子育て・教育
2020年10月08日掲載 / この記事は約9分で読めます
近年、予測不可能な時代の特徴は、ビジネスの世界で「VUCA(ブーカ)」と表されてきました。「VUCA」は、「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字を取ってつくられた言葉です。世界的に新型コロナウィルスの脅威にさらされた2020年。まさに予測できない激動の現代において、新しい学習指導要領には「生きる力 学びの、その先へ」が掲げられています。時代とともに子育てや教育も変わっていく――しかし、本当に子どもにとって必要な力とは何でしょうか? それはどんな環境で、どんな働きかけによって育まれるものなのでしょう? 子どもの発達に関するキーワードについて、発達心理学・感情心理学がご専門の遠藤利彦先生(東京大学教授)に伺います。
連載
もっと知りたい!子どもの発達に関するキーワード 遠藤利彦先生に聞く「非認知能力」
「非認知能力」とは?
「非認知能力」「非認知スキル」という言葉
取材はオンラインで行いました
今日、幼児教育などの分野で特に注目されるようになった「非認知能力」。「能力」という言葉を含むものの、いったい何ができる力のことなのでしょう。そもそも、この言葉は何を意味するのでしょうか?
――「非認知能力」や「非認知スキル」という言葉には、認知に「非」という文字が付いています。そのまま字義通りに受け取るならば、「認知ではない心の力」ということになりますね。
ただ、本当はその言い方は必ずしも適切ではありません。現実的に非認知能力の具体的な中身の中には、むしろ認知的な能力と呼んだ方がいいようなものも含まれています。例えば人の心に関する理解は、実は心に関する認知的な能力とも言えるものです。あるいは、人と人とが仲が良いまたは悪いといったような、どういう関係性をもっているかということに関しても、人間関係に関する認知能力ということになります。心に関する認知能力や人間関係に関する認知能力などは、一般的に非認知と呼ばれている心の力の中でかなり中核的なものだったりするのです。
これらのことを踏まえると、「非認知能力=認知ではない心の力」と総称してしまうというのは若干言葉としては乱暴で、心理学の専門家であればこの用法でこの言葉をあまり好んで使わないという実情があるような気がします。ただ、幼児教育や保育の分野などではこの言葉が既に浸透してきているというのが実情ですので、非認知という言葉を使い続けている人が比較的多いのかなと個人的には思います。
「非認知能力」はIQ(知能指数)では表せない心の力
実は学術的な定義は難しいという「非認知能力」。何をきっかけとしてこの言葉は広がったのでしょうか。
――もともとはノーベル経済学賞を受賞した経済学者ジェームズ・ヘックマン氏の研究でNon-cognitive ability(非認知能力)あるいはNon-cognitive skill(非認知スキル)という言葉が用いられていたことがきっかけとなって、世界中にこの言葉が広まっていきました。
写真提供:PIXTA
ヘックマン氏の研究を要約すると、IQ(知能指数)の高さによって人の幸せは説明できないということです。その部分の知見が研究の大本になっており、ヘックマン氏の研究における非認知能力とは、IQでは測ることのできない、IQには表れないような大切な心の力に置き換える方が正確な理解ではないかとわたしは考えています。
そしてIQでは測ることのできない心の力、その具体的な中身は何なのかというと、一例としてOECD(経済協力開発機構)は「長期的な目標の達成力」を挙げています。その力は、将来を見据えて自分にとって大切な目標のためにしっかりと頑張るというような力に当たると思います。例えば、目の前に美味しいものがあるけれど今は我慢してピアノの練習をしよう、そしてちゃんと練習が終わってから食べるようにしよう。あるいは、ピアノの練習をもっと頑張れば、もしかしたらお母さんお父さんがお菓子をいっぱいくれるかもしれない、そのために今はもっと練習しようというように、自分の感情のコントロールが必要になるとも言えます。
