学び・教養
2020年06月15日掲載 / この記事は約8分で読めます
数学を修め、音楽を愛する理論物理学者として多くの著書を記す、佐治晴夫先生。このシリーズでは、まるで美しいソナタのように、音楽との出会いというテーマの提示の後、宇宙創生や1 / f ゆらぎ理論といった「見えない」世界を探求してきた人生のお話を展開していただきました。
第4回は、佐治先生連載の最終回。平和や明日への希望の物語です。
連載
見えない世界にまなぶ-佐治博士の宇宙・音楽・未来へのまなざし-
見えなくても、今、ここにあること
星を見る・今この瞬間を見る
210億キロメートル離れた宇宙にいるボイジャー、40億年先の未来……。佐治先生のお話では空間や時間がはるか遠くへと広がっていきます。そんな広い宇宙を感じることは、今この瞬間の尊さに気付くことでもあるといいます。
――星を見るということは、通常の景色を見ているときとは違って、見ている星と1対1で向き合っているということです。それはとりもなおさず、立場を逆転すれば、「星がわたしを見ている」ということでもあり、さらには、「星を通して、自分で自分自身を見ている」と言ってもいいのではないでしょうか。
しかも、その星が100光年のところにあるとすれば、100年前の光と「今」出会っているということ。1万光年のところにあるギャラクシー(銀河)であれば、1万年前の姿を、「今」見ているということ。つまり、この「今」という一瞬に、遠い過去からの時間と、はるか彼方までの空間距離を全部凝縮して、今この瞬間を見ているということです。
地球から38万kmのところにある月は1秒前の姿ですが、月とその横に1500光年彼方のオリオン星雲が見えていたとしましょう。オリオン星雲からの光は1500年前の光だから、1500光年と38万kmという隔たりを同時に見ていることになります。星を見るという行為は、この一瞬のうちに広大無辺な空間と時間を「今」に凝縮しているというすごい体験なのです。
はじめに「音」ありき
星を見ることは「今」のすごさ。時間芸術である音楽にも、演奏者の「今」が現れます。
――「音」は聞いたらなくなってしまうものですね。数学の場合も、例えばピタゴラスの定理※1というものはあるけれど、定理自体はどこを探しても見つかりません。ここにお茶碗が「5個ある」と言えば、それは実在します。でも5という数字はどこにもありません。音も同じでしょう? 音楽と数学的な世界観、感覚というのは、僕にとっては同じようなものです。さらに人間が音を出す訳ですから、その人の「今」が音に全部表れてしまいます。
音楽の専門家ではない私が、人前でピアノを弾くことに抵抗があるのは、もちろん、思ったような演奏ができるような技術を持ち合わせないこともあるのですが、それよりも、自分の演奏の中に、現在の精神的、身体的状況が、そのまま表現されてしまうという怖さを感じるからだとも言えます。文字や言葉ではごまかせても、音はごまかすことができません。選挙演説は、演説の内容だけではなく、声色も聞くべきだというのが僕の持論です。何かを伝えようとするとき、昔は電話でしたが、現代はほとんどがメールですね。親子間のコミュニケーションにも影響しているのではないでしょうか。
音とは人間にとって重要なものであり、それを表現する形式が音楽だという認識が大事だと思います。ヨハネによる福音書※2にある「はじめに言葉ありき」という箇所は、「はじめに音ありき」と言い換えることもできるかもしれませんね。
相手を通して自分を知る
数字も定理も音楽も、現実には見ることができません。物質的な豊かさが求められがちな現代社会で、「見えない」ものを探求することの意義は何でしょうか。
――誰も自分の顔を自分の目で直接見ることができません。鏡に映る顔は、上下はそのままでも左右が逆転しています。そこで、極論ですが、もし見えるものしか信じないとしたら、あなたはあなたの存在を否定することになってしまいます。現代の宇宙論の立場から言えば、見える領域というのはほんのわずかしかありません。ものが見えているのは全体の5%、見えないものが95%です※3。
