学び・教養
2022年02月24日掲載 / この記事は約11分で読めます
ヤマハ音楽教室の全国展開が本格化した1960年代。その一つの象徴が、1961年に開催された全国規模の講師大会です。講師研修会等での議論を通して、現場の講師たちの意見を取り入れながらヤマハ音楽教室の指導法は更新されていきます。1965年には幼児科の修業年限が3年に延長されたのに伴い、3代目『じゅにあー』へとテキストが改訂。テキスト上の楽曲から、リズム、メロディ、ハーモニーなどの音楽要素を取り出して学ぶ、統合学習の性格が強まります。
* ヤマハ株式会社は、1887年に山葉寅楠(1851-1916)が創業し、1897年に設立した日本楽器製造株式会社が前身です。現在の名称となったのは1987年ですが、本連載では読みやすさを考慮し1987年以前の出来事についても社名を「ヤマハ」で表記しています。
テキストによるレッスンの再現率は何%?
ヤマハ音楽教室では1959年に初のテキスト『幼児のオルガンの本』が刊行されたのち、早くも1960年に2代目『幼児の本』が編まれました。ここから歴代テキストの変遷をたどっていくに当たり、アーカイブプロジェクトにおいて各テキストのどこに注目し、どのような観点から分析を行っていたか、重要なポイントをご説明しておきたいと思います。
奏法などの詳細な検討は学術論文等の別稿に譲るとして、各テキストの違いを知るときに特に重要なのは、レッスンで取り上げられる内容のうちどのくらいがテキストに反映されているか、という点です。テキストに掲載された楽曲だけで実際のレッスンは成立するのでしょうか。基本的にテキストさえあれば、音楽指導者の方はみんなヤマハ音楽教室のレッスンを再現できるのか、という問いに置き換えていただいてもよいと思います。
本連載の初回で述べたとおり、テキストとはヤマハ音楽教室では教科書と同義です。学校の授業は教科書を使って行われます。ヤマハ音楽教室のレッスンもテキストを中心に進められるので、テキストがどんな教材から構成されているかはもちろん大事な調査項目でした。しかしヤマハ音楽教室の場合、テキストそのもの以上にテキストを用いた“レッスンの展開の仕方”にメソッドとしての大きな特徴が潜んでいます。テキストの変遷をたどるには、テキストの用いられ方もセットで調査する必要がありました。
歴代テキストの指導資料
レッスンの展開の仕方は、講師向けの指導資料にまとめられています。テキストを素材として、講師がどのようにそれを調理するのか、調理の際の味付けはどうするのか、味付けのヴァリエーションの幅をどこまで規定しておくのか。指導法としてどこまでが文章化され楽譜に起こされ、可視化されてきたのか。指導資料の厚さや構成もまた、時代とともに変化してきたのです。
指導書の原型も『幼児のオルガンの本』にあり
現存する指導資料の中で最も古いのは、初代テキスト『幼児のオルガンの本』(全2巻)に準ずる講師向けの「指導メモ(指導資料1に該当)」および「指導資料2」です。指導資料の呼称は時代によって微妙に異なります。
『幼児のオルガンの本』の「指導メモ」には1ページにつき1回のレッスンの内容が収められており、そのレッスンで主に取り上げるテキストの教材と指導目標などが提示されていました。注目すべきは、テキストの教材を用いて「A.音感訓練(単音、和音、旋律)」「B.オルガンレッスン」「C.歌、鑑賞、お話、その他」の3項目から1回のレッスンを組み立てるよう「指導メモ」に指示されていた点です。
例えば1巻のテキストに掲載された《あおいとり》を扱うレッスンでは、それをユニゾンで(みんなで同じ旋律を)弾くこと(Bの項目に該当)に加え、Aの音感訓練として《なかよしこよし》の遊びを通して「旋律的な連続音」の体験が目標になっています(遊び歌として歌詞が付けられていますが、この譜例のメロディは《ロンドン橋》と呼ぶ方が現代のわたしたちにはしっくりきますね)。
「指導メモ」より1巻「23.あおいとり」(p.16)と譜例(p.62)
※クリックすると拡大表示します
要は、実際のレッスンではテキスト上にはない楽曲や教材の併用が前提になっていたということです。『幼児のオルガンの本』はテキストのみではレッスンを再現するのが難しい代表例と言えるでしょう。