OECDによる2つ目の例は、「他者との共働」です。他者と一緒に手を携えながら助け合って活動するという力のことです。そして3つ目には「感情の管理」という力を挙げています。自分の感情というものを理解し、その感情をきちんと自分自身で制御管理できるような力ということになります。
「自己に関する心の力」と「社会性」というキーワード
非認知能力は、IQ(知能指数)では測ることのできない、IQには表れないような大切な心の力。遠藤先生によれば、OECDの定義は自己と社会性というキーワードに凝縮されるといいます。
――一般的にはOECDの定義が、非認知と呼ばれるところの力の定義として受け取られている傾向があるように思います。ただわたし自身はむしろもう少し簡単に、「自己に関わる心の力」と「社会性」と捉えて考えています。
簡潔に言うと「自己に関わる心の力」とは、自分のことを大切にし、時には自分をコントロールしながら、自分の可能性を更に広げていこうとする、そういう力のことです。そしてもう一つが「社会性」、集団の中に溶け込んで人との関係をつくり維持していくための力のことです。
OECDの言う長期的な目標の達成力は、どちらかというと自己に関わる心の力に重なる部分が大きいと思います。自分自身のために、自分の目標のために頑張って自分を高めようとする、そこに関わる力という意味で捉えていただけるとよいかもしれません。一方の社会性、人と上手くやっていくための力は、言うまでもなくOECDの提示した他者との共働というところと深く関わっていると思います。
日常生活の中で行っている「感情の管理」
OECDの言う「長期的な目標の達成力」「他者との協働」は「自己に関わる心の力」と「社会性」に紐づけられると遠藤先生。それではOECDの定義の3つ目、感情の管理についてはどうでしょうか。
――一見すると、感情の管理は「自己に関わる心の力」と「社会性」の中には入っていないように思われるかもしません。しかし、そもそも自分を高めようとすることには自分のコントロールが必要です。
少し専門的な言葉を用いて説明してみましょう。今と将来のように2つの異なる時点、すなわち異時点があるとしたら、わたしたちの日常生活には異時点間の選択に関わることがたくさんあります。今したいことを優先させるのか、ぐっと我慢してもっと先の大きい利益のために頑張ろうとするか。目の前にある何か美味しいものや面白いものへの衝動を抑え、もっと大切なことのために自分の行動をコントロールするとき、そこには感情の調整や制御という力が伴います。そうした意味において、自己に関わる心の力の中に感情の管理は入ってきます。
写真提供:iStockphoto
あるいは人と上手くやっていくためには、わたしたちは日常生活の中で自分と他者の間のジレンマにしばしば遭遇します。自分を優先させるか、他の人のことを思いやって他の人を優先させるか。自分本位で行動したりすると他者との関係はぎくしゃくし始め、長い目で見たとき結果的にはぜんぜん自分のためにならないということはたくさんあるわけです。そこで他人のことを想って自分は我慢するというように、やはり感情のコントロールが必要になるわけですね。感情の管理は社会性の中にも含まれるということです。
このようにして、わたし自身は非認知という言葉を、そしてその具体的な中身である社会的、情緒的、情動的スキルを、「自己に関わる心の力」と「社会性」に分けて考えています。その両方にそれぞれ少し違った意味で、すでに感情の制御管理は含まれているという考え方ですね。
◇プロフィール
遠藤 利彦(えんどう としひこ)
東京大学大学院教育学研究科・教授/同附属発達保育実践政策学センター長
東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(心理学)。専門は教育心理学、発達心理学。聖心女子大学、九州大学助教授、京都大学准教授、東京大学大学院教育学研究科准教授を経て現職。日本学術会議会員。東京大学大学院教育学研究科附属発達保育実践政策学センター(Cedep)センター長。主な著書に『よくわかる情動発達』ミネルヴァ書房、『乳幼児のこころー子育ち・子育ての発達心理学』有斐閣アルマ、『赤ちゃんの発達とアタッチメントー乳児保育で大切にしたいこと』ひとなる書房、ほか多数。