また、どうして「見えない」ものがあると言えるのでしょうか。それは、やや哲学的になりますが、「見える」とは「見えない」存在の上に定義できるものだからです。「ある」は「ない」を基盤として定義されていることに似ていますね。今、自分がどんな顔をしているのかは、相対している人の表情の中にあります。相手を通すことでしか、人間は自分を認識できないんです。ノヴァーリス※4がいうように、すべての見えるもの、聞こえるものは、見えないもの、聞こえないものにさわっている、ということでしょう。ほんとうの真理は、見えるもの、聞こえるものの先にあるようです。
「見えないけれどもある」ということ
佐治先生によれば、見えないものに触れる題材として、教育の現場では詩がとても有効。佐治先生流の授業では、「見えないけれどもある」存在を大切に伝えていきます。
――「見えない」ものといったとき、世の中には2つあります。ひとつは、物理的現象として見えないもの。人の心や人の痛みです。もうひとつは、見えていると思っていても裏にあるものが見えていないという場合です。例えば、我々が仏像を前に手を合わせるのは、その先にいる神様だと思ったものに向けてであって、仏像は単なる入口です。だって、仏像は、木や金属でつくられた物体にすぎません。
かつて、僕が行った小学4年生への実験授業は、「木の葉っぱはどうして揺れるのかな」と問いかけることから始まりました。子どもは「風があるから」と答えます。「風があるってどうしてわかるのかな、見えないでしょう」と返すと、子どもたちは何と言うでしょうか。
見えないけれどもあるという存在がいかに大事で、それが幻想ではなく現実であるということを教えていくのが僕の授業です。これは、ある意味でリベラルアーツ※5の授業だと言えます。世の中は見えないものだらけです。その時に「見えないけれどもある」ということが論理的にはっきり言える、という知識を身に付けることが、学ぶということでしょう。
「見えないからないや」ということではなく、「見えないけれどもある」と言えること。それは「見えるものの影としてそこにある」ということです。「面影(おもかげ)」という言葉は、見える表面(「面」は顔のこと)と見えない心を表します。面(顔)の影とは「裏」のことであり、「心悲しい(うらがなしい)」という漢字のとおり、裏とは心を示す言葉なんです。日本の古来の文化の中でも「見えないけれどもある」ことは表現されていたんですね。
見えるものと見えないものを結ぶ関係性
自分の顔すら見ることができないわたしたち。それでも視覚的な情報がここまで優勢になったのは、科学の発展が影響しているといいます。
――物理的に見えたり、聞こえたりするものしか信じない。そういう世界の風潮をつくってしまった責任の一端は科学にあります。細菌でも何でも、見えないものまで見えるようにしてしまったからですね。これは科学のマイナス面であるとも言えます。
ただ、単に「見えないものもある」というだけでは、ファンタジーで終わってしまいます。そこで、見えるものと見えないものの関係がいかように結ばれているのかということを論理のまなざしで見ることができるか、ある意味でこれが数学なんです。
三角形の内角の和が180度ということを知るためには、この連載1回目にもお話ししたように、1本の線を引くことで全部明らかになります。
音楽の難しさは、音という見えないものを基本的に楽譜という形でしか残せなかったことでしょうか。楽譜はとても便利ですが、音楽そのものではありません。たとえて言えば、時間軸を横に、縦軸に音の高さをとったグラフみたいなものです。楽譜がすべてだとすると、楽譜通り弾かなければダメだということになってしまうからです。
僕が音楽に関しては、ずぶの素人であるということを実感する瞬間といえば、指が思うように動かないことはもちろんですが、楽譜の音符の並びはなんとか理解できても、それを音に変換して演奏しようとしたとき、楽譜という記号の奥に潜んでいる音楽そのものの流れが理解できていないということですね。楽譜をどのように読み込むか、記号の奥にある音の世界をどう垣間見ることができるかという能力は専門教育を受けている人と素人では大きな隔たりがあります。その一方で、素人には、下手なりに自己表現としての音楽演奏を楽しむことができることが、プロの演奏家からみればうらやましいことなのかもしれません。
音楽はリベラルアーツ