「C.歌」については、山本道子編『幼児歌曲集』(音楽教育出版、1954)、中田喜直編『こどもの歌:唱歌篇』(野ばら社、1956)、日本放送協会編『NHKうたのおばさん:楽譜集』(日本放送協会、1957)から選曲された曲を「指導メモ」に基づき講師が提示して歌う形式になっていました。これらの歌集には、中田喜直作曲の《めだかのがっこう》や《かわいいかくれんぼ》のように今も世代を超えて愛されている作品も収められています。なお、ここで言う「歌」とは厳密には歌詞のついた歌を指しており、音名(音の高さを表す固有の名称のこと)や「ラララ…」で歌う活動とは区別されます。
「模唱」がキーワード
歌詞付きの歌を歌う活動は「C.歌、鑑賞、お話、その他」に位置付けられるのに対して、あるメロディや音型を音名で歌う活動は「A.音感訓練」に当たります。ここで言う「音感訓練」はソルフェージュと同義で、音楽の総合的な基礎を養うための学習のことです。その一環として、譜例※1のように講師が「ド・レ・ミ」と歌った後に子どもに「ド・レ・ミ」とまねをして歌わせることを「模唱」と呼びます。
模唱の例(1961)
「模唱」という用語は『幼児のオルガンの本』の「指導資料2」に初登場。今日でもヤマハ音楽教室で重視されている指導法の一つです。少し専門的なお話をすると、『幼児のオルガンの本』以来ヤマハ音楽教室では主に固定ド唱法(どんな調であっても鍵盤上のドの音をドと読む)が採用されています。また、「模唱」に象徴されるように、幼児科の指導法は子どもに音を耳で聴かせて、後から楽譜で確認するという流れを基本としています。
音楽を初めて習う子どもにとって、固定ドか/移動ドか※2、導入は楽譜からか/(楽譜より先に)聴覚からの方がいいのか。これらは専門家の間でも意見の分かれるテーマであり、だからこそヤマハ音楽教室に限らず国内外のメソッドを特徴付ける要素でもあります。ヤマハ音楽教室の場合、ピアノの習い事と言えば個人レッスンで専門家養成の志向が主流だった時代背景があり、まずは(テクニックよりも)音楽を聴いて感じる力や音楽を楽しむ心を芽生えさせるのが最優先課題だという、テキストの編著者3氏による考え方のもとで指導の原則も定められました。
独立性の高いテキスト『幼児の本』
2代目となるテキスト『幼児の本』では、「模唱」などに加え、どのように鍵盤への導入を行うかという点でも指導法の充実が図られました。
『幼児の本』(全4巻)の表紙
1960年刊行の2代目テキスト『幼児の本』(全4巻)の表紙には、「監修 中田喜直・大島正泰・石黒一郎」「編著 松本洋二・伊藤英造・高橋正夫」と記載されています(第1巻)。中田喜直(1923-2000)は作曲家、大島正泰(1919-2012)はピアニスト、石黒一郎(1918-1999)は音楽教育の専門家です。編著者である3氏の研究の成果が結実した『幼児の本』は1965年頃まで使用されたと推定されます※3。
1961年の『muse』には、4回にわたって編著者らが出席した座談会の様子が掲載されています(vol.1 No.7~10)。テーマは「ヤマハ音楽教室の場合:音楽への導入の仕方」。司会者からの「どういう点に一番留意してテキストをつくったのか」という質問に対し、松本氏は幼児の肉体的、精神的な状態を十分に考慮した上で「音楽自身をしっかりつかませてやるように指導するにはどうしたらよいか」(vol.7、p.25)が根本にあると強調しています。
さらに、松本氏は次のように続けます。「ヤマハ音楽教室へ入ってくる子は、音楽的には、何も知らないわけですから、そのような子供ができることは何かと考えるわけです。すると、しゃべることができる。じゃあ、言葉に合わせてリズムをもってこようとか、指の筋肉の発達というものがまだできていない幼児だから、なるべくスムースに、しかも両手が平均して発展していくように、しかも段階が急激でなく……と、いうふうなことを考えて、テキストというものを作っていったわけですね。」※4
このように、『幼児の本』では幼児の指に負担にならないかたちで、段階的に両手で弾けるようになることが目指されています。そして「音楽自身をしっかりつかませてやるように」ソルフェージュも指導計画に組み込まれ、テキスト上にない素材を適宜用いてレッスンが行なわれましたが、「弾くこと」に係る教材の楽譜は系統立ててテキスト上に配置されました。それゆえ『幼児の本』はピアノ教則本として単独での使用も可能とみなされ、後に『みんなのオルガン・ピアノの本』として市販されるに至ったのです(→本連載第4回)。歴代テキストの中で市販されたのは『幼児の本』だけです。
ピアノメソッドの研究
実際に『幼児の本』の中を見てみましょう。鍵盤への導入という点で『幼児のオルガンの本』と『幼児の本』の違いは、1巻の1つめの教材「いろぬり」で早速現れます。『幼児の本』では最初から大譜表が用いられるとともに、中央のドの音(ハ音)から右手と左手がシンメトリックに展開する指遣いが採用されています。
『幼児の本』1巻より「1.いろぬり」
ピアノを弾いた経験のない方でも、右利きの人ならば左手より右手の方が器用に動かせるだろうというのはイメージしやすいと思います。また、何も訓練をしない状態であれば、一般的に親指の方が小指より強いですね。
もし習い始めたばかりの子どもが譜例Aのように右手と左手、どちらも「ドレミ」の音型を弾こうすると、右手は親指からで良いけれど左手は小指から弾き始めなければならなくなります。
譜例A
しかし、譜例Bのような右手が「ドレミ」、左手は「ドシラ」という音型であれば、どちらの手も親指、人差し指、中指を順番に動かせば弾くことができます。「シンメトリックに展開する指遣い」とはそういう意味です。
譜例B
編著者を務めた松本・高橋両氏のお話によれば、テキストの編纂に当たっては国内外のさまざまな音楽教育のメソッドを研究したそうです。しかし、1960年前後に日本語翻訳されていたピアノ教則本は『バイエル』や『メトード・ローズ』などきわめて限定的でした。聴き取り調査のために訪れた松本氏のご自宅の書斎には、世界中から集められたピアノ教則本や楽譜が並んでいた光景が思い出されます。中でも参考にされたピアノ教則本の一つは、アメリカの作曲家・ピアニストのジョン・トンプソンによる『小さな手のためのピアノ教本(John Thompson: Piano Method “Teaching Little Fingers to Play”)』(1936/1972)だそうです。
なお、『幼児の本』監修者の一人だったピアニストの大島正泰氏は、後に日本語版のトンプソンの編著者も務めています。また、同じく監修者の中田喜直氏は《ヤマハ音楽教室の歌》の作曲者でもあります。幼児科の歴代テキストの中で監修者が明記されているのも『幼児の本』のみとなっており、新しい音楽教育の土台をつくる上で監修者らの演奏・作曲・教育の専門的知見が活かされたものと推察されます。やはり『幼児のオルガンの本』と比較して『幼児の本』はヤマハ音楽教室独自の指導方針がより明確に打ち出されたテキストだと思います。
- ※1 ヤマハ音楽教室指導部 松本洋二「指導メモ〈1〉幼児の聴音学習」より抜粋。『muse』vol.1、No.1、1961年、p.62。
- ※2 基本的にヤマハ音楽教室で取り上げる曲は調性音楽といって、例えばドの音(ハ音)を中心とする長音階の楽曲はハ長調、ラの音(イ音)を中心とする短音階だとイ短調となります。固定ドではどんな調であっても音の絶対的な高さに基づき鍵盤上のド(ハ音)を「ド」と呼びますが、移動ドとは長調の曲ならば主音(中心となる音)を「ド」、短調の曲の主音は「ラ」と読む唱法をいいます。
- ※3 テキストの刊行年は1965年ですが、複数の関係者の証言を総合すると、特に昔はテキスト刊行から全会場に定着するまでは移行期があったようです。
- ※4 『muse』vol.1、No.7、1961年、p.25。
◇著者プロフィール
小山 文加(おやま あやか)
教育NPOに勤務しながら芸術・文化と教育・福祉領域を横断して研究に取り組む。国立音楽大学および洗足学園音楽大学非常勤講師。
東京学芸大学大学院(教育学修士)を経て、東京藝術大学大学院博士後期課程修了。大学院アカンサス音楽賞受賞。博士(学術)。専門は音楽史、アーツマネジメント。
アーツカウンシル東京調査員(2012~14年)、東京藝術大学音楽学部助教(2015~2019年)などを経て現職。港区文化芸術活動サポート事業調査員、ロームシアター京都リサーチャー(2020~2021)等を兼務。
ヤマハ音楽研究所では2009年から一部調査研究業務の委託を受け、アーカイブに関するプロジェクトに参画。