学び・教養
2019年12月26日掲載 / この記事は約8分で読めます
太平洋戦争中にパイプオルガンやバッハの音楽と出会い、戦後は数学を学び物理学の道を志した佐治先生。1970年代、佐治先生は「ゆらぎ」の理論研究を通してNASA(アメリカ航空宇宙局)とも交流を深めていきます。当時、NASAが進めていたのは今日まで続く壮大なミッション――宇宙探査機ボイジャーの計画でした。
連載
見えない世界にまなぶ-佐治博士の宇宙・音楽・未来へのまなざし-
バッハをのせて旅する 宇宙探査機ボイジャー
宇宙はどのように生まれたのか――「ゆらぎ」と宇宙創生の理論
理論物理学者として佐治先生が取り組んでいたのが、「ゆらぎ※1」の研究。「ゆらぎ」と宇宙創生はどのように結び付くのか、佐治先生とNASAの縁もそこにきっかけがありました。
――「宇宙はいかようにして生まれるか」という話は、人類にとって究極の課題です。何もないところから宇宙を生み出したものとは何だったのでしょうか。一言で表すならば、自然界の中のすべての存在の基本となる「ゆらぎ」なのではないか、と僕はそう考えていました。
世の中には、止まっているように見えたとしても、止まっているものはありません。例えばコーヒーカップの中では、水の分子たちが激しく動いていますし、木でできた机だって、木を形成する酸素やケイ素、炭素たちの分子は熱運動で動いている。つまり、世の中のものは基本的に動いています。さもなければ、分子をつくることはできません。誰かと誰かが「関係がある」ということは、キャッチボールをしていることと似ています。僕が投げたボールをあなたが受け取り、あなたが投げ返したボールを僕が受け取るということにおいて、ふたりは安定した関係にあるんですね。
僕がボールを持っていると、「僕+ボール」という状態。僕があなたにボールを投げると、「僕+ボール」から「僕」という状態になります。あなたはボールを受け取ると「あなた」から「あなた+ボール」という別のものになり、ボールを僕に投げ返すと「あなた」に戻って、僕は「僕+ボール」になります。
このように、ゆらゆらの「ゆらぎ」が常にあることによって、この世界は存在しています。そういう一つのプロセスがあれば、何もないと思われている宇宙から突如宇宙が誕生するということも不可能ではないといったことも含めて、「ゆらぎ」の研究をしていました。その基本にあるのがドイツの理論物理学者ハイゼンベルク※2によって発見された「不確定性原理」です。
さらに「ゆらぎ」の理論を使って、ある考えがありました。太陽系の外側にひろがる宇宙空間に満ちている電磁波の「ゆらぎ」がどうなっているかというところに、太陽系や宇宙そのものが生まれたときの痕跡があるかもしれない、ということです。僕とNASAとの交流は「ゆらぎ」の研究を通じて生まれました。
「地球文明の代表」宇宙探査機ボイジャー
NASAが1972年に着手したボイジャー計画は、天王星や海王星など惑星の探査を通して“未知のもの”を発見することを目的としました。そのためにボイジャーに搭載されることになった「あるもの」に、佐治先生の想像力はかき立てられます。
ボイジャー2号機 (c)NASA
1977年に打ち上げられ2018年に太陽系の外側へと到達
――実は1970年代当時、ボイジャー計画があるということを非常に身近に感じていました。当時、「ゆらぎ」の研究がきっかけとなってNASAと関わりをもつようになったとき、ひょんなことから、ボイジャー計画に携わっていた方々の中の一人、カール・セーガン※3をはじめとする研究スタッフと意気投合するできごとがありました。ボイジャー計画の研究スタッフではないけれどNASAのボイジャーグループとの関わりをもつようになっていたからです。
彼らと交流しているうちに、これは想像以上のものすごい計画だということがわかってきました。なぜならば、ボイジャーは単なる宇宙探査機ではないと感じたからです。ふつう宇宙探査機といえば、宇宙に行って、宇宙のいろんな観測データを送ってきてそれで終わりです。ところがボイジャーにはET(地球外知的生命体)に向けて地球の文明を伝えるゴールデンレコードを載せるっていうでしょう。これはアメリカのNASAが宇宙探査のためだけに送り出す単なる探査機というよりも、地球文明の代表だと感じました。
ほ乳類にとって一番重要な感覚器官は聴覚
地球文明を載せることになった宇宙探査機ボイジャー。たくさんの情報の中で、なぜ「音」を搭載することになったのでしょうか。
――詳しいプロセスはさておき、見る、聞く、においを嗅ぐ、ふれる、味わう、という人間の五感の中で、一番長い時間をかけてつくられる器官が聴覚だからです。自分が食べる食物が安全かどうかは生存に関わるため、嗅覚や味覚などは比較的早めにできます。しかし、周りの情報をキャッチしながら、その情報を的確に理解して環境にいかに順応して生きていくかということにおいて最も大切な感覚が聴覚で、一番長い時間をかけて丁寧に形成されるのだそうです。つまり、音だということですね。
ゴールデンディスク
(画像:佐治先生ご提供)
その音をどういう風にETさんが聞くかはわかりません。しかし、現代のCDと違って、レコードに刻まれた溝からの情報は視覚化できることもあって好都合だったのです。
