本好きの子どもを育てたいならば、親が読書好きになれば良いということです。それでも、自分は読まないけれど子どもには読ませたいというのが親心かもしれませんね。だからこそ一緒に本を読み、その本の内容について会話したり、その本に出てきたような公園にお出かけしてみたり、親子で活動を共有していく。それが、子どもに寄り添うことに結び付いていきます。
楽しい気持ちが自走できる力に変わる
子どもはいつか親の手を離れ巣立っていくもの。幼児期に親が子どもの活動に寄り添うことが、たくさん頑張った後の“燃え尽き”を避ける鍵にもなるのかもしれません。
――子どもが小学校の高学年以上になると、子どもの活動のレベルが高くなり親は寄り添いたくても寄り添えなくなっていきます。勉強に関することだけでなく、スポーツや芸術においてもそうです。また、子どもに求めるレベルも高くなるのではないでしょうか。自分の名前が書けたり、読めたりするだけで「すごい!」と褒めていたことが、小学校の高学年になればそうではいられなくなります。
スポーツや芸術においても、小学校の低学年くらいまでは、特に高度な技能が身に付いていなくても、親は子どもが少しずついろいろなことができるようになったり、それを楽しむする姿を見て一緒に喜べるでしょう。そのように、親自身が子どもの成長を楽しむ余裕のある時期に子どもへの伴走を続けていくと、その活動は子どもの中で楽しいものへと変わり、もっと上手くなりたいという気持ちも育っていきます。次第に、親がそばについていなくても、専門的に特化したスキルのトレーニングにも自分で意味を見出して自走できるようになるのです。
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反対に、もし親が子どもと一緒に楽しむということを忘れてしまうとどうなるでしょう。例えば、子どもがちゃんと練習をしているかどうか、あるいは、より難易度の高い曲を間違えずに弾けるようになったかどうかだけをチェックするようになれば、親自身も子どものピアノの練習への付き添いが苦痛になっていくのではないかと思います。また、できない事実を指摘されるだけの活動は子どもにとって義務となり、親の顔色を伺い、評価を求めるようになります。
つまり、もっと弾けるようになりたい!という気持ちが育つ前に、ピアノがつまらなくなってしまうかもしれません。本来、芸術やスポーツに関する活動は、人生を豊かにするものだと思います。それが苦痛になる、嫌になるというのは非常にもったいないことです。
親の手から離れても子どもがまだ続けたいという思いが育つかどうかは、やはり乳幼児期にその活動がどれだけ楽しかったか、そして難しいものにチャレンジして乗り越えていくこと自体を楽しいと思う経験をしているかどうかだと思います。周りからの引っ張る力が強すぎると、それがなくなった途端に解放されてしまいます。どんな教育でも、子どもの目線になって一緒に楽しむ姿勢が大切です。
文・編集:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2020年11月16日に取材した内容をもとに作成しております)
→「3.フクザツな育児感情」につづく(全3回連載)
◇プロフィール
荒牧 美佐子(あらまき みさこ)
目白大学人間学部子ども学科准教授
お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。博士(人文科学)。
専門分野は、発達心理学。
最近の研究テーマは、母親の育児感情、家庭教育や保育の質が子どもの認知的・非認知的スキルの発達に与える影響などについて。現在、国の研究機関や企業のシンクタンク等の調査・研究プロジェクト等にも参加。
主な著書に、「生活の中の発達―現場主義の発達心理学」新曜社(共著)、「社会情動的スキル―学びに向かう力」明石書店(共訳)、「発達科学ハンドブック 第6巻 発達と支援」新曜社(共著)などがある。