楽譜に記された音楽は、演奏という行為によって再び現実に現れます。一連の流れが音楽と数学に共通する部分があることを指摘しながら、佐治先生のお話は第1回のリベラルアーツのテーマへと回帰していきます。
――音も数字も見えないというお話をしてきましたが、数学が見えなくても、「a=b」かつ「b=c」ならば「a=c」というのは真理です。しかし、どこを探しても真理という実体はありません。あるいは、「AさんはBさんより年上」で、「BさんはCさんより年上」だとすれば、「AさんはCさんよりも年上」と三段論法が成立しますから、真理は目に見えるものになります。数学の場合、目に見えない定理の方に現実を引き寄せ、どこにあるかわからない抽象的な空間で処理をして、その結果を再び現実に投げ返すことによって、現実の問題についての正しい結果を予想することができることが、その妙味なのです。
音楽もそういうものではないでしょうか。作曲のプロセスを残すことはできないから作曲家は楽譜にし、それを音楽家が演奏します。コンピュータの用語を使えば、演奏のためには楽譜を「解凍」しなければいけない訳です。楽譜をどういう風に解凍していくかによって、音楽はリアルなものになります。
第1回でお話ししたとおり、音楽はもともとリベラルアーツの一つでした。音楽大学には最低限のリベラルアーツ教育が必要だと思います。例えばバレエの上手な子がバレエ一辺倒だったとしたら、どうでしょう。音楽も含めて基礎となるリベラルアーツがないと、頭打ちになってしまうでしょう。
2015年 静岡音楽館AOIホールにて
大阪音大の大学院で授業をしていたときとても楽しかったのは、学生たちは、一応、楽器の演奏ができる音楽家の卵でしたから、そこからリベラルアーツの深い世界へといざなう授業ができたことです。僕は音大には行けなかったけれども、人生の最後に、音大で教えることができたなんて人生って面白いものですね。
(おわり)
聞き手:小山 文加(おやま あやか)
(当連載は2019年3月9日に取材した内容をもとに作成しております)
- ※1 ピタゴラスは古代ギリシアの哲学者・宗教家であるとともに、数学者として幾何学の定理を発見したと言われている。ピタゴラスの定理は三平方の定理とも呼ばれ、直角三角形の3辺の長さの関係を表す(a2+b2=c2)。
- ※2 キリスト十二使徒のひとりだったヨハネは、新約聖書中の「ヨハネ福音書」や「ヨハネ黙示録」などの著者だと考えられている。
- ※3 その存在はわかっていながらも、正体のわかっていない暗黒物質(ダークマター)や暗黒エネルギー(ダークエネルギー)があり、宇宙に存在している物質の95%以上を占める。
- ※4 ノヴァーリス(1772~1801)は、ドイツの詩人・作家。29歳で急逝したが、ドイツ・ロマン派の嚆矢として『青い花』などの作品が後世の作家にも多大な影響を与えた。
- ※5 リベラルアーツとは、ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」に起源をもち、中世のヨーロッパの大学では基本的な教養科目とされた。文法、修辞(論理学)、弁証の3学と、算術、幾何、天文、音楽の4科で構成される。
◇プロフィール
佐治 晴夫(さじ はるお)
1935年東京生まれ。理学博士(理論物理学)。東京大学、ウィーン大学での研究生活の後、玉川大学教授、県立宮城大学教授、鈴鹿短期大学学長などを歴任。無からの宇宙創生に関わる「ゆらぎ」の理論研究やNASAの宇宙探査機・ボイジャーに地球文明のタイムカプセルとしてバッハの音楽を搭載することの提案などでも知られる。音楽をこよなく愛し、金子みすヾの詩による歌曲作品などもある。現在北海道・美宙天文台台長。大阪音楽大学客員教授。日本文藝家協会所属。
著書:「14歳のための時間論」春秋社、「14歳のための宇宙授業」春秋社、「詩人のための宇宙授業―金子みすヾの詩をめぐる夜想的逍遥」JULA出版、「14歳からの数学-佐治博士と数のふしぎな1週間」春秋社、「宇宙のカケラ-物理学者、般若心経を語る」毎日新聞出版、最新刊として「男性復活~宇宙進化と男性滅亡に抗して」春秋社、他多数。
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