レコードの最初の部分には、世界54カ国の言葉で、日本語で言う「こんにちは、お元気ですか」という挨拶に相当する言葉が入っていて、その後に、当時のカーター大統領の挨拶※4、そして地球上の音としていろいろな音が収録されています。
それでは、どんな音楽を載せようかという話題になったとき、「当然バッハでしょう」ということになったのです。
バッハの音楽を宇宙へ
ボイジャーにはバッハの音楽だと提言した佐治先生。ゆらぎ研究に基づく知見は、バッハを宇宙へと送り出すことになるのです。
――人類にとって、ほ乳類にとって聴覚は赤ちゃんの進化生育にとっても非常に重要な感覚で、その音の世界に内在する根源的法則は、宇宙をふくむ自然界全体を包括する「ゆらぎ」と関係します。赤ちゃんの泣き声のなかにも長短2度、3度※5などがあり、世界の言語を音という立場から調べてみると、音全体のひろがりが1オクターブの中に納まっていて、さらに、音声の成分が、オクターブを構成する12の半音であることがわかっています。しかも、その性質は、バッハの平均律の中にきちんと組み入れられているのですね。そこで、僕のゆらぎの研究とバッハが結び付いた訳です。
それまで、ゆらぎの理論研究のほかに、東京工業大学と心地よい音楽、心地よいしゃべり方、心地よい風の吹き方などの中に、どういう数学的性質があるのかということの共同研究をしていて、その延長線上で1/fゆらぎ扇風機※6という自然風をまねた家電製品の開発などもしていました。
音楽のゆらぎについても、科学的な実験を行い、バッハの音楽の中に宇宙共通の「ゆらぎ」が顕著にみられることを突き止めました。実際に解析してみると、音の高さや和声の進行、さらに全体の楽曲構成の中に、非常に自然なゆらぎがあることもわかりました。強さやリズムは演奏者次第ですが、五線譜上での音の進行についてのゆらぎに関しての話ですけどね。
J.S.バッハ:≪平均律クラヴィーア曲集≫ 第1巻 第1番より<前奏曲>の和声構造
視覚的に楽譜をみていくと、たとえば、平均律第1巻の第1番の前奏曲では、低音の動きがⅠ度のトニックの音から始まり、だんだん下降してきてⅠ度で終結する。まるで、下向きに重力が働き、安定するかのような様相を示しているんですね。これが、ボイジャーにバッハが搭載された理由です。
聞き手:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2019年3月9日に取材した内容をもとに作成しております)
→「3.宇宙から考える、地球の平和や未来のこと」につづく(全4回連載予定)
- ※1 「ゆらぎ」は、自然界のあらゆる物質や現象がもつとされる性質。予測できるものには規則性があるが、規則性があるように見えても、空間的、時間的に予測不可能な変化や動きが混在している様子を「ゆらぎ」という。
- ※2 ハイゼンベルク(1901~1976)は31歳という若さでノーベル物理学賞を受賞。19世紀までは粒子の位置と運動量は確定していると考えられていたところ、ハイゼンベルクは電子の位置と運動量を正確かつ同時には測定できないとして「不確定性原理」を導いた。
- ※3 セーガン博士(1934~1996)は天文学と生物学の両分野で研鑚を積み、NASAの惑星探査を牽引。作家としても活躍し、ベストセラーとなった『コスモス』は国際的にも最高の科学書の一つと言われている。
- ※4 カーター(1924~ )はアメリカ合衆国第39代大統領(在職1977~1981)。レコードには次の内容が収められている。「これは小さな遠い世界からの贈り物です。私たちの音、科学、画像、音楽、思考、感情を表したものです。/私たちはいつの日にか現在直面している課題を解消し、銀河文明の一員となることを願っています。/このレコードは広大で荘厳な宇宙で私たちの希望、決意、友好の念を象徴するものです。」
- ※5 音と音との隔たりを「音程」といい、どれくらい離れているかを度数で表す。さらに2度や3度の音程は、黒鍵をいくつ含むかによって「長〇度」と「短〇度」に分けられる。
- ※6 「ゆらぎ」(注1を参照のこと)にはさまざまな種類があり、その一つである「1/fゆらぎ」のメカニズムは家電製品などに活用されている。
◇プロフィール
佐治 晴夫(さじ はるお)
1935年東京生まれ。理学博士(理論物理学)。東京大学、ウィーン大学での研究生活の後、玉川大学教授、県立宮城大学教授、鈴鹿短期大学学長などを歴任。無からの宇宙創生に関わる「ゆらぎ」の理論研究やNASAの宇宙探査機・ボイジャーに地球文明のタイムカプセルとしてバッハの音楽を搭載することの提案などでも知られる。音楽をこよなく愛し、金子みすヾの詩による歌曲作品などもある。現在北海道・美宙天文台台長。大阪音楽大学客員教授。日本文藝家協会所属。
著書:「14歳のための時間論」春秋社、「14歳のための宇宙授業」春秋社、「詩人のための宇宙授業―金子みすヾの詩をめぐる夜想的逍遥」JULA出版、「14歳からの数学-佐治博士と数のふしぎな1週間」春秋社、「宇宙のカケラ-物理学者、般若心経を語る」毎日新聞出版、他多数